松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

秋田の竿燈は、ジャズなのだ。

2016-08-04 14:33:45 | 日記・エッセイ・コラム

 秋田の竿燈はジャズである。

 お囃子に注目してもらいたい。

 囃子は決して脇役ではない。竿燈が登場する時、流れる囃子は「流れ囃子」と言うそうだ。ゆったりとしたリズムを刻みながら、水平に持った竿燈が歩いて来る。演技が始まると「本囃子」に変わる。これは町内ごとに、微妙に音調が違うらしい。それでも演技する「差し手」の動作に合わせるように、強弱をつけ、演技を盛り上げる。最も高度な技である「腰」に移行する頃には、太鼓は連打し、笛は高音を強調し、時には尺八のように強く息を吐き、かすれるほどの力強い音を出して魅せる。

 この「差し手」と「囃子」の掛け合いが「ジャズ」なのである。

 すると観客は自然と「どっこいしょ、どっこいしょ」と手を叩いてエールを送る。

 何でもそうだが、実物は「見ると聞くでは大違い」なのである。大きい太鼓の出す音波と衝撃波は、観客の皮膚を貫き内臓へ至る。それが脳天を直撃し、「リズム感」と「メロディ」と「演技」の混然一体となった「総合芸術」に身をゆだねる。

 だてに国の「重要無形民俗文化財」を張っているのではない。このことを伝えてきて、これからも感動を伝えていくために、各町内は精進を重ねる。

 一時、ニュースの時間は必ず「過去最高の本数」をうたい文句にしていた時期がある。問題は量ではない。質である。神髄を極めた者だけが、伝統の技を伝える義務を負う。

 東北の夏祭りで、どれが一番か? 笑わせるんじゃない。他とはちっと違うんじゃい。文句があるならまんず、現場で見でがら、言ってもらおうじゃないか。

 という具合に、あたくしは日頃、考えたりしたりして、いるのでございますのヨ。ごめん、あさっせ!

 

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