アジアと小松

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小松基地問題研究会

20220116 全逓労働者 川上さん追悼

2022年01月16日 | 思い出の人
川上さん追悼

 昨年(2021年)9月に元全逓金沢の川上洋次さんが亡くなった。この10年ほど、事情があって、会わずじまいだったが、私より5つほど上だから、80歳か。

 川上さんは中学卒業後、臨職で金沢郵便局に採用され、全逓による正職員化のたたかいのなかで、正職員となった、生粋の全逓労働者だった。

 いつのころからか記憶にないが、まあ、いつも一緒に活動していた。1991年5月北陸労組交流センター結成に参加し、5人の運営委員のひとりとして活動していた。

 北陸交流センターの機関誌として「怒りをともに」を1990年9月(第7号)から1997年4月(第42号)まで編集していたが、そのバックナンバーを見ると、川上さんは、第11号(1991.6)「北陸でこそ、4・28被免職者を守りぬこう」(注)、第12号(1991.8)「全逓北陸地本大会報告」、第18号(1992.10)「4・28連絡会とともに、原発・侵略に反対する全逓労働運動を」、第23号(1993.9)「全逓こそ、権利闘争の先頭に」、第24号(1993.11)「能登(志賀)原発の差し止め判決を」、第26号(1994.3)「能登(志賀)原発の差し止め判決を」、第32号(1995.7)「日没までに配達を終えたい」などを投稿している。

 「日没までに配達を終えたい」を転載して、川上さんを追悼する。
 
第32号(1995.7)「日没までに配達を終えたい」
 金沢中央郵便局には、郵便外務労働者が約150人います。郵便外務労働者にとって、11月から2月にかけての冬場はみぞれや雪が降り、その上早く日が暮れてしまい、大変辛い季節です。

 郵便外務労働者にとって、この季節は、配達が日没までに終わるのか、終わらないのかが、決定的な意味を持っています。日没を過ぎても郵便物が残っていれば、暗くて宛名が読めなくなります。どうにか1日の労働の最後に近づき、疲れ切っているのに、日没にかかると、バイクのヘッドライトに郵便物をかざしては宛名を確認して、配達しなければならず、非常に能率が落ちてしまい、しかもその結果残業が長引き、二重・三重のダメージを受けます。さらにみぞれや雪にでもなれば、最悪の状態になります。

 そこで多くの郵便外務労働者は「日没」を強烈に意識し、日没までに配達を終えるために、あがきにあがきます。始業前に出勤してサービス残業をやります。正午から1時15分までの休憩・休息時間をつぶして、サービス残業をやります。管理職に強制されて、しぶしぶ従っているのではなく、「自発的」に労働時間以外の時間にサービス残業をして、日没にかからないよう懸命に働いています。

 郵便外務労働者150人のなかには、肉体的・精神的にハンディキャップを持っている労働者もいれば、肉体的・精神的に優位性を持っている労働者もいます。150人のうち、何人かは始業前から働き、休憩・休息時間を返上して働いても、日没にかかり、毎日のように2時間前後の残業をしなければ、「完配」が困難な労働者がいます。彼らは毎日を「いつ身体がつぶれるのか」というギリギリのところで働いているにもかかわらず、肉体的・精神的に優位性を持っている労働者からは、「仕事のできないヤツ」として、日常的に差別され、いじめられています。

 このように、過重な労働のなかで、すべての郵便外務労働者が苦しんでおり、その泥沼のなかからはい上がるためには、基本的人権や既得権まで返上し、サービス残業を繰り返し、より弱い労働者を差別し、いじめて「乗り越え」ようとしています。郵便外務労働者はまさに屈服と差別(いじめ)の底なし沼に踏み込んでしまったようです。

 職場状況がここまで来ているにもかかわらず、全逓本部は労使協調方針をとり、次々と当局の減員計画を承認し、一層の労働強化が進んでいます。支部段階でも腐敗が進行しています。組合の会議で、幹部が労働現場の実態を知らないことを指摘されたとき、「わしらは御用聞きじゃない」と居直っています。

 組合員の労働状況を調査もせずに、組合員の利益を守るための組合運動ができるでしょうか。もう連合全逓なんかあてにできません。本当に現場の労働者のための全逓に改革しなければ、私たちの未来には「現職死」しかありません。

                         (北陸労組交流センター・石川交流会での発言より)

(注)1978年年末・79年年始の全逓信労働組合(「全逓」)の「反マル生闘争」を理由に、1979年4月28日に、解雇3人、懲戒免職58人、停職286人をはじめ全国で8183人が処分された。処分撤回訴訟では、2004年6月30日、東京高裁は第1審の懲戒免職を取り消し、無効を確認する判決を言い渡した。2007年2月13日、最高裁第3小法廷は日本郵政公社の上告を受理しない決定をおこない、東京高裁の勝訴判決が確定した。
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