■Melancholy Man / The Moody Blues (Threshold / キングレコード)
今やブームというよりも、堂々の日常行為と認められつつあるのが、所謂おやじバンドってやつですが、じゃ~、それって何? と定義するのは一概に難しいと思っているのは、ひとりサイケおやじだけではないでしょう。
もちろんこれまでも度々書いていますが、すっかり中年者のサイケおやじ本人が若い頃の楽しみを取り戻すべく、機会があれば率先してそういう仲間に入れてもらっていますから、単純に考えれば結論は分かっているつもりです。
しかし「ロック=若者の音楽」という方程式が未だ有効だった1970年代において、三十路を過ぎてはやれないのがロックという音楽の真髄!
それが一般常識でありました。
ところが同時に不思議だったのが、例えば中期以降のビートルズが髭面になっていたり、ザ・バンドの如き連中が時代遅れのスタイルであったり等々、妙に老成することが意図的(?)に提出され始めたのも、その1970年代までの特筆事項だったんですねぇ。
う~ん、これはどうした事でせう?
もちろん当時だって、苦節○年なぁ~んていう下積みの長かったバンドは、既におっちゃん年齢を隠しつつもギンギラのロックをやるにはやっていましたし、些か加齢臭が強いルックスでそれをやるというミスマッチが逆に倒錯的面白さを印象づけてのヒットが、かなりあった事も間違いではありません。
でもねぇ~~~。
さて、しかし一方、やはりその頃が全盛時代プログレというジャンルは非常に便利というか、世間の常識を逆手に活かした落ち着きも、またロックの現在進行形として、その音楽性が優先的に評価されるのですから、 殊更ルックス云々に拘る必要もありませんでした。
で、例えば本日ご紹介のムーディー・ブルースは公式デビュー時こそ、英国流R&Bスタイルのビートバンドでしたが、メンバー交代による転進によって発表した「サテンの夜」の大ヒット以降は所謂プログレの先駆的グループとして君臨する事になりましたから、もう、何も言えないほどの屹立性は掲載したシングル盤のジャケ写からも一目瞭然でしょう。
あぁ、彼等をおやじバンドと呼ばずしてっ!!?!
これが1970年に発表されたアルバム「クェスション・オブ・バランス」からカットされた屈指の人気美メロ曲であり、アコースティックギターをメインにした哀愁のスローバラードが、ちょうどこの頃から導入され始めたシンセ系キーボードによって増幅的に彩られる展開は、まさにスーツ姿でなければ演奏してはならない雰囲気でしょう。
いみじくもジャケットのキャッチには「最もプログレロッシヴなグループである」と決めつける、まさに強烈な一言があるのも、なにか妙に納得されてしまうんですよねぇ……。
結局、おやじバンドには、おやじになってもやれる、あるいはそうでなければやれないというような、微妙で曖昧な色分けがあるんでしょうか?
もちろんサイケおやじは、未だにバンドをやる時にはTシャツ、皮ジャン、ジーパンにライダーブーツ等々の1970年代定番スタイルなんですが、これからは一丁頑張って、スーツ姿のAORもやってみたいと思わないこともありません。
ということで、外見に拘ってこそのロック魂もあるんじゃないか?
そんな結論らしきもので、本日はお開きと致します。