気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

友の死

2007-10-03 01:01:23 | その他
 2月末に退院し、ほったらかしていたブログを再開したが、

その時サブタイトルに「癌」と言う言葉を入れた。

入れるかどうか、かなり迷ったのだが、

今、癌にかかる人は3人に一人、あるいは2人に一人とも言われ、

今の日本人にもっとも身近な病気ともいえるので、敢えて入れた。


 「癌なんて、初期に発見すれば治る病気よ」・・・なんて言われることが多く、

最近は軽く考える傾向さえあるが、この病気はやはり恐ろしい。

手術、抗がん剤、放射線などの治療をして病巣を退治したとしても、

再発におびえる人たちを数多く見てきた。

その方たちは肉体だけでなく精神的にも耐えざる緊張にさらされている。

不安をいつも抱えながら生きるのがどんなに大変なことなのか、

かける言葉も無い。


たとえ私のように軽い癌であっても、

根治するためには徹底的な手術が必要であり、

その後遺症のため、仕事や、普通の日常をあきらめざるを得ないという

状況にもなる。

抗がん剤や放射線の副作用に悩むこともあるだろし、

一度癌に犯されれば、なかなか健康体には戻れない。



なかなか本筋に入れなくて・・・・・

彼女はひとつ年下、35年来の友人、実の兄弟以上の付き合いで、

今は大阪と東京に離れている。

家族ぐるみの付き合いで、お互いの家を泊りあったりしていた。

彼女の胃癌の手術は一昨年10月。

、おばあちゃんの入院を期に健康診断を受け、発見した。

10年間も健康診断を受けていなかったそうだ。

病巣はすべて取ったが、たちの悪い癌で、

ポロポロがん細胞がこぼれ落ちるタイプで、どこに再発してもおかしくない

状況だった。

手術後、食べられず、63キロの体重は42,43キロぐらいまで落ちた。

でも活動的で、我が家にも、去年秋と、私の癌がわかったとき、

私のお見舞いに6月と、3回も東京に来てくれた。

見るたびに彼女が痩せていくのが切なかった。

でも、医学は日進月歩で発達していることだし、

少しでも長く持ちこたえれば、治療できるものと思い込んでいた。

まさかこんなに早く寿命が尽きるなんて考えもしなかった。



この夏は暑かった。

いつの頃からか、彼女が

「この夏乗り切れるかしら・・・・細々でも生きていかれればいいんだけど」

と言うようになった。その声がだんだんか細くなり、私は不安になった。

9月末に大阪にお見舞いに行くつもりだったが、

9月始めに、夫といった。

6月に我が家に来たときより更に痩せ、35キロになっていた。

体も顔も骨が透けて見えるようだ。寝てはいなかったが、

座椅子にもたれたきりで、「何とか夏が越せたよ・・・」って言った。


その1週間後入院、先週23日私の留守中声が聞きたいと電話があり、

夫に「私頑張ったよね。・・・もういいよね・・・」・・・・・

次の日、24日大阪に娘と2人で、会いに行く。

彼女のご主人が、今日明日の命だと、本人も自覚しているようだと言う。

一人一人名前を挙げて「ありがとう」と言ってお別れしているそうだ。

まだまだ大丈夫と思っていた私は、ショックだった。

そして、彼女がお別れを言いたくて、電話して来たのだと悟った。

まだ意識はあった。少し、声が出た。ずっと手を握っていた。

かる~く。骨に転移しているので痛くないように。

時々ありがとうって、手をあわせる仕草をする。

その日は東京に帰ってきた。


26日水曜朝亡くなった。

水曜から土曜まで大阪に行き、お通夜、葬儀を手伝った。



年齢を重ねるときは、友達も一緒に歳を重ねていくものだとばかり思っていた。

時間の余裕が出来たら、もっと楽しく一緒に時間を過ごして行こうと思っていた。

歳を重ねるということは、今の関係が、そのまま楽しく続くのではなく、

病気になったり、亡くなったり、関係がどんどん移ろっていくことなのだと・・・

寂しいけれど・・・・自覚した。


だらだら書いてしまいました。

まだまだ書きたいことはあるけれど、

でもこれだけ書いただけでも少しすっきりしました。

読んでくださってありがとう!










コメント (7)
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