■恋の山手線 / 小林旭 (日本コロムビア)
日本語の歌でも意味不明というか、所謂ファジーな語感で楽しい雰囲気が満点といえば、小林旭が昭和39(1964)年春~夏に大ヒットさせた「恋の山手線」です。
それは説明不要、山手線各駅を語呂合わせ的に用いた恋の歌であり、喜怒哀楽を浮かれた調子でやってくれる、例の「旭節」が真骨頂に楽しめますからねぇ~♪
リアルタイムでは小学生だったサイケおやじにしても、ノーテンキに「恋の山手線」を耳で覚えて歌っていた頃が確かにありまして、思えば当時は東京オリンピックがいよいよ開催間近、日々様々な競技施設や関連建造物が完成公開され、またプロレスでは力道山亡き後の最初の大イベントであった第6回ワールドリーグ戦がスタートし、アメリカから凱旋帰国のジャイアント馬場が大暴れ!
そんなこんなの他にも前向きだった日本の春が、この歌のイメージと重なるのです。
もちろんビートルズ旋風が日本に襲いかかってくるのも、時間の問題でしたねぇ~♪
ですから、重箱の隅的なツッコミは不粋というものでしょうが、しかし今も気になっているのは、小林旭の「恋の山手線」と人気落語家だった柳亭痴楽の「綴方狂室・恋の山手線」は、どっちが早いんでしょうか?
全くの個人的な考えでは、小林旭の歌の作詞を書いた小島貞二は落語にも見識の深い相撲&プロレス評論家ですから、柳亭痴楽のネタが大ウケしていたのをヒントにしたと思われるのですが、それにしては楽曲クレジットに柳亭痴楽の名前が無いのは、これ如何に???
極言すれば、これは堂々としたパクリかもしれませんし、さらに勘ぐれば柳亭痴楽サイドからクレームが無かったとしたら、もっと別の共通の元ネタが存在しているのか???
と思えないことも……。
なぁ~んて、ついつい姑息な邪推をしてしまうサイケおやじは失礼千万、反省するべきでありましょう。
つまり柳亭痴楽は太っ腹な人であったというのが、真相なんでしょうねぇ~。
そして浜口庫之助の楽しくも大らかなメロディ、それを陽気に流すように歌う小林旭のナイスフィーリングは、この先千年たっても受け入れられると思います。
ただし、それまで山手線が存続しているかは、ちょいと確証を持てないのでした。