「別れのサンバ」でデビューした長谷川きよしは、私の中でも強烈な記憶を持っている。最初は目が不自由なことで、ことさら印象に残った感があったが、その歌もまた旋律が素晴らしく、ずっと心に残っていた。
数年前に、京都に住んで今でもギターと歌が健在な事を知った。あの時も「別れのサンバ」と「愛の賛歌」を聞いた。そして今でもファンが結構いることに、驚いてまた心強く思う。その一人が椎名林檎であり、大竹しのぶだ。世代をまたいで両親の影響を強く受けているのが椎名林檎だ。彼女は「灰色の瞳」で長谷川きよしと共演している。一方、大竹しのぶは「死んだ男の残したものは」で迫力のデュエットを披露している。とにかく長谷川きよしの歌は研ぎ澄まされている。共演者は、その感性の鋭さにおびえるほどだ。そのくらいギターテクニックにも、発する声にも鬼気迫るものがある。「愛の賛歌」においても、美輪明宏に勝るとも劣らない。美輪明宏は紅白で歌った時、あのバイブレーションで動物まで感動させて話題になったが、長谷川きよしの「愛の賛歌」は歌詞でも圧倒している。
普通は岩谷時子の訳詩で歌われる。「あなたの燃える手で あたしを抱きしめて」そして、「あなたと二人で暮らせるものなら 何にもいらない」となる。ところが長谷川きよしの訳詩は、高校時代の演劇部顧問の訳詩だそうで、これで通している。最初から「たとえ空が落ちて 地が裂け崩れても」と来て、まったくナイーブさはない。そして、「おまえのためなら 陽でも月でも盗みもしよう おまえのためなら 友も裏切り国も捨てるさ」となる。これを闇の世界からメッセージとして受け取ったなら、心動かされない者はいないだろう。
このところ音楽を聞く機会が多い。コロッケの番組に秋川雅史が出てきて、意外な曲を歌っている。吉幾三の「雪国」だった。声楽家は、カラオケでこういうのを選択するらしい。朗々とカンツォーネで歌う「雪国」はもはや東北の景色ではない。2千メートルに満たない奥羽山脈が5千メートル級のアルプスにレベルアップして、もはや演歌とは程遠いものに昇格してしまった。それほど優れたメロディラインを持っているということだろう。吉幾三も草葉の陰で喜んでいることだろう。勝手に殺すなって?まだ元気だったか。
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