気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

冷たい言葉

2009-09-18 01:06:37 | 病気・後遺症

 不意打ちだった。

思いがけない言葉を 思いがけない場所で、思いがけない人から投げつけられた。

私は無防備で、なすすべもなかった。

 

病気になってから一番気を付けている事は、精神の健康。

明るい気分を保つことで、いつの間にか積極的に生活している自分がいる。

落ち込むことはあるが、

精神の健康に保つことは自分にしかできないと思っている。

 

 

前置きが長くなってしまった。

8月上旬、コーディネーターの仕事仲間で飲み会をした。

一番暇な私が企画し、私以外5人、全部で6人集まった。

5人の内3人は病気後も会っているが、2人は初めて会った。

2人のうち一人は年上で、ある仕事で、苦楽をともにした仲間。

もう一人は40代、何回も口をきいたことがある程度のお付き合い。

 

この40代が問題だった。

いつものとおり、あっけらかんと私の病気の話しをしていたら、

彼女が「抗がん剤はやったの?」と聞いてきた。

「放射線も抗がん剤も効かないのでやらなかった」と答えたら、

急に勝ち誇った顔を向け 「あらぁ~やらなかったの。じゃあ楽だったわね」

と言ってきた。

エッ?どういうこと?何言いたいの?

薬が効かないので、大手術になったのだけど?

 

彼女は10年前にホジキン病で抗がん剤を打ったそうだ。

それがきつくて、大変な思いを味わったそうだ。

そして、いかに大変だったかをとうとうと語り始めた。

思わぬ事態にドギマギし、

小さく私も、耳聞こえなくなったし、顔も変わったし・・・・・と言ったら、

「そんなこと・・・・(なんてことないわよ)」と言われてしまった

これには驚いた。

病気後この種類の人には会ったことがなかった。

同じ病気の方は何人も会ったが、種類や程度が違っても、

お互いの痛みが分かり合うことができ、優しい気持ちで話すことができた。

この人は違う。自分以外の人を否定して生きている。

 

そして、彼女は薬が苦しいから忘れるため、仕事には行ったという。

動けたんだ

私は身動きできず、口はきけず開かず、生きるためには

すべて、リハビリが必要な状態だったのになぁ~

 

そして、「もう一度あの薬を飲むなら死んだほうがまし」と言い放った。

この言葉で私のドギマギは怒りに変わった。

親友も、病院で同室で退院後も会っていた人も、皆さん若くして散っていった。

彼女達は、どんなに苦しい薬でも治るなら喜んで飲んだだろう。

私も薬が効くなら迷いなくそちらを選んだだろう。

 

なぜ、助かった命に感謝しないのだろう?

なぜ苦しいことばかり思い出すのだろう?

なぜ他人の病を想像することができないのだろう?

なぜ他人を思いやることのない冷たい言葉を吐けるのだろう?

不思議でしょうがなかった。

 

他人には彼女が味わった苦しみはわからないだろう。

そして本当に大変だったのだろう。

彼女はそんな苦しみを味わったのは自分だけと思い込んでしまったらしい。

彼女は、10年もたつのに、病気の苦しみつらさから解放されていない。

他人を否定することでかろうじて心の平静を保っている。

他人を思いやる心を持って欲しかった。

 

今の私にはこういう方を受け入れる余裕はない。

これからは不意打ちに用心しなくては。

そんな時のために、やんわりとした返しの言葉を

用意しておかなくてはいけないですね

 

ひと月たってようやく愚痴がこぼせました

 

 

おまけ。

自分で縫った、2枚目の帯と着物。帯はサモアの民族衣装の生地。

 

 

コメント (14)
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