ほとんどの日本人は、羽生結弦がフリーを終わった時点で
銀でもしょうがない、と覚悟したに違いない。
パトリック・チャンの演技が始まると、「失敗してくれえ」と
念を送ったに違いない。
しかしチャンは期待どおりにはスタートしてくれなかった。
最初の4回転をコンビネーションで、いとも簡単に、しかも
出来栄え点がプラスされるような綺麗な降り方をしたのだった。
ここに至って、ほぼ全員、何とか2位を確保してくれ、という心境
にまで心理的モードは落ち込んだのだった。
だが、いろんな応援が功を奏して、チャンはその後、あれっと意外なくらい
ミスを繰り返すのだった。会場の日の丸の多さも、審査や相手の演技に
影響したかも知れない。
ショートで100点超えして思った。彼には他にも憑いているものがある。
それは一つは、パリの散歩道のゲイリー・ムーアだと思う。彼は1952年
生まれだから、ほぼ同じ(私と)年代。そして惜しまれながら急逝した。
その年が2011年2月6日。そう、あの震災の前の月だった。
あの世では、たくさんの人が亡くなって、団体でぞろぞろ魂が来る時は
迎えの人手が必要となるそうだ。ゲイリー・ムーアはそのために、あちら
で羽生の演技を見守りながら、震災の人々を待っていたのかも知れない。
そんなことを考えた。そして震災の地域を代表するのは羽生自身だ。
羽生には、東日本の有形・無形の人々が付いていたに違いない。
そうも考えた。そう考えたら、21時に、安心して眠ることができた。
私の特技は21時に寝ても、夜中の1時頃、目を覚ますことだ。
これは普段は困った習慣なのだが、今は違う。1組目が終わる頃
テレビをつけた。そうやって、寝る前考えたように、金を獲ったら
書こうと思ったことが書けた。これも運命かもしれない。
私がこういう超心理学的な考えに至った、ある出来事がある。
それも、近いうち告白することになるかも知れない。
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