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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

1994年「ファントム騒音の根源は、帝国主義」

2020年12月09日 | 小松基地関係資料
 1970年代以降、50年間、小松基地問題にこだわってきましたが、その中で、さまざまな人にお会いしました。来年は、小松基地の設置~小松基地闘争について、可能な限り総括的な小冊子を作成しようと、決意しました。とりあえず、1994年の住民の声を採録します。

 1994年「ファントム騒音の根源は、帝国主義」
                             第1次ファントム訴訟原告 M・S

小松基地の設置経緯ならびにその目的
 北陸であたりまえの労働運動を目指して苦闘されている皆さんに、小松基地闘争の実状をお知らせし、広範な連帯と共闘の力で小松基地の撤去を成し遂げたいと思っています。

 航空自衛隊小松基地は小松市(人口約10万)の南西部にあり、ほぼ海岸線に平行する2700メートルの滑走路を中心とする諸施設に、F4ファントム戦闘機22機・F15イーグル戦闘機18機の2飛行体と付属諸隊からなる、第6航空団が常駐しています。

 これは大戦末期の1943年に建設された海軍航空隊の飛行場を大幅に拡張して作ったものです。1961年の基地開設にいたるまでと、第2次拡張の時点では住民や労働団体などによるねぼり強い反対運動はあったが、一方では石川県・小松市当局を始めとする基地誘致派・賛成派もあり、とくに買収予定地をもつ4カ町の地権者の結束も不十分なため、基地開設を強行されたことは痛恨の窮みです。

 小松基地は日本列島のほぼ中間に位置して、日本海の全域を制圧し、朝鮮半島とソ連沿海州に対して強力な攻撃が可能であり、帝国主義戦争遂行の軍事力として、すでに大きな役割を果たしつつあるといましょう。

 ところで、1945年に日本の帝国主義は、大きく挫折しました。そのときに国是として採択した平和憲法こそ「ふたたび帝国主義の道は歩まない」という反省と決意に立つものにはかならないのです。なぜならば軍隊のない帝国主義は不可能であり、帝国主義を阻止するには軍隊を持たせないことを第一の要件とするからです。平和憲法の目的を尊重するわれわれとしては、この憲法を現実化する義務があると考えています。

帝国主義とは
 この言葉は政治・経済・社会の制度の基本理念を表わす目的で使われているものではありません。そうではなくて近現代の先進諸国が未開地域や後進弱小諸国を植民地化して支配・搾取している歴史の一側面を批判的に指摘している言葉です。

 このような歴史は人類発生以来続いていますが、とくに甚だしくなったのは16世紀以後のヨーロッパ諸国が世界中の後進国を植民地として支配・搾取してきた歴史です。発達した工業力に支えられた軍事力が侵略の主役を果たしてきたのは勿論です。

 以上を第1の段階として見ると、第2の段階は19世紀初頭に始まる、いはゆる産業革命以後のことになります。蒸気機関の開発を中心とする機械技術の大幅な進歩によって生産力が飛躍的に増大しました。また一方ではフランス革命などの影響によって市民社会の形成があり、資本主義体制は世界の主流として地歩を固めたといえます。

 人間というものは精神的な生き物という側面もありますが、物質なしでは一日も生きられないのですから、生活物資の生産・流通を資本が支配する社会では同時に社会の一切を支配します。政治とか政治家といっても資本の下働きにすぎないわけです。

 外見的には、確かに民主主義の手続きで成立した政府が支配していますが、その議会や政府は資本の力に屈服している多数の国民に支えられています。この社会では自分が資本の奴隷になっていることさえ自覚していないのが大多数であり、また自覚している人でも多大な社会的・経済的不利益や苦痛に耐えてまで抵抗しようとする人はごく少数派です。

 資本は本来国籍とは無関係なものですが、支配される国家はいくつもの主権国家に分かれていますから、現実には国家資本主義という形をとり、その(国家の)間で植民地の分割や利権などをめぐって大小の戦争が繰り返されてきました。帝国主義という言葉は、このような状況をさして言われるのが普通だと思います。

 言うまでもなく、資本そのものは人間が作った機械とか道具みたいなもので、特別な悪意とか善意をもつわけではない。しかしこれを生産関係に導入して運用し始めると、人間は逆に資本の道具になってしまうという論理的必然があります。人間が道具になってしまえば、戦争でも環境破壊でも資本の命ずるままに平気でやります。人間から人間性を奪い去って、道具にしてしまうということが資本主義の持つ根源的な罪悪です。ですから上手に運用すれば良いではないかとは決していえません。上手にやるということはそれだけ罪悪が大きくなるということです。

 人間が物質的幸福を求める欲望にはきりがないのです。地球規模の環境破壊をいくら心配し、論議してみても、資本が政治と社会を支配しているかぎり、これは止まりません。ロシア革命後70年にしてソ連邦が崩壊し、他の諸国にもナダレ現象が起きています。多くの人々は「やはり共産主義が駄目なんだ」と思っているようですが、これは大変な心得遣いというものです。

 マルクスもレーニンも一個の人間として完壁ではありえないのですが、少なくともそこには「欲望の支配から理性の支配へ」という人間が人間として生きるための基本的な理想があります。

 物事の良し悪しと、成功か失敗かとは一全く別のことであって、はっきりと区別すべきものです。社会主義革命を推進した人々の方法論的な過ちは、帝国主義社会との関係存在という基本的な困難を考慮に入れてなお、許すべからざる罪悪を犯したといえましょう。

 私たちはいま、人類史の未来を左右する大きな転機に立っています。先人の失敗を教訓として、またあらゆる主義・イデオロギーの枠にとらわれず、根源的に自由な立場で現状を正しく認識し、批判し、めざすべき理想を模索しなければなりません。

 このような時期であるにもかかわらず、「理想を求めない罪悪」と「求めた理想を放棄する罪悪」についてすら、世界のどこにも論議が起こっていません。全人類は思考停止の状態にあります。かって、ニーチェは「神は死んだ」という言葉で人間性の回復を唱えましたが、私は今「人が死にかけている」と言いたいのです。

運動の現状とファントム訴訟
 我々は客観情勢の不利と力不足のために、基地開設を阻止しえなかったとはいえ、生活環境の回復と平和日本を希求するものとして、あくまでも基地撤去にむけてたたかい続けなければなりません。そのために新機種の配備・日米共同演習・航空祭行事など、事あるごとに抗議行動をとり、同時にそのことを市民各層に訴え続けてきました。

 そして、1975年9月、F4ファントム機の配備を目前にして、第1次原告12人をもって小松ファントム訴訟を金沢地裁に提訴しました。これは自衛隊基地にたいする初の民事訴訟として、大きく報道されたのでご承知の方も多いと思います。請求内容はF4ファントム戦闘機の離着陸差止と騒音被害を出している不法行為にたいして「国家賠償法」による過去及び将来分の損害賠償です。

 提訴の直接目的は被害の増大を避けるためにF4ファントム機の配備を阻止することと、当然の権利としての賠償請求ならびに自衛隊にたいする憲法判断を司法に迫るということです。間接的には周辺住民の蒙っている被害の実態と憲法に違反する再軍備の犯罪性を全国民に訴えて、統合的反戦運動を構築する一助にとの願いに立つものです。1983年には318人の第2次原告団も結成してたたかってきましたが、3月13日、16年目にしてついに判決を迎えました。ひとことで言って反動判決であります。

 第1審反動判決を弾劾するファントム訴訟をたたかい始めて、19年になります。1991年3月22日に判決がありまして、新聞でも大ききく報道されましたので、だいたいご承知だと思います。

 それは大阪空港あるいは米軍の厚木・横田基地などにたいする騒音公害訴訟への判決と大同小異でして、損害賠償は認められたものの、ファントムの飛行差止めは認められませんでした。私達の生活環境を守るためには、どうしてもファントムの飛行差止めが必要です。これ以外に騒音公害をなくする方法はありませんから。肝心なことが全部退けられ、承服しかねる判決です。したがいまして、3月25日に控訴の手続きを取り、12月20日に名古屋高等裁判所金沢支部で、第一回の控訴審がおこなわれました。

 今度の判決の問題点は、私達が求めていた自衛隊についての憲法判断が全面的に避けられたことです。裁判官が憲法判断をしない理由を「自衛隊のトラックが街を走っていて、交通事故を起こして、相手方に被害を与えた場合に、その訴訟では自衛隊が憲法違反であるかどうかを論じる必要はない」というものです。非常に乱暴な論法でありまして、こういう論法がまかりとおると「違憲立法審査」が一切成り立たなくなります。全てが門前払いになり、非常に重大な問題です。

 もう一つは、周辺住民に非常に大きな騒音被害をかけているにもかかわらず、「公共性」のためにはやむをえないといって、退けています。つまり公共性とは公共の福祉のことです。福祉とは「欲望の充実」ということです。人間が生活していますと、いろいろな欲望が生れ、この欲望をできるだけ充足することが福祉ということですから、多くの人の欲望を充実させるためには、一部の人が迷惑を被ってもやむをえないという論法です。欲望は際限なく起きるものでして、そういうものが人権を侵害してもよい言えるのでしょうか。公共の福祉という場合、本当の意味での福祉とは何かということを問い直さねばならないのではないでしょうか。

 関西新空港や成田空港の「公共性」は、あの大きな空港がパンクするほど海外旅行に出かける人がいるということです。そのために空港を作り、周囲の住民に大変な迷惑をかけ、人権を侵害しているのです。こういう問題を、今回の判決が表現しているのです。

(一九九四年「小松の空から、朝鮮侵略のファントムを飛ばすな」より)
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