気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

叔父・叔母の家族葬    

2013-06-19 13:54:13 | お話

 今時こんなお見送りがあるのかと感動したので、少しだけその話を。

 

 叔父・叔母・息子の三人で大田区の町工場を経営。

数年前から叔父が仕事ができなくなり、叔母も2年前から骨粗そう症で、入退院の繰り返しとなり、年末から寝たきりに。

2人の度重なる入退院、医者通い、介護、すべて独身の従弟が、仕事を細々と続けながらやってきました。

私は時々お見舞いに行き、いとこの愚痴を聞く位。

 

 2人とも訪問医療のお世話になり、自宅で終末期。

7日に叔父が、叔父の初七日の14日に叔母が亡くなりました。83才、84才です。

叔母が亡くなった時電話口で従弟は大声で泣いていました 「親父を見送ったばかりなのにこんなに早く逝くなんて・・・・・」

 

 ご遺体は葬儀場に預けるのではなく、2人とも3日間自宅に安置されました。

長く住んでいるので、近所の人達がいろいろなアドバイスをしてくれ、また入れ替わり立ち代り何度もお線香をあげにきてくれました。

中には、その日に病院から退院してきた人、数十年前に知り合ったけどしばらく会っていなかった、なんて方達もやってきてくれました。

家に安置しているので、なかなか動きもままならないお年寄り達が、気楽に立ち寄って、涙を流してくれます。

お世話になったといって、工場仲間がずっとそばに付き添い、親戚達も、顔を見てお別れしました。

 

 皆 従弟が精いっぱい介護していたのを知っているので、心を込めた温かい言葉を残していきます。

特にお通夜を設定しなかったのですが、お坊さんが読経に来た時は、近所の方も一緒に拝んでくれたそうです。

「2人は仲が良かったから、天国も一緒に行くんだね」 と皆が語り合いました。

叔母が葬祭場に運ばれる時は、普段着のご近所の方が沢山集まり、お見送り。

従弟の涙をこらえた挨拶が、簡単ですが、胸に迫りました。

 

「 ご近所の皆さんのおかげで、こうやって見送ることが出来ました。有難うございます!!」  

 

 今、同じ部屋に2つの祭壇が仲良く並んでいます。

従弟は近所の方達に言ったそうです。 

「この部屋にいつでも来て、集会室にしてよ!!俺は仕事してるからさ!!」

今日の電話では、早速、近所のおばさん達が初七日の計画を立てて、金曜日に集まるそうです。

 

 私の、誇らしい従弟です。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (12)
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