日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

アドレナリンで痛みを抑えた!

2008-08-22 09:57:01 | Weblog
 昨日、女子ソフトがオリンピックで金を取った。アメリカに負け、オーストラリアにきわどく勝ち、そして、再びアメリカと決勝戦で対決して、今度は勝った。その3つの試合を全て見ていた。相手のエラーにも助けられたが、しかし、まあ、最後までよく頑張ったなあと思うし、正に、気力とチームワークだなあと思った。
 表彰式では、オーストラリアの選手がニコニコしていたのに、アメリカの選手は、浮かぬ顔だった。
 上野投手等が、余り眠っていないはずなのに、朝早くから、3つの民放に出演していた(最後は、朝ズバだったが、まだ、あちこちで顔を出したと思われるが)。
 連投している上野投手の右手中指の先が、皮がむけている。が、それを気にしていると投げられないので、それを無視して、アドレナリンで治療して(テープなど付けずに)、投げたと言われていた。
 8月14日、盆踊りで太鼓打ちに行った時に、毎年アチコチで打っている尾崎さんと言う人の手を見せてもらった。昨年もびっくりしたのだが、今年も、皮がむけ、テーピングしている手が痛々しかった。それでも、人一倍力強く打っている。体は細く、どこからそのエネルギーが出るのかと思われる。
 彼は、佐伯に、延岡の「ばんば踊り」を紹介した。彼がばんば踊りの太鼓を打ち、彼の兄弟が踊りを広めた。で、今では、佐伯の盆踊りでは、佐伯のアチコチで、この延岡の「ばんば踊り」が流れている。
 上野選手の手を見て、彼の手を思い出さずにはおれなかった。


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オリンピック、ビッグ驚き3つ

2008-08-22 09:13:56 | Weblog
 8月20日のアメリカと日本との野球の試合で、6回表に、バッターが3人アウトになって、守りの日本側がベンチに引き上げる所が、引き上げなくて、そのまま続けていた。こんなこともあるのか、それも、オリンピックで。信じられない感じ・・・!
 開会式の時、かわいい女の子が歌っていた。しかし、これが、口だけパクパクだったとは、残念。そして、56の民族衣装を着た子ども達が登場したが、その殆どが漢民族だったとは。で、こんなこと、中国でよくあることとの説明がされているとは。信じられない感じ・・・!
 男子110mハードルで、アテネオリンピックの金メダリストで、中国の国民的英雄・劉翔選手が、痛みで走れないと100%分かっているのに、スタートラインに立っていた。そして、当然棄権。そのギリギリまで、それが出来なかった。土佐礼子選手以上に、痛々しかった。13億人の重みがずっしりと彼に覆い被さっていたのだなあ。

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オリンピック断トツスゴイの3つ

2008-08-21 08:53:55 | Weblog
  北島選手の平泳ぎの100mと200mの金、凄かったなあ。今日の朝、朝ズバに出ていて、「勝負脳」「全身剃毛」のことを知った。ずっと緊張しっぱなしだったと言われていた。泳いでいる時、ストローク数を数えていると言われた。100と200では、エネルギーの配分の仕方が全く違うはず。それを立派に成し遂げ、100は世界新、200は、自分の世界新を越えられなかったと言って少し残念がっている姿、ホントにスゴイなあと思う。
 18日、陸上の女子棒高跳びで、ロシアのエレーナ・イシンバエワが世界新記録となる5メートル05で金。前回アテネ五輪に続き2連覇を達成した。イシンバエワはこれまでに20回以上も自身が持つ世界記録を更新しているが、今回も自己記録を更新した。茶目っ気タップリで美人のイシンバエフ、これも凄いなあ。オリンピック出場直前に失恋したらしいが・・・?!
 それと、今日が誕生日のジャマイカの短距離走のボルト、昨日200mで断凸一番、しかも、世界新で100年は破れないのではと言われていた記録で、金をもぎ取った。先の100mの金でかつ世界新に続き、期待通りで、これも、ホントにスゴイスゴイなあ。本人は、記録よりも一番になりたいとのことで、200は、真剣に最後まで走った様だが(しかしその決勝では、向かい風で、しかも、走りながらの途中で、本人自身が、電子掲示板を見て、これはひょっとしたら世界新が出るのではと思って、最後まで真剣に走ろうと思ったと言っていたが・・・)。ジャマイカでは、このボルトの活躍で、ボルト記念日なる祝日を作るかも知れないとか?!

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大野事件、無罪・・・!

2008-08-20 17:01:39 | Weblog
 この大野事件の産婦人科医逮捕で、産婦人科への入局者が減少し、産婦人科をしていた人も、アチコチで産科をとり止める傾向になり、集約化が進み、田舎の多くの病院から、産科と小児科が消えてしまった。と言えば言い過ぎかも知れないが、(その面の関係者であれば)少なからず、その影響を肯定できるだろう。
 もちろん、最愛の娘さんを失った原告側の無念の気持ち、お察し出来ます。しかし、今の産婦人科医の状況も、多くの人が、ちょっとだけでも理解して頂けると有り難いと思います。
 つい最近、薬剤師さんを10年程してドクターになられた(4年目の)女性の医師と話しました。「いやーこんなにきついなんて、実際にしてみて、やっと分かるんですよ。薬剤師の時は、楽でした。給料も結構良かったし・・・」と言われていました。
 産婦人科医と一緒に、24時間+10時間労働をピッタリとくっついてみるといいかと思います。私が、忙しい救急病院で(24時間拘束されて一人小児科常勤医で新生児までして)働いていた時、あるMRの人が私の実態を知って、「先生と同じこと、1日でも出来ません。お金、いくらあっても、もういいです・・」と言われていたのを思い出します。
 スーパーローテートの新臨床研修制度がやり玉にあげられていますが、これはある研修医の死亡が発端となっているかと思います。
 私大病院の研修医の息子が、深夜遅く帰り、又、直ぐに病院から呼び出され、息子は不機嫌ながらも患者さんの為にだと思って出て行き、父親は患者さんのことだから仕方ないと思って、見送りました。しかし、働き過ぎて、過労死でなくなりました。
 私大の場合は、殊更給料は安く、激烈な過重労働でも研修医だからとのことで、月3万円前後!労働省関係に勤めていた父親が怒って国を訴えて勝訴。その結果、月30万円での労働基準法に守られた新研修制度ができたのです!!
 多くの産婦人科の勤務医はそれ以上です。家庭サービスなど、休みの日でも殆どありません。今回、そんな中でも1人体制の病院で一生懸命に地域医療に専念された医師が、最大限の努力をしても助けられなかった。100人分以上の輸血をしても助けられなかった。必死で助けようとして助けられなかった。その結果が逮捕。どうしても理解できません。それが 当然なら救急や産科をやる医師が日本からいなくなっても、不思議ではありません。
 同じ救急医療をしている医者として、今回、無罪になって、ホットしています。

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大学入試再考

2008-08-20 08:53:01 | Weblog
入試って、一体なんなんだろうか?入れる数は、決まっている。どんなに頑張っても、もっと頑張る人がいれば、入れない。そこでは、相手のことを考えて優しく生きる生き方よりも、競争で生き残る生き方を学ぶ。
 大学入試の問題、はっきり言って、あまり質が良くないのが多い。模擬試験の方が、良質な問題が多い。土台、大学の先生が中心になって、高校の授業内容をあまり熟知せずして作成する訳であるからして、いい問題は、作成しにくいと思う(大学で、たまたま、教養部の教授の部屋に入った時、旺文社が毎年出している大学入試問題集が置かれていたのには、ビックリした。大学の教官が大学受験の予備校に行ってバイトしている・・・今も、行われているのかな?)。
 東大や九大の入試問題は、良問が多い(作成するスタッフも、それなりに多いのであろう)。しかし、地方の大学入試の問題では、周期的に、内容のパターンの変化が見られること、多々ある(少ない作成者が、周期的に変わっている為と思われる)。受ける大学にどうしても入りたい場合、まず、入試問題を徹底的に研究しておくべきだと思う。九大を受けるには、九大に沢山合格者を出している予備校に、長崎大を受けるには、長崎大に沢山合格者を出している予備校に通うことである。
 いい成績を上げる受験生のタイプには、2つあると思う。本当に、実力があって、それなりに出来る人(この場合、受験では、時間不足になることが多いと思うが)。もう一つのタイプは、短い時間で、能率良く解ける様に訓練されていて、その為に、多くの問題のパターンを予め解いて熟知していて、それをきっかけに類似であることに気付いて、解いて行ける人である。つまり、受験テクニックに秀でている人である。
 こんなことを、幼稚園に入る前から、子どもに強いたり、中学受験や高校受験の段階で、既に、強いられている子ども達がいるかと思うと、ゾッとする(それで失っているものの方がはるかに大きかったと言うことに気が付くまでに、30年以上掛かるかな?)
 つい最近、団塊の世代で、○○大学医学部を現役で合格した人と話して、入試のことで花が咲いた。現役で合格していたその先生は、言った、「○○大学の今までの問題を解いていたら、殆ど、毎年同じ感じの問題が出ていて、私の時は、ほんとそっくりの問題が出ていて、ビックリした。」と。英数学館に教えに来ていた○○大学の数学の先生が、次の様に言ったのを、今でも覚えている、「今年の○○大学の数学の問題は、ちょっと変な問題で、難し過ぎた。来年は、そんことは、ありませんから・・・(こんなこと、大学の先生が予備校で言ってもいいのかなあ?!)」。
 ノーベル賞を日本で初めてもらった湯川秀樹氏は、高校の時、同級生に物理の授業をしていて、その教え方は、その学校の物理の先生よりも上手だったとか。京大受験の数学の試験で、湯川氏しか解けない問題があった。しかし、彼は、それでも受験に失敗して、一浪してしまった。
 マスコミによく出る京大の森名誉教授が、ある時、京大の数学の問題を作成する時の裏話を、次の様に言われていた、「まあ、この問題だと、8通りぐらいの解き方があるだろう、と思って、出題すると、何と、京大を受ける受験生だと、20通り以上の解き方が出てくる。で、ある解き方だと、途中で、行き止まって解けなくなってしまう。それでは、解けないんだよと思って、何人も採点して行っていると、数百人チェックし終えた所で、その方法でちゃんと筋道を立てて、解いている答案用紙に出くわす。こうなると、数学は、途中の経過が大切なので、多くの答案用紙から、前の途中の経過で終わっていた人の答案用紙を探し出して、それなりに点を上げることになる。」と。(試験の解答用紙って、大分県の教員採用試験みたいに、直ぐに廃棄処分になるのかなあ?後で途中まで正解だったと分かることなんてホントにないのかなあ・・・)
 受験勉強していて、面白いと思った教科は、自分の場合、数学だけだった。実際は、点数や順位を上げることが楽しみで、その結果として入試に合格することが楽しみで、頑張れた。2浪の時は、点数を上げる為に、古文も漢文も、英語と同じ様に、全訳して行き、授業中にそれを訂正していた。
 国語は、1年間や2年間では、本当の実力は伸びない。その基礎は、小学校時代であり、その中でも、読書力の差である。(私の場合は、小さい時からの読書力不足で、国語力は、今も、ない)
 英語は、結局は、最後は、国語力となる。英語の試験で最も要求される読みこなす力は、ただ、内容が英語で書かれているだけで、国語と同じ能力を見ていることになる。
 数学は、基礎である。公式の出し方など、教科書で、基礎を完全に叩き込んでおくことである(私はそうした)。本当の数学としての学問は、いろんな解き方を時間を掛けて考え出し、今まで考えつかなかった感じの方法で解けた時の喜びを感じることである。しかし、受験では、それは、許されない。速答出来る様に、側頭葉を使い、前頭葉を余り使わないで解く様に強いられるが・・・。
 社会や理科は、基礎をしっかりと理解して、楽しく勉強して行けば、そして、時間をたっぷりと掛けて勉強して行けば、誰でも、ある程度までのいい点数は、取れるはず。学校の方針で、主要三科目で時間を取られて、選択の社会理科に時間を沢山掛けられない状態では、現役では、消化不良で受験することになるだろう。
 いやいやながらしたことは、医学的にみても、受験が終われば、忘れてしまう傾向にある(大脳基底核の喜びを感じる扁桃体と短期記憶中枢の海馬が、強固に結び付いているからして)。人間は、大脳生理学的に、よく休み、よく寝、それに、よく運動すると、記憶力が良くなる(眠っている時に、記憶が脳で整理されて行く)。しかし、多くの県立の進学高校の様に、朝から晩までの詰め込み主義と睡眠不足では、非能率の状態となり、学問の真の面白さや、深く勉強していくことの楽しさや、やる気など、確実に喪失して行ってしまうだろう。
 ある一点で、全ての勝ち組と負け組を分けてしまう今のやり方には、どうしても、賛成しかねる。年に、2回の大学入試があってもいい。社会人がどんどん参加出来る大学になって欲しい。学問は、元々、面白いもの。その面白さを知らずして、学校を巣立ってしまう現実を、多くの関係者が、まず、反省してもらいた。
 その内、(アメリカの様に)大学を卒業して、教育学部や医学部や法学部に進学する様になるだろう。そうなれば、(日本の旧帝大を全てなくして、研究機関にして)大学間の差がない状態になるだろう(今のドイツの様に)。出来れば、自分の瞳がまだ黒い内にそうなって欲しいものだ。

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不登校と塾・・・

2008-08-19 09:39:51 | Weblog
 小中学生の不登校が多くなっている。特に中学生が多くなっていて、2007年度には、34人に1人の割合となっている。但し、これは、文部科学省の調査で、それでのあくまでも不登校を病気や経済的な理由以外で年間30日以上欠席した場合の統計である。その予備軍を入れれば、その10倍以上になるかも知れないかな?!不登校のきっかけに付いては、「本人に関わる問題」、「友人関係」、「親子関係」、「学業の不振」、「いじめ」の順になっているが、これはあくまでも、本人からの訴えではない。
 「個性を無視したカリキュラムの問題」「時代に即した教育制度の改革の問題」「知識偏重教育の弊害」「教育委員会の常態化した不正システム化の問題(一般の人を入れるべきである)」「親の教師に対する不信(教師の数が少ないことに起因)」「校長の権威の失墜(権限が与えられていない)」などの項目は、何故ないのかなあ?!
 簡単な話、思うに、学校が楽しくてしょうがなければ、不登校などはないと思うのだが。成績一辺倒で、受験を考え、競争させられると、面白くなくなるのは当たり前かな。楽しくない学校に無理矢理行かせようとする何て、子どもにとってスゴイ苦痛になるはずだ。子どもの責任にするよりも、子どもの目線に立って、根本的なことから変える必要があると思うのだが。
 又、それと対照的に、2007年11月の文部科学省の(公立校の)調べでは、この15年間で学習塾に通う小中学生の割合はさほど変化がないが、通信添削を受ける割合が全学年で上昇している。 
 通塾率は、小学生は、24%から26%に、中学生は60%から54%になっている。つまり、小学生の段階で、以前よりも、学校外の学習がなされていることになる。
 国語と算数・数学に塾が集中するのに、通信添削は、理科や社会も受けるケースが多く、小1~中1の8割以上が「学校の宿題や予習。復習の指導」に活用している。しかし、中3は約半数が「進学準備が中心」と答えている。 
 15年間もの長い間、文部科学省や官僚は、この異常な高い数値をちゃん把握してきているのに、何故異常な結果として、下げることに専念して来なかったのかなあ?!
 こんな状態の結果、今の日本、小学生の3割が、中学生の5割が、(高校生の7割が)学校の授業に付いていけない状態になっている。
 多くの子ども達、労多くして、報われない感じだ。

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土佐礼子・・・

2008-08-18 16:07:32 | Weblog
 土佐礼子、走る前からそれなりに無理ではと予想はされていたことだったらしい。野口の突然の棄権で、周囲の期待が大きかっただけに、突っ走るしかなかったのだろう。
 頂点に上り詰めると、その後の皆の期待は、頂点の維持となる。王者は、周囲に弱音が吐けない。孤独だ。周りの応援がかえってプレッシャーとなって本人を追い詰めてしまうことだってある。しかもオリンピックは、4年間がたった1日に集約されての戦い、しかも、決められたわずか2時間足らずの時間帯での勝負だ。
 1発勝負ってこと、人生では度々ある。受験だってそうだ。その時に最高潮に持って行けるかどうかだ。本当の実力と、その時の成績、100%一致している訳ではない。それも実力と言われればそれまでだが。 共産圏のある国では、国同士の戦いでは、その勝ち負けでその後の家族の生活費が決まってしまう例もある。そうなると、どうしても勝たないといけなくなるので、つい、ドーピングなど不正なことに手を出してしまうこともある。
 オリンピックを人口の多い国で見てみると、インドやブラジルやパキスタンやバングラデシュやナイジェリアなどは、世界の国別の人口の数では、ベスト10に入っているのに、メダルの数、少ない。発展途上の国々では、政府がそれなりに力を入れていないからだろう。
 一発勝負の世界は、入学試験なども含めて、精神的な面がかなり大きい。どうしても失敗が許されないとなると、過度に緊張してしまって、本来の力が出せなくなる。諦めて開き直った時、かえって、自分の本来の力が出せることが多い。
 失敗しても、それで、人格まで全てが否定される訳ではない。皆が優秀でも、勝負をつけないといけない。何事も、どんな局面になっても、考え方にもゆとりが大切だと思う。
 人生には、確かに、負けることの方が多い。若い時にいい負け方を沢山して、それ等を肥やして成長してきている人、強いなあ。


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人それぞれの生き方

2008-08-18 09:02:49 | Weblog
 ひとそれぞれの生き方があって当然だと思う。
 赤塚不二夫の生き方も、個性的だったなあ。「手術するとしばらく仕事が出来ないんで、それ、僕には出来ないんですヨ」って感じで言われ、禁じられている酒を飲みながら記者会見していた。自分のしたいことを貫き通して生きてこられた人、考えるに、本人はそれで幸せだったのではないかと思う。人間いつかは死ぬ訳だし、それに、彼の場合は、後世へ偉大な作品を残せているし。
 戦前の人に多いのだが(団塊の世代の人にもいるが)、いわゆる仕事人で、最後まで上のポストを他人に譲ることが出来なくて仕事をしている人がいる。それはそれでいいとは思うが、他の人が育たないこともあるし、突如、本人が不幸なことになった場合のことも考えておくべきじゃないのかなあ。
 一番大切なことは、寛容になることで、自分がその生き方だから、他人もそうであるべきたと主張すると、それは周りとちと問題になるかな。
 人それぞれの生き方がある。生きている内にいろんな世界を経験したいと思っている人もいれば、もう、いろんな煩わしいことにチャレンジしたくないって人も当然いる訳で、どちらがいいとか悪いとかの問題ではないと思う。仕事が好きでしょうがない人は、仕事に打ち込めばいい。趣味が主体で仕事が従と思って楽しく過ごせている人は、それはそれで、(他人に大きな迷惑を掛けてなければ)素晴らしい生き方だと思う。
 今は、人生80年だ。体力とやる気を維持して行くことが大切で、時には、ゆったりと休んで充電することが必要だと思う。いやな思いをしながら最初に走り過ぎると、体もやる気もその内になくなるんじゃないのかなあ(楽しんでしていれば、そんなことはないだろうが)。昔は確かに、高学歴であれば高収入が約束され、年功序列で終身雇用って感じで、サラリーマンに憧れる人が多かったが、今は、会社に忠誠心を尽くしても突如リストラされる時代で、家族を大切にした方がいいみたいだなあ(当たり前か!)。
 この暑い夏休みも、小学生から塾通いで一生懸命に勉強している人もいるが、それ、確かに間違っていますネ。試験なんて、車の免許みたいなもので、その時につじつまが合えばいい。それを、ずーっとその為にしているなんて、それも、何年間もしているなんて失うモノが多過ぎますヨ。世の中、いろんな人がいる訳だし、いろんな人とやっていかないと行けない訳だし、失敗も大きな目で見て上げることの方が大切だと思うけどなあ。
 高学歴で官僚になっても、世間の目は厳しく、当の本人もこんなはずでなかったって感じで苦しんでいるのが現状ではないのかなあ?!
 大学の教授にしても、昔は、皆の羨望の的って感じだったが、今は、退職後の就職先で悩んでいる教授も時にいるとかいないとか。
 医師の免許を持っているのに、一生懸命に研究に打ち込んでいる人もいるけど、医師不足の折、その体力を生かして救急医療などに専念した方がいいと思うのだが、いらんお世話かなあ。それだと、医学部でなく、研究一途の理学部などに行くべきじゃなかったのかなあ。もちろん、山中先生の様に、臨床でアイデアを見つけて、研究して多くの人を救える様な素晴らしい業績を上げている人が時にいて、驚かされることもあるけど。
 女性が医師や教師などの専門職の仕事人になると、それなりにいろんなハンディーがあるが、それは、前から予想されていることだ。それを覚悟で、女性は職業を選ぶべきで、もちろん、出産後の環境も周囲が整えて上げることも大切なことだが。しかし、多くの職場で非人間的に酷使されている男性の勤務状況も、早急に改善されるべきじゃないのかなあ。
 自分の机の隣りと斜め前には、自治医大出身の女性の医師がいる。その内科の先生(独身)も、その産婦人科の先生(独身)も、実に一生懸命にモクモクと仕事一途って感じで、働かれている。しかし、この熊本県、全国一、自治医大卒の勤務年限後の県内勤務率が、全国最低なのだ。
 経験して分かることも多い。経験しないと分からないことも多い。医師の世界では、考え方を余儀なく変更せざるを得ないことも多い。
 しかし、変更して生きること、それも人生で、それなりに意義深いと思えば、逞しく生きて行けるかな。
 自分の場合は、今からも、いろんな未知の世界へ飛び込んで、いろんなことを経験して、残り(今までの3分の1しかない?)余生を送りたいと思っている。




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予想外、しかし・・・

2008-08-17 23:07:38 | Weblog
 昨日は、夕方急に雨が降ってきて、肝心の自分の地元の供養盆踊り大会が中止となった。予想外だった。午前中は、晴れていたのだが、仕方ないなあ。メジロンダンスでの打ち方を入念に練習していたのだが・・・。
 今日は、熊本に行く前に、お茶の先生と会ってしばらく話そうとと思っていたのだが、10分足らずでお茶の先生と会えなく、電話で終わった。これも意外だった。
 佐伯から大分まで、立つことになるでしょうと駅員の人に乗る前に言われたので、覚悟していたのだが、意外にも、座れた(周囲の自由席がまだ空いていた)。
 大分のHISに行って、9月末のアメリカ行きの往復での切符を買った。オイルの高騰で、規定の料金以外に、別に2人で10万円以上も必要だった。これは、予想していた通りだったが。
 まだ熊本は暑いと思っていたが、熊本に着いて夕方ブラブラ家内と歩く時、意外と涼しかった。今年は、秋の訪れが少し早くなるのかなあ。
 マラソンで、土佐選手が途中で棄権してしまった。昨日の野球の韓国戦で、日本が負けたのは残念だったが、野口選手に続いて、土佐選手が棄権し、中村選手だけが走れたのは、ホントに予想外だったなあ。
 先のことなんて、神様以外は、誰にも分からない。
 この先、1日1日、精一杯に生きるしかないなあ。この結論にいつも達する感じだなあ。



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お産は救急。

2008-08-13 08:16:18 | Weblog
 ある日の夕方、急に児頭骨盤不適合(CPD)とのことで帝王切開があった。いつもの様に服を着替えて手術場に行った。元気な女の子が産まれ、病棟に帰り、説明をした。驚いた。大人10人近くが、処置室の近くまでスリッパも履かずに直ぐに来て、大声で叫んで喜んでいる。ナースも圧倒され気味(中国の一人っ子って、こんな感じになるのかな?)。
 初産で、母親も父親も実に若い。多呼吸がしばらくあるかも知れないなどといつもの説明をしたが、父親だけが、顔が異常に引きつっている。
 付き添いの人にいつも言っていること、「小さくて心配でしょうが、赤ちゃんは、赤ちゃん自身で生きる力がありますので、それを信じて下さい。小さな赤ちゃん、何も分からないと思うでしょうが、そんなことはありません。何も言えなくても右の脳が発達しているので、大人の雰囲気を察知して不安になりますので・・・」と。
 医療側にとっては、お産は、いつ何が起きるか予想が付かない。特に、生まれる直後は急変するので、不安と背中合わせの状態で取り扱うことになる。お産する方は、正常で元々って感じに思うことが多いかと思う。そこには、医療側と患者さん側に、大きなズレがあると思う。
 子どもの少ない時代、親の期待が大きいだけに、何かあったら大変だ。しかも、昔と違って、難産のケースが多くなっている。医療現場では、ベテランの医師も判断に迷うことも多い。結果論で攻められると、医療側のやり気まで奪われてしまいかねない(産科医の中には、訴訟を恐れて、分娩を避ける人もいる。統計では、産科医は、50年に1回の頻度で訴訟に巻き込まれいる。)。
 医療側が身を守る意味で万が一のことを強調し過ぎると、患者さん側を過剰に心配させることにもなる。
 今の時代だと、「今の所(!)は、特に問題はないですが・・・」との言い方しか出来ないなあ。しかも、言ったことをカルテに記載して証拠を残しておかないといけない時代にも既になってしまったかな?!

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