9月1日、林えいだいさんが亡くなった。
一面識もないが、かつて一度だけ、林さんの仕事をしたことがある。
梅軒(尹奉吉)研究会の機関誌『キョレイ(はらから)通信』第8号(2004年)に林さんから原稿「樺太転換坑夫」が送られてきて、その校正をしたことがあり、何となく親近感を感じてきた。そして、1カ所だけ誤植をしてしまった悔しさを今でも引きずっている。
とはいえ、林さんがなした大きな仕事に一かじりもせずに今日まで来てしまった。
訃報を読んで、思い切って石川県立図書館を訪問した。林さんが監修した『戦時外国人強制連行関係史料集』全巻が揃っていることを知っていたからだ。
とりあえず、「Ⅱ朝鮮人1上下巻」2冊を借り出してきた。2冊で13センチもあり、読むのか、見るのか、はたまた積んだまま返却することになるのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/52/a0ab480b734292d051a715b0c34b64d5.jpg)
一面識もないが、かつて一度だけ、林さんの仕事をしたことがある。
梅軒(尹奉吉)研究会の機関誌『キョレイ(はらから)通信』第8号(2004年)に林さんから原稿「樺太転換坑夫」が送られてきて、その校正をしたことがあり、何となく親近感を感じてきた。そして、1カ所だけ誤植をしてしまった悔しさを今でも引きずっている。
とはいえ、林さんがなした大きな仕事に一かじりもせずに今日まで来てしまった。
訃報を読んで、思い切って石川県立図書館を訪問した。林さんが監修した『戦時外国人強制連行関係史料集』全巻が揃っていることを知っていたからだ。
とりあえず、「Ⅱ朝鮮人1上下巻」2冊を借り出してきた。2冊で13センチもあり、読むのか、見るのか、はたまた積んだまま返却することになるのか。
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