日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

土佐礼子・・・

2008-08-18 16:07:32 | Weblog
 土佐礼子、走る前からそれなりに無理ではと予想はされていたことだったらしい。野口の突然の棄権で、周囲の期待が大きかっただけに、突っ走るしかなかったのだろう。
 頂点に上り詰めると、その後の皆の期待は、頂点の維持となる。王者は、周囲に弱音が吐けない。孤独だ。周りの応援がかえってプレッシャーとなって本人を追い詰めてしまうことだってある。しかもオリンピックは、4年間がたった1日に集約されての戦い、しかも、決められたわずか2時間足らずの時間帯での勝負だ。
 1発勝負ってこと、人生では度々ある。受験だってそうだ。その時に最高潮に持って行けるかどうかだ。本当の実力と、その時の成績、100%一致している訳ではない。それも実力と言われればそれまでだが。 共産圏のある国では、国同士の戦いでは、その勝ち負けでその後の家族の生活費が決まってしまう例もある。そうなると、どうしても勝たないといけなくなるので、つい、ドーピングなど不正なことに手を出してしまうこともある。
 オリンピックを人口の多い国で見てみると、インドやブラジルやパキスタンやバングラデシュやナイジェリアなどは、世界の国別の人口の数では、ベスト10に入っているのに、メダルの数、少ない。発展途上の国々では、政府がそれなりに力を入れていないからだろう。
 一発勝負の世界は、入学試験なども含めて、精神的な面がかなり大きい。どうしても失敗が許されないとなると、過度に緊張してしまって、本来の力が出せなくなる。諦めて開き直った時、かえって、自分の本来の力が出せることが多い。
 失敗しても、それで、人格まで全てが否定される訳ではない。皆が優秀でも、勝負をつけないといけない。何事も、どんな局面になっても、考え方にもゆとりが大切だと思う。
 人生には、確かに、負けることの方が多い。若い時にいい負け方を沢山して、それ等を肥やして成長してきている人、強いなあ。


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人それぞれの生き方

2008-08-18 09:02:49 | Weblog
 ひとそれぞれの生き方があって当然だと思う。
 赤塚不二夫の生き方も、個性的だったなあ。「手術するとしばらく仕事が出来ないんで、それ、僕には出来ないんですヨ」って感じで言われ、禁じられている酒を飲みながら記者会見していた。自分のしたいことを貫き通して生きてこられた人、考えるに、本人はそれで幸せだったのではないかと思う。人間いつかは死ぬ訳だし、それに、彼の場合は、後世へ偉大な作品を残せているし。
 戦前の人に多いのだが(団塊の世代の人にもいるが)、いわゆる仕事人で、最後まで上のポストを他人に譲ることが出来なくて仕事をしている人がいる。それはそれでいいとは思うが、他の人が育たないこともあるし、突如、本人が不幸なことになった場合のことも考えておくべきじゃないのかなあ。
 一番大切なことは、寛容になることで、自分がその生き方だから、他人もそうであるべきたと主張すると、それは周りとちと問題になるかな。
 人それぞれの生き方がある。生きている内にいろんな世界を経験したいと思っている人もいれば、もう、いろんな煩わしいことにチャレンジしたくないって人も当然いる訳で、どちらがいいとか悪いとかの問題ではないと思う。仕事が好きでしょうがない人は、仕事に打ち込めばいい。趣味が主体で仕事が従と思って楽しく過ごせている人は、それはそれで、(他人に大きな迷惑を掛けてなければ)素晴らしい生き方だと思う。
 今は、人生80年だ。体力とやる気を維持して行くことが大切で、時には、ゆったりと休んで充電することが必要だと思う。いやな思いをしながら最初に走り過ぎると、体もやる気もその内になくなるんじゃないのかなあ(楽しんでしていれば、そんなことはないだろうが)。昔は確かに、高学歴であれば高収入が約束され、年功序列で終身雇用って感じで、サラリーマンに憧れる人が多かったが、今は、会社に忠誠心を尽くしても突如リストラされる時代で、家族を大切にした方がいいみたいだなあ(当たり前か!)。
 この暑い夏休みも、小学生から塾通いで一生懸命に勉強している人もいるが、それ、確かに間違っていますネ。試験なんて、車の免許みたいなもので、その時につじつまが合えばいい。それを、ずーっとその為にしているなんて、それも、何年間もしているなんて失うモノが多過ぎますヨ。世の中、いろんな人がいる訳だし、いろんな人とやっていかないと行けない訳だし、失敗も大きな目で見て上げることの方が大切だと思うけどなあ。
 高学歴で官僚になっても、世間の目は厳しく、当の本人もこんなはずでなかったって感じで苦しんでいるのが現状ではないのかなあ?!
 大学の教授にしても、昔は、皆の羨望の的って感じだったが、今は、退職後の就職先で悩んでいる教授も時にいるとかいないとか。
 医師の免許を持っているのに、一生懸命に研究に打ち込んでいる人もいるけど、医師不足の折、その体力を生かして救急医療などに専念した方がいいと思うのだが、いらんお世話かなあ。それだと、医学部でなく、研究一途の理学部などに行くべきじゃなかったのかなあ。もちろん、山中先生の様に、臨床でアイデアを見つけて、研究して多くの人を救える様な素晴らしい業績を上げている人が時にいて、驚かされることもあるけど。
 女性が医師や教師などの専門職の仕事人になると、それなりにいろんなハンディーがあるが、それは、前から予想されていることだ。それを覚悟で、女性は職業を選ぶべきで、もちろん、出産後の環境も周囲が整えて上げることも大切なことだが。しかし、多くの職場で非人間的に酷使されている男性の勤務状況も、早急に改善されるべきじゃないのかなあ。
 自分の机の隣りと斜め前には、自治医大出身の女性の医師がいる。その内科の先生(独身)も、その産婦人科の先生(独身)も、実に一生懸命にモクモクと仕事一途って感じで、働かれている。しかし、この熊本県、全国一、自治医大卒の勤務年限後の県内勤務率が、全国最低なのだ。
 経験して分かることも多い。経験しないと分からないことも多い。医師の世界では、考え方を余儀なく変更せざるを得ないことも多い。
 しかし、変更して生きること、それも人生で、それなりに意義深いと思えば、逞しく生きて行けるかな。
 自分の場合は、今からも、いろんな未知の世界へ飛び込んで、いろんなことを経験して、残り(今までの3分の1しかない?)余生を送りたいと思っている。




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