佐原久道(耕地整理に業績を残す)
慶応4年(1868)3月 ?日~昭和5年(1930)5月29日 享年64歳
磐城國磐前郡鹿島村大字御代字赤坂9番地(現・鹿島町御代)、佐原宗家の久治郎長男として生まれ、幼名を米次郎といった。
当時の佐原家は繭の仲買をし、伊達地方より糸繰り女(女工)を雇って蚕糸業をし、質屋も併業していた。
酒造業は明治9年(1876)の創業で、当主久治郎は鹿島村の初代村長になった。
久道は長じて、平の「室塾」室桜関に学び、明治32年3月、若干31歳で福島県議会議員選挙に出馬。初戦は惜敗したが同年知事不信任案の提議が因で山田春三知事による県会解散があり、その年9月の選挙に久道は再出馬し堂々の当選を果たした。
一期4年間の在職中に於ける業績は県内の土木工事に多いが、地元関係では鹿島地内の県道拡幅工事や御代坂の随道開さく工事などで、このことは当時の鹿島村の産業経済と日々の暮らしの向上に緊要な事柄であった。
久道の政治力は、その後耕地整理に向けられ、自ら耕地整理組合長となり日露戦争後の不況と凶作にあえぐ農民救済の工事として御代、船戸耕土の耕地整理事業を明治39年から県費負担などで起工させる原動力となり、この工事に出役することで得られる労賃で鹿島村民の日々の暮らしを助けた。
本日の催し 3/8(日)
いわき市暮らしの伝承郷 10:00~15:00
「ミニミニ野良着作り」 既に申込み受付は2月16日から行われていますので参加希望の方は電話で確認が必要です。 ℡29-2230
慶応4年(1868)3月 ?日~昭和5年(1930)5月29日 享年64歳
磐城國磐前郡鹿島村大字御代字赤坂9番地(現・鹿島町御代)、佐原宗家の久治郎長男として生まれ、幼名を米次郎といった。
当時の佐原家は繭の仲買をし、伊達地方より糸繰り女(女工)を雇って蚕糸業をし、質屋も併業していた。
酒造業は明治9年(1876)の創業で、当主久治郎は鹿島村の初代村長になった。
久道は長じて、平の「室塾」室桜関に学び、明治32年3月、若干31歳で福島県議会議員選挙に出馬。初戦は惜敗したが同年知事不信任案の提議が因で山田春三知事による県会解散があり、その年9月の選挙に久道は再出馬し堂々の当選を果たした。
一期4年間の在職中に於ける業績は県内の土木工事に多いが、地元関係では鹿島地内の県道拡幅工事や御代坂の随道開さく工事などで、このことは当時の鹿島村の産業経済と日々の暮らしの向上に緊要な事柄であった。
久道の政治力は、その後耕地整理に向けられ、自ら耕地整理組合長となり日露戦争後の不況と凶作にあえぐ農民救済の工事として御代、船戸耕土の耕地整理事業を明治39年から県費負担などで起工させる原動力となり、この工事に出役することで得られる労賃で鹿島村民の日々の暮らしを助けた。
本日の催し 3/8(日)
いわき市暮らしの伝承郷 10:00~15:00
「ミニミニ野良着作り」 既に申込み受付は2月16日から行われていますので参加希望の方は電話で確認が必要です。 ℡29-2230