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伊豆急行撮影満喫の日 前編【2018/4/22】

2020-12-22 22:13:13 | 鉄道撮影記
2018年4月22日。
伊豆急行の最古参車両100系クモハ103号が個人向け貸し切り運転を募集している旨を聞きつけました。
100系は一度は引退して車庫の入換車として余生を送っていましたが、2011(平成23)年の伊豆急行50周年記念事業として本線走行への復帰を果たしました。その後は幾度も臨時列車等で走っていたものの撮影したことが1度しかありませんでした。しかもその時は何かのついでで撮ったものでした。
当時既に、近々実施される伊豆急行線のATS更新に100系は対応できないらしくてそのまま引退するらしい・・・みたいな噂はまことしやかに流れていて(そしてそれは後に現実になったのです)、いい加減行かないとなぁと最近重くなってきたようなする腰を上げて伊豆へと赴いたのでした。

今回は電車で行きました。静岡駅7:00発の373系「ホームライナー沼津」2号で出発です。この電車は終点沼津に着くとそのまま普通熱海行に化けて熱海まで行くので、実に乗り得列車です。熱海から先東京方面へ行く際はグリーン車に乗り換えれば快適な鈍行旅を楽しめるので、時間が合う時はこれを使う場合が多いです。


373系で熱海まで来ました。なんとなくE233系3000番台(E-17)。


乗り換えるのはこちら。8:26発伊東線の伊豆急下田行。2100系(R4)黒船電車です。リゾート21は、よく減車しないで7両編成を堅持しているなと乗るたびに思います。


何度目になっても乗る時は少し楽しくなりますね。


しかし乗車時間は少し。伊東駅で下車します。
これは、閑散期に発売される伊豆急行線の乗り放題乗車券「伊豆満喫フリーきっぷ」を購入するためです。伊豆急行線全線往復が3,240円のところ、この切符は1,700円(当時の価格)で乗り放題となってしまうので、社員は算数できないのかと疑うほどの値引きになっています。その代わり伊東駅の窓口でしか購入できない縛りがあります。しかしそれを加味しても魅力ある切符なので、どんどん下車して買ってしまおうね。


どうにか切符を購入しました。
あの黒船電車の次発は9:00発伊豆高原行ですが、両者の間の時間は10分だけ。ただ一度改札外に出て窓口で切符を買うだけなので10分あれば間に合うんですが、同じことを考える人はいるものでして、既に何人かの鉄オタが同じ行動を取って窓口に並んでいました。鉄オタの前に並んでいる一般人が存外時間がかかっていたので間に合うかドキドキでしたが、結果はセーフセーフでした。これを逃すと次は26分後なのだ・・・。


東急テクノシステムの自信作の内装。私は割と好きですが、ボックスシートのうち約半分は車窓の相模灘ではなく戸袋の壁を眺めることになってしまうのは、ちょっと良くないよねと。なので私はロングシートに座ることの方が多い気がします。


富戸駅で2100系(R3)キンメ電車と交換。初めて見たけれども、あまり魚臭くなくて良いですね。


終点の伊豆高原駅に到着しました。併設の車庫には2100系(R5)「ザ・ロイヤルエクスプレス」が寝ていました。今日初めて遭遇したので少し見ていくことに。


例によって水戸岡鋭治の手による装飾がされています。水戸岡列車も予算によりピンキリだそうですが、これはピンの方でしょうね。車体が青いのはロイヤルブルーに引っ掛けているんだろうなぁくらいしかここから読み取れる情報はありませんでした。言うてそんなに時間無いですし。


伊豆高原駅を出て、下田方面へと歩いていきます。乗り放題切符なので駅を出て沿線撮りしようという趣旨。最短距離を抜けるためにこんな未舗装路も歩いたりして。


国道135号線と伊豆急行が交差する地点に着きました。ここから撮影しようと思います。この時間はまだ100系は動いていないですが、185系の引退も今やという状況でしたので豆に記録しておきます。


初めに来たのが8000系(TB-6)伊豆急下田行。伊豆高原以南で6両編成とは珍しい。所定の編成なんでしょうけども。


251系(RE-4)特急「スーパービュー踊り子」2号東京行。後追いです。
10両編成がぎりぎり入って一安心。この頃はまさか185系よりも早くに全廃されてしまうとは思いもよらず・・・。


251系特急「スーパービュー踊り子」3号伊豆急下田行。下り251系が撮れたところでここからは撤収。


伊豆高原への帰り際に185系(A8)特急「踊り子」伊豆急下田行と遭遇。


再び伊豆高原駅から乗車します。乗ったのは2100系(R3)キンメ電車の伊豆急下田行。


片瀬白田駅で下車します。片瀬白田で一つの地名だと思っていましたが、白田川を挟んで両岸に広がる片瀬と白田でそれぞれ別の地区なんですね。池尻大橋駅に近いですかね。


駅を出て下田方面へ歩いていきます。海沿いを走る電車を撮影できる例のお立ち台へ向かいました。初めての場所だったので最初は道順が分からず、少しの間国道沿いを歩いていたのは公然の秘密であります。
で、ぼけっと電車を待っていたら、100系が上っていったじゃありませんか。なぜ、どうして、ほわい。よく調べてみると、貸し切り電車の前に臨時列車「伊豆急100系水族館でんしゃの旅」として片瀬白田~伊豆急下田を往復していたんだそうな。なんで片瀬白田なんて半端なところから・・・?
今通っていったのは往路なので、この後また時間を置かずに復路が運転されます。知らんかったことでしたが撮影機会が1度増えましたのでこれを逃す手はありません。100系がやって来るまで待つことにします。


185系(A3)特急「踊り子」107号伊豆急下田行。お立ち台で185系を手堅く撮影です。


8000系(TA-3)も撮影。


185系(A8)特急「踊り子」106号東京行を後追いで。


そして100系クモハ103号。1両編成なので定番構図は使いにくいですね。ちゃんと撮っていないですが、特製ヘッドマークも付いていました。


片瀬白田駅に戻りました。意外にも有人駅でした。伊豆急行は意外と有人駅が多いのですよね。昼間だけの営業という駅も多いですけど。


ホームで電車を待っていると、さっき乗ってきたキンメ電車が折り返してきていました。


8000系(TB-2)に乗って次の撮影地へ移動します。

というところで今日はここまで。


後編へ→

A3000形の新車を撮影する【2018/4/15】

2020-12-08 21:54:36 | 鉄道撮影記
2018年4月15日。
静岡鉄道A3000形の第3・第4編成が営業運転を開始したので、見に行くことに。撮影地は音羽町駅の近くです。


A3000形A3001F。スカートと助手席側の戸袋に鉄道友の会ローレル賞受賞記念のステッカーが貼られています。この形態を走行中を撮影したのは今日が初めてか。


1000系1012Fは警報機と合わせて。


1000系1001F。


A3002F。


1009Fの後追い。


んで、新入りのA3004Fです。色はブリリアントオレンジイエローという長ったらしい名前をしています。乗客に覚えてもらう気がないでしょ。


A3002Fの返し。


こちらも新入りのA3003F。2017年度からは1度に2編成購入するようになりました。でないと、2019年度までに7色揃わないのだ。


A3003Fの色はナチュラルグリーンです。お茶の色がモチーフだそうですが、1番茶を刈り取る時の茶畑はもっと黄色っぽい緑だと思いにけり。


A3004Fの返し。黄色は遠くからでも目立ちますな。


1011F。ちびまる子ちゃんラッピングはこの先天寿を全うするまで外さないんやろな。





A3004Fの返し。


新静岡駅の近くへ移動して、出発するところを縦面で。ここだけ切り取ると少し都会っぽく見えないこともなく。


A3001Fが通り過ぎていって、もう運用を1周してしまいましたところで撮影を切り上げました。
おしまい。

大井川鐵道で花見満喫 後編【2018/3/31】

2020-12-06 21:34:57 | 鉄道撮影記
大井川鐵道の家山川辺りで桜と鉄道の写真撮影後、家山駅からSLかわね路2号で新金谷駅まで戻ってきました。
では今日はこれで解散・・・。


・・・ではなく、今日は第2ラウンドがあります!
この日限定の企画列車として「お花見夜桜SL列車」が新金谷~家山で運行されるのです。
家山の夜桜を楽しむために蒸気機関車で家山まで運んでくれます。夕方出発なので、事実上毎年冬に行われるナイトトレインの短縮版です。しかもこれはツアー列車なので、ビールにおつまみ、現地で使える引換券が付いています。
これに申し込んだところ席を取れたので乗りに行ってみた、というのが今日の真の目的だったのだ。


牽引機は定期かわね路で運用に就いていたC10形8号機。かわね路2号が新金谷に着いてから、せっせと機関車の方向転換と入れ替えを済ませて準備完了です。追加のシールドビーム灯が大井川鐵道での夜汽車牽引機の証です。


客車はスハフ43、ナロ80、スイテ82の3両。家山折返しなので、最後尾には復路用にE10形1号機も連結。なので展望車からの眺めがダメですが、夜だから関係ないか?



列車は18:00に新金谷駅を出発。我々が乗り込んだのは普通の座席車。
蒸気機関車のドラフト音と客車のゴトゴト出す音を聞きながら大井川沿いを遡上。



缶ビールとおつまみ。ビールがぬるくならないうちにとっとと平らげてしまいます。乗車時間は30分もないのです。


18:28、家山駅着。もう夕闇です。この後は20時までの90分間、自由行動時間になります。夜桜見物してもよし、呑み直してもよしです。


さながらナイトトレインです。三脚を持っていなかったので、びんみょーな写真ですが・・・。


山奥の田舎は暗くなったらシーンと静まり返るのが常ですが、今の時期の家山は書入れ時なので暗くなってからも活動しています。


灯籠が並んでいます。


家山川沿いの桜並木を眺めに行くことにします。露天は流石にもう閉めていましたね。


夜桜のライトアップの写真は、光源に色が左右されてしまうので青白っぽい桜になりにけり。写真撮影にはあまりなぁ・・・という。まあそこは撮影と編集の腕の見せ所なんでしょうけども、弊ブログにはそうゆう需要は無いと踏んでいるので特に何もしないで撮影して記事に載せています。


列車の定員は150名でしたので、それが夜の家山に放たれたことになります。結構散り散りになったのか、混んでいると形容するには程遠いです。これだと心静かに花見ができるので良いですね。


大した写真は撮れないなぁ。


月が見えていたのはよかったです。春ですねー。


手前の雲を照らすのが良いのだ。


乗車時にもらった食べ物の引換券を近くの飲食店で使っているとなんだかんだですぐに20時になりましたので、家山駅に戻ります。列車はいつの間にか1番線に移っていました。


帰りはC10は後ろ向きなので前照灯を点けている必要はないんですが、これは撮影者向けのサービスでしょう。あるいは尾灯代わりなのかもしれません。


夜間の運転台もかっこいい。


ローカル駅です。良いです。


帰りは20:14家山発で、20:44新金谷着でした。お手軽ナイトトレインという趣で面白い企画でした。この時期は寒くないしね。

これにて今日の行程は終了です。実はずっといたインプとその軍団はその後私を置いて帰ってしまったので、私は東海道線に乗って帰りましたとさ。

おしまい

大井川鐵道で花見満喫 前編【2018/3/31】

2020-12-05 23:37:14 | 鉄道撮影記
2018年3月31日。
大井川鐵道沿線の桜の木が見頃でしたので、友人共と花見兼SL撮影へ。友人とぼかしましたが、全員覚えている自信がはっきりとなく、記憶力の限界を感じています。そうは言っても友達少ないのでとりあえずアイツとアイツとアイツとアイツくらいしかいないんですけどね。少なくとも、青いインプに乗せられて拉致されたことは覚えています。
人間の写真を撮りたがらない、オタク特有の撮影癖が裏目に出てしまった格好です・・・。
桜の花はちょうど満開に近く、しかも晴天でしたので、ここ数年で一番のコンディションじゃないかと。


とりあえず家山川左岸にて、川を渡る電車を撮影します。
空には鯉のぼりが泳いでいます。これ、家山川の右岸から大井川の左岸にかけて延びているやたらスケールのでかいもの。吊橋レベルです。この地域ではかつてより吊橋をあちこちで架けてきたのですが、その時の経験が遺伝子レベルで刻まれているのかもしれぬ・・・。


最初は16000系(16002)の千頭行。
この大きさの写真だと分かりにくいんですが、桜の花びらが舞い散っていて結構きれい。


家山駅で列車交換した21001系(21003)金谷行。


蒸気機関車は少し凝った構図で。桜と鯉のぼりでは少し季節がずれていますが、春ですねーと分かりやすい写真かなと。
機関車はC10形8号機で、これは家山止まりの定期101列車です。


花見の季節は家山止まりのSL急行が3往復運行される、撮れ高の高い季節です。この日の臨時列車はC56形44号機牽引でした。


風向きが悪く煙が変な方向に流れてしまい、後進しているような写真に・・・。こればかりはお天道様次第なので仕方がない。


毎年この時期は蒸気機関車にブルートレイン「さくら」のヘッドマークを付けて運行しますが、この年は大鐵オリジナルのデザインでした。あんまり評判は良くなかったみたいですね。私もまあ、概ねその意見ですね。


西武鉄道から購入したE31形は去年秋デビューですので、桜の時期は初。この時期になると普通に補機運用に入ってバリバリ働いています。


場所を移動して、国道473号線沿いで撮影。臨時列車の折返しを撮影します。先頭はE34号機です。西武時代は客車を牽引した実績は確かなかったはずですが、それでも様になっていますね。


引き目でも撮影。
次の撮影は1時間以上空くので、この間に国道の桜トンネルにある茶屋で昼飯にありつきました。


臨時列車の3往復目は蒸気機関車と電気機関車の向きが入れ替わります。金谷へ戻る花見客が多い3往復目の復路を蒸気機関車牽引にしようという大鉄のサービス精神です。
なので家山行きの先頭はE34号機になるのです。


そして返しの新金谷行は流し撮りで!しかし、う~む・・・。


うむむ~・・・。


では金谷へ戻ります。行きの時はインプで拉致られましたが、帰りは鉄道です。家山駅は盛況で、これは確かに書入れ時ですね。


乗るのは急行かわね路2号です。牽引機はさっきも見たC10形です。


1年半ぶりくらいに乗りました。しかし家山~新金谷ではやはり乗車時間が短いです。また乗ります。

というところで今日はここまで。


後編へ→

遠州森あたりの散策 後編【2018/3/24】

2020-11-28 20:26:53 | 鉄道撮影記
森町での用事を全て済ませたもののまだお昼時だったことから、この後の行動について思案した結果、森町を静岡県道399号線と同63号線を北上して島田市家山に進出、大井川鐵道の撮影に興じることにしました。
で、途中の和菓子屋(大鳥居月花園)でお菓子を食べて昼飯とし、399号線を北上していくと「友田家住宅」という看板を見つけたり。どうやら古民家が保存されている模様。こっちに来ることもそう無いし、せっかくなので寄っていくことにしました。


駐車場に車を止めて、まずは外観から。茅葺寄棟造りの母屋があります。屋敷と言うには小さいですが、そこそこの大きさです。


空き缶で作った風車が田舎あるあるで、良いです。


お邪魔しま~す・・・。
母屋の右側には脇屋がありにけり。人気のある普通に現役の建物で、たぶん友田さんのお家だと思います。曖昧な言い方なのは、見学中にここを管理している人と遭遇しなかったので確かめることができなかったため。


この住宅は1973(昭和48)年に国登録有形文化財に指定されています。1983(昭和58)年には半解体のうえで新築当時の姿に復元されました。新築っていつなのよって話ですが、元禄年間に近所の元屋敷から移築してきたそうなってところまでは判明しています。なのだだいたい300年ちょっと前の新築です。側柱、側梁の一部はその当時からの部材が現存しています。
見学に際し、勝手口の横にある料金箱に見学料を入れておきます。


縁側と庭先。田舎の農家という具合ですな。頑丈そうな格子に注目。狼除けと呼ばれるほど頑丈なのだそうな。
縁側には布団が干されていて、この母屋が完全に博物館化しておらずまだ住宅として使われている機会があるんじゃないかということを匂わせていました。実際、希望すれば体験宿泊ができるみたいで、この布団はその人達が宿泊するときに使うものでしょう。
当時を保存しつつ現役の住宅として使うという状態はそそられるものがあります。実際に使い続けることが案外長持ちに繋がることが往々にしてあるので、いいことじゃないでしょうか。


蔵ですな。これは現役の雰囲気が漏れ出ています。


縁側から中の間を見ます。ここから見て右側に槍の間、左側に奥座敷があります。奥が広間です。広いですな。友田家は代々庄屋を勤めていたという話も納得です。


茅葺屋根が最後に張り替えられたのは2012(平成24)年です。それ以前1995(平成7)年にも張り替えられていますが、恐らくこの時に屋根を鉄板で覆ったと思われます。


そいでは勝手口からお邪魔します。土間です。土間のある家もめっきり減ってきた昨今です。屋外作業をする人には便利な空間だと思うんですけどね。


土間は今も使われていますね。杵と臼も使用感がありますし、年末には釜戸で炊いた米で餅つきをしているのかもしれません。


長年使われ続けた土壁や釜戸と、まだ真新しくも見える消化器や瓶ビールケースとの組み合わせは、似つかわしくないどころか却って長年本来の役割を果たしているようにも見え、やはり道具や建物は使われ続けてこそかな。


これは台所です。囲炉裏付き。囲炉裏の煙で茅葺屋根は長持ちするのだというのはよく聞く話ですが、この母屋の屋根は鉄板で覆われているので効果があるのかは果たして疑問です。
天井の蛍光灯は古く見積もって昭和末期あたりのものでしょうが、ああやって天井から吊るす電灯も最近はあまり売ってなさそう・・・。



囲炉裏です。


広間です。庄屋の家ということもあって、その昔は村(亀久保村)の寄合所としても使われていたそうな。


天井。


梁が立派ですね。


広間にある仏壇。


奥座敷。刀剣がありますね。友田家の起源は出雲国の刀鍛冶という言い伝えがあるので、その関連かもしれません。


室内はこのような感じでした。これにて退散。


古いランタン。


近辺には他の家も数棟あります。この近辺一帯が亀久保なのでしょうな。


横から母屋を見る。農村の古民家のゆっくりとした雰囲気を少しの間味わえました。


では川根方面へ。またこういう道を通るんだなぁ・・・。


家山を過ぎて北上し、徳山まで行きました。とりあえず駿河徳山駅で16000系(16002)を撮影。


普通電車もまめに記録しておきます。


蒸気機関車は、駅から歩いて少しのところにあるときどんの池から撮影。C56形44号機のかわね路2号です。この時期では恒例の「さくら」ヘッドマークを装着していますが、この年はオリジナルのデザインでした。そこら辺はまた別の日に。


後追い。電気機関車はE10形1号機でした。

撮るもの撮ったので、この日はこれにて帰宅としました。おしまい。

遠州森あたりの散策 前編【2018/3/24】

2020-11-27 23:13:53 | 鉄道撮影記
2018年3月24日。
700系新幹線引退の足音がそろそろ聞こえてきたな・・・小國神社一度行きたいんだよな・・・天浜線もご無沙汰だな・・・という色々な要因をひっくるめた結果、掛川、森方面へ行くことにしました。

朝、少し早めに家を出て、藤枝市のちっきんという店で朝ラーメンを食べていきました。うまい。
だいたいこの頃から、島田、掛川方面へ出かける際には早起きして朝ラーメンを食べてから目的地へ向かう流れが形成されてきました。今後にご期待ください。


ラーメンを食べたら、バイパスを走って掛川市まで行って、最初に東海道新幹線の撮影です。700系の余命宣告もそろそろだろうという時期だったはずで、すこしずつ撮影しておこうということです。
撮影地は、静岡~掛川間にある有名な撮影地。丸鈴製茶の近くのところです。
ここには7年前に300系J編成がそろそろ引退しそうだなーという時に来て以来です。当時は菊川駅から徒歩行軍してきましたが、今は自動車で来れてしまうので年を取ったな、大佐。

ということでまずはN700系2000番台X77。


同X79。


N700A系1000番台G12。
ちなみに700系の運用は知らないので、来るかどうかは運ですね。


700系0番台C55。
とか言っていたら来ました。しかもC編成ですしこれはラッキーでした。意外とあっさり終えてしまったところで、ここは撤収します。


次は天竜浜名湖鉄道へ。遠州森駅に来ました。駅舎と程なくしてやってくる列車の撮影です。


駅舎は国登録有形文化財指定です。昼間は有人駅のようです。


典型的な国鉄駅舎の間取りです。


列車が来ました。TH2100形(2114)の掛川行です。


下りも来ました。桜の木と一緒に撮りましたが・・・うーん。


列車の編成は、発車したところを撮影。先頭はイベント兼用のTH9200形(9200)です。1台しかいないこともあって、まともに撮影できたのはこの日が初めてでした。
後ろは通常のTH2100形(2110)でした。


駅前の桜の木。もういたるところで桜の花が咲いている時期でした。


次に小國神社へ来ました。駐車場の停める場所を少し探す程度には混んでいるんですね。
遠江国の一宮です。大国様を信仰している神社です。


境内はこんな感じ。


参道を進みます。太くて真っ直ぐな杉か檜が林になっています。ここらへんは出雲大社みたいな雰囲気がありますな。

鉾執社という神社に奉仕した社家を祀っているやしろ。


池は濁っているな・・・、神社の池でこんなに濁っているのは珍しいと思いますが。


橋の欄干はなんだか派手というかモダン。


宗像社というやしろ。


八王子社。別に八王子市は関係ないよ、知っていると思うけど。


謎社。


御神木だったもの。樹齢1000年以上と言われとりましたが1972(昭和47)年の台風で倒れてしまい、根幹だけここに奉安されています。


拝殿の前まで来ました。
入り口で車が多かった割に境内の人通りは少なくて、静かで荘厳な雰囲気を感じることができました。


拝殿です。やっぱり出雲大社っぽいな。しめ縄あるし。

拝殿で参拝して、神社を後にしました。
これで所期の目的は果たしたわけですが、まだ昼時で時間があるので他のところへ足を伸ばそうとおもいます。

というところで今日はここまで。


後編へ→

ヒロサワシティの保存車両見学 後編【2018/3/10】

2020-11-16 22:21:54 | 鉄道撮影記
ザ・ヒロサワ・シティに静態保存されている鉄道車両は見終えましたので、あとは落穂拾いですね。園内はよく見てみると自動車や二輪車を蒐集している建物もあることが分かったので、ついでに見ていくことにします。
その前に、この日やっている梅まつりの広場で焼き肉が振る舞われていたのでそれが無くなる前にありつきに行きました。ただで食べられる焼き肉ほど美味いものはないね。


まずこれ。園内の雑作業に使われている日産F22系アトラス150。ナンバーの付いていない私有地内の作業用のトラックです。80年代のモデルなのでまあ古いですな。


荷台には溶接機とエンジンコンプレッサを積んでいます。これもう、トラックはこれら機械の台車として使っている感ありますね。


これはダットサンD21系ピックアップトラック。これもナンバー無しの敷地内専用車。こっちは雑用に使われてそう。


場所を移動して二輪車が置かれているガレージの中へ。やたら台数がありますがな・・・。しかし六丸三にはバイクがわからぬ。


これは数少ない知っているやつ、カワサキZ1000Pの警察仕様。バイク本体ではなくこれのカウルとポリスの文字で認識できたんでアレですが。


ざっと見た感じでは古今東西集まっているという具合でした。分かる人が見たら楽しいのではなかろうか。


続いて車のガレージ。知っているのもちらほら・・・。


シトロエン2CV6スペシャル。2CVはフランス版大衆車と呼べるもので1949年から40年以上生産された乗用車です。実物は初めて見たけど、設計の割り切りが思い切り良いのが外観見ただけでも伝わってきます。


ジャガーX300系XJです。


ボルボ244だと思われ。やはりボルボは角ばっていなければ。


これはミニですね。


スズキジムニーだそうな。そうは見えないけど・・・。
ボンネットを改造したカトマンズ仕様なのだとかで。


これはランドローバー・シリーズIです。ランドローバーが最初に送り出したイギリス版ジープみたいな自動車で、軍用にも使われていました。これを見れるとは思わんかったです。


ボルボ・アマゾンです。正直知らない車。


シトロエン・Hトラックです。貨物用のバンですね。見た目が変わっているのでキッチンカーに改造されているのをたまに見ます。あとは、ダイハツやスズキの軽バンをHトラック風に改造したものもたまに見ます。


シトロエン・AKバン。ガレージ内で見た2CVの車体を大きくしてバンにしたもの。できるだけ大きい荷室を付けることを優先したんだろうなという設計です。見た目はあまり考慮されなかったと思います。それは2CV設計時も同じでしたから、逆に一貫性があると思います。


スパークカソという謎車。ググっても出てきませんでした。自作の自動車?


最後は飛行機。御存知セスナ172でした。尾翼に書かれている登録番号はJA3107で、これは朝日航空「いこま」として使われていたもののようです。


梅まつりですから、咲き誇っている梅も少し見ていきました。
これでヒロサワシティからは撤収しました。この話もこれでおしまいです。

ヒロサワシティの保存車両見学 中編【2018/3/10】

2020-10-26 20:03:21 | 鉄道撮影記
ザ・ヒロサワ・シティに静態保存されている鉄道車両を見に来た話をの続きです。
これは元キハ30形こと関東鉄道キハ100形102号です。前回の101号は国鉄時代に塗られていた朱色の首都圏色に塗られていますが、これは関東鉄道の前身の常総筑波鉄道時代の塗装だそうな。


ちなみにこの日はヒロサワシティの梅まつりがあって、車内も公開していました。通常営業日では車内は閉まっていると思います。


キハ100形の車内。模型クラブか何かが鉄道模型を走らせていました。


運転台。


もう1台はそのまま。キハ30は通勤気動車という特異な車両分類で、全席ロングシートなのです。大都市圏から伸びる非電化路線の通勤輸送に使われてきましたが、それらの路線は軒並み電化されてしまったので活躍の場が無くなってしまい、通勤気動車という分類も事実上絶滅しています。


次はEF81。こんなところに扉がドンガバチョと開いています。


機内はなんとがらんどうでした。台車のバネが微妙に浮いているように思えたのは、電気機器が撤去されて車体重量が軽くなっていたからかもしれません。


運転台。計器周りは新しい物に交換されている?


助手席(?)側。後付で追加された機器類が長年の運用を語っています。こういうのは年輪みたいなもので、私は好きです。どれが何の役割があるのかまではあまり関心ないんですけども・・・。


続いて北斗星の24系客車をば。これはオロハネ24形です。
化粧板が木目調なのが、上質感を出していますね。


ここはB寝台「デュエット」の下段部屋です。オロハネ24はA寝台・B寝台の合造ですが、デュエットだけの間取りの客車もあり、デュエットが編成中では最も多い種類の部屋でした。
しかし2人で過ごすにはちと狭いかな。特にベッドの部分はベッド同士の間の通路よりも天井が低いです。これはこの位置に上段部屋のベッドがあるため。デュエットは上段と下段を互い違いに配置することで定員を捻出する設計になっています。


こっちはデュエットの上段部屋。入ってすぐに階段があってそれを登るとベッドにたどり着けます。部屋は下段よりもきもち狭いように感じます。


高さがある分車窓の眺めが良いのと、隠れポイントとしてこの写真の後ろ側に位置するところに大きな荷物置き場があります。これは客車を貫く通路の真上にあるものです。なので下段よりも部屋が散らからずに済みそうです。ただし荷物を上まで持ち上げないといけないので、重いスーツケースとかだと大変だったでしょうね。


A寝台「ロイヤル」です。デュエットよりも随分広いですがこれで1人用です。北斗星では最上級部屋となります。前回も書きましたが、構造上揺れや騒音の少ない車体中央に部屋が配置されている点も、最上級部屋への配慮が伺えます。
洗面台、シャワー、トイレが室内に完備されているため、この部屋の中に引きこもって上野~札幌を乗り通すことも可能です。実際には食堂車に行くことになるでしょうからそうはならないと思いますけど。
この豪華さはアメリカの大陸横断鉄道の上級部屋や役員用のビジネスカーと似たようなものを感じます。いいですね。これは乗ってみたかったなぁと今更羨んでみます。


ベッド以外の腰掛け、展開式テーブル、テレビ、内線電話まであります。
内線は食堂車と繋がっていて、パブタイム中にルームサービスを頼めるのだそうな。
左奥にはシャワートイレといった水回りがあります。


食堂車スシ24形です。まあ普通。


こちらが厨房。


厨房の裏を通る通路です。


ロビーカーのオハ25形です。24系寝台車なのに寝台を表す「ネ」の記号がない変わった客車です。
窓の方を向いたソファーや腰掛けが余裕を持って並び、寝台客車譲りの高い天井が開放的です。ここでくつろげたら何時間も居着いてしまいそうです。アメリカの大陸横断鉄道にもこういったラウンジカーやドームカーが連結されていましたが、それに近いものです。
従前の通り、この客車には定員が無いです。東京~北海道を夜通し長距離移動する乗客が自席の寝台以外でくつろげるように誂えられた客車で、このロビーカー自体は運賃や食事代といったお金を生みません。そのせいか、あまり登板機会は無かったようです。北斗星が臨時列車化した後、連結されるようになって注目を集めた記憶があります。


最後はオハネフ25形です。豪華寝台列車となるべく大改造された客車が多い北斗星の中で、これは比較的原型の24系の姿を留めた客車です。
寝台は昔ながらの開放2段寝台が8区画。


いわゆる典型的なB寝台。
うんうん、生徒会の一存だね。


御存知、通路の折りたたみ式腰掛け。アムトラックやVIA鉄道にも欲しい。


車掌室。この丸いやつは手ブレーキ・・・?


続いて7000形マリンライナーはまなす。
座席が全て撤去されて場末のゲーセンと化していました。なお筐体は鉄道施設ではおなじみの電車でGO!。



運転室の後ろの側窓の大きいところは、ロングシートのソファが並んでいます。これは現役時のままですね。
運転室後ろという特等席の座席をこの配置にするのはあまり見たことがないですね。逆に最後尾に連結される展望客車だとよくある配置ですが。


運転台。ダッシュボードがクソ広い。


もう1台の車内は場末のデパートの屋上と化していました。ゲーム筐体や遊具の保存も狙っているんじゃなかろうか?


ケバい色使いの新幹線や国鉄特急。JNRのロゴが左右反転しているのは商標対策?と思いましたが、反対側は正常だったので単純ミスと思われ。


EF37くん。そんな電気機関車はおらぬ。奥の緑帯のやつは山手線だと思います。

というところで今日はここまで。


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ヒロサワシティの保存車両見学 前編【2018/3/10】

2020-10-25 19:50:12 | 鉄道撮影記
2018年3月10日。
茨城県方面へ用事があったので出かけたわけですが、その道中で筑西市にあるザ・ヒロサワ・シティに寄ることが出来ました。
クソ広い私有地にゴルフ場やオフロードコースや農園等々を整備しているようです。一応テーマパークの範疇なのだそうですが、一見しただけでは何をやっているのかよく分からないという場所です。
ここ数年は、引退した鉄道車両を集めて保存展示している鉄道保存施設として鉄道オタクの間ではにわかに注目を集めています。しかし駅からは遠い。
現地に行ってみて分かったことですがクラシックカーやクラシックバイクを以前から蒐集していたようなので、その延長なのかもしれません。今度はプロペラ旅客機を収蔵するようです。金が余っていて、使わないと仕方ないのかもしれません。


これは2018年当時の様子です。2020年現在はこれらに加えて新幹線と蒸気機関車が増えています。


とりあえず一番撮影しやすいものから。
調べてみるとそこそこの台数が保存されているけどJR系博物館には一切保存されていないので地味なことで私に知られる、キハ30形が保存されています。
キハ30は国鉄の気動車ですが、これは関東鉄道で中古車として使われていたものです。なので地元選手ですね。関東鉄道ではキハ100形101号という番号だった模様。


反対側へ。JR東日本のEF81形138号機が「北斗星」のヘッドマークを掲げています。
なんだかんだ私としてはこの赤い車体に北斗星の青いヘッドマークがEF81には一番似合っているなと思います。そういう世代なのです。


EF81のDT138台車。少しバネが浮いているような・・・という違和感がありましたが、後にその正体が明らかになります。


国鉄の電気機関車にしては台車がスッキリとしている気がします。少なくとも設計の原型になったEF65よりは簡易的。


ATS車上子とか。


中間台車のDT139。なんか違うんかと思いますが、たぶんコイルばね周りが違いますね。


後ろには客車が繋がっています。連結器はもちろん、配線も繋げているのは良いです。


で、EF81の後ろには24系寝台客車が実に4台も繋がっています。Nゲージのスタートセットみたいな感じですが、これだけ繋いでいれば編成単位の保存と言って差し支えないでしょう。ていうかすごい(語彙力)
ただし横の立ち木が邪魔で写真が撮りにくいのだ・・・。


オロハネ24形551号。1人用A個室寝台「ロイヤル」2区画、2人用B個室寝台「デュエット」を7区画配置しています。
ロイヤルは車体中央に配置されていて、乗り心地に配慮されているのが分かります。


TR217台車。あー、なんだかんだいって旧客の流れを汲む客車の台車だなって感じですね。


スシ24形505号。御存知、485系の食堂車を転用した食堂車です。


電車の食堂車だったので屋根の高さが違うのだ、という写真。


食材を積み込むための業務用扉。基本的に乗客の乗らない客車なので客用の乗降扉を設ける必要はないのだ。


オハ25形503号。ロビーカーという、乗客がくつろぐための広間がある客車です。寝台や座席の無い定員0名という点が特徴です。つまりこの客車自体は金を生まないわけです。
北米の大陸横断鉄道だとこういうのがありますけど、日本にもこういう余裕のある客車を作っていたんだなぁ。


ロビーカーのロゴマーク。


オハネフ25形12号。
編成の端に連結される車掌室付き寝台車です。


ブルートレインの編成の保存もそうそう見当たらないので、貴重な例になりますね。


鹿島臨海鉄道7000形気動車です。初めて見ました。
茨城県東海村に建設された原子力発電所の見返り金を使って製造されたまさかの原発マネー気動車です。
車内からの眺望性を重視した観光列車で、快速「マリンライナーはまなす」として運転されていましたが晩年は検査切れになって動くに動けず放置状態で、知らぬ間に廃車になってここに移設されていました。
まさか保存されるとは思っていなかったので驚いています。


運転席の後ろの側窓は大きくなっているのですね。
こちらは7002号。


「マリンライナー」も「はまなす」も、当時は別の地域の列車で使用済みでしたので、正直マリンライナーはまなすという名前は微妙だったような。


こっちは7001号。これも編成で保存されているのすごい。


正面。
スーパービュー踊り子みたいだよなぁというのは初めて見たときから思っていたことです。

というところで今日はここまで。


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富士山と鉄道の写真を撮りに行く【2018/1/20】

2020-07-19 20:24:01 | 鉄道撮影記
2018年1月20日。
この日は天気が良かったので、ドライブついでに富士山と鉄道を写真を撮りに行ってきました。
まずは富士川左岸で東海道新幹線を撮影に行きました。・・・が、ドン曇りで富士山は何も見えないじゃん!


雲が晴れる動きも無いので、ここは一時撤退します。N700系しか来ないし。


次に行ったのはJR身延線・竪堀~入山瀬間の潤井川右岸で撮影。身延線の撮影地を覚えておきたかったので。
とりあえず373系(F1)特急「ふじかわ」1号甲府行。


上りの313系3100番台(V14)富士行。
ここも富士山が見える地点なんだそうですが、天気はダメです。


午後になったら雲が晴れるかもしれないという望みを掛けて、富士宮市の浅間神社本宮で時間稼ぎすることに。


まずは本殿にご挨拶。


水が水のようにじょぼじょぼ溢れてきてる神社だ。さすが富士山麓というか、水が湧いてくるところに神社を建てたんじゃなかろうか。水が先。


湧玉池です。


地下から湧いてきた水で出来た池だそうなので、透明感が高くてあとはとても冷たそう。


鴨型駆逐艦3隻の梯形陣。


かと思ったら単縦陣に移行。


対潜戦闘。


鴨だらけ。


鴨型駆逐艦甲。


鴨型駆逐艦乙。
久々に野鳥を撮った。

浅間神社を回り終えたらちょうど昼前なので、昼飯を食べてまた時間稼ぎしましょう。



市内にある「伊東」という焼きそば屋で富士宮やきそばを食べてきました。大盛りにしてもペロリだね。うまい。


焼きそばだけじゃ足りなかったのでおでんも。


富士山世界遺産センターに寄ってみました。建物が逆さ富士になっていて、水鏡に建物を移すと富士山になるという凝った設計。


富士山状の円錐は半分が建物に埋め込まれています。
有料の見学施設があるんですが、ここに着いた時にはついに雲が晴れていたのでそれを見学するのは止めにして、撮影を再開すべく富士市へ戻りました。


おなじみ、東海道新幹線の決算の場所へ。かすかにガスっているけどハッキリと富士山が見えてます。


・・・すぐに雲が出てきた。N700A系。


引退前の700系も運良く来ました。


N700系。山頂にでかい雲が掛かってしまったのでこれにて撤収。


最後にまた富士川右岸に行って撮影。移動している間に結構ガスっちゃったね。N700A系。


N700系で締め。お家に帰りました。

おしまい