法恩寺へ行って、確認して来た。羅漢堂の、あまた居る羅漢様の中に、確かにマルコポーロとフビライ・ハンは居た。
それで、なになに。この像たちは、享保年間(1735年頃)に京都の仏師たちにより造られ、当寺に迎えられた。
つまり京都では、五百羅漢の中にマルコさまとフビライさまが居るのは当たり前だったのかな。それは何を意味するの?
仮にも羅漢さまは、修行を終えた「聖者」様でなければならない。
単に東方への見聞録を書いた人物が、奉(まつ)られるはずがない。
一方でマルコ様は、ジパングに憧れを持っていたにも関わらず、中国まで来て引き返している。なぜ日本を目の前にして、海を渡らずに。人から聞いた話で満足したのか。
この二人のほかには、外国人らしいお顔の方は、何人か居たような気がする。
五百羅漢の本場、中国でも、西域の有名人と言えば、マルコ様とフビライ・ハンと。相場が決まっていたのだろうか。
いくらご本人の前に立っていても、真相を語ってはくれない。
羅漢堂の入り口に立っている観音様が・・。
妙に、なまめかしいのが、気に掛かった。
オレは、悟りの境地に達して、いないらしい。
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