日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

日本語・・・

2011-02-22 17:43:14 | Weblog
 大学の英語の講義で、シェークスピアが書いた作品を、そのまま原語で読んでいたことがあった。現代英語と比較して、似た感じの所もあったが・・・自分にとっては、難しかった。
 ところで、日本では、シェークスピアの時代よりもはるかに昔の作品を学校で学び、大学入試にも、万葉集時代のものまでがしばしば出題されている。
 これが、ヨーロッパだったらどうだろうか?ヨーロッパの昔の作品を読むとなると、ギリシャ語を勉強したり、ラテン語を勉強したりして、大変なことになるのでは・・・?!
 英語は、5世紀に、ブリテン島に移住してきたゲルマン小民族が話す地域言語に過ぎなかった。その後、独自の発展を遂げて、英語の基礎ができたが、ブリテン島がたびたび外部の征服を受けていた関係で、英語は、長い間、被支配民の言語とされてきた。
 1066年のノルマン征服により、以後約300年間、英国の公用語は、英語でなくフランス語とされた。英国がフランスと戦った百年戦争が勃発すると、英語に対する国語意識が強まり、14世紀になって、フランス語を話していた英国の貴族が英語を話すようになり、1362年に議会の開会宣言が初めて英語で行われ、1399年になって、やっと英語を母国語とするヘンリー4世が英国王に即位するに至った。・・・→つまり、英国王が英語を話すようになって、まだ、600年余しか経っていないことになる。
 そんな英語が、今や、世界人口の4分の1近くまで話す言語になっている。(・・・←イギリスが世界各地で植民地支配をしてきたから?!)
 日本語のルーツは、どうなっているのだろうか?
 ある本には、もともと「縄文語」が存在していた所に、揚子江下流域からオーストロネシア語系言語の影響を受けて「弥生語」が形成され、そして弥生時代から古墳時代にかけて、朝鮮半島から朝鮮半島西部の言語の影響を受けて「古代日本語」が形成され、そして飛鳥時代に漢語、江戸時代末期以降に欧米語が入って現在に至るとある。
 又、別の本には・・・まず、疑われたのは、トルコ語、ツングース語、モンゴル語、朝鮮語などを含む「アルタイル語」。音節が母音で終わる、名詞に単数複数性別の区別がない、修飾される前に修飾語がくることなどが共通点としてあげられる。ナルホド・・・→トルコ語では、確かに、テニオハがあるし、ヨーロッパの人と違って、日本人には、習得しやすい言語となっている。しかし、発音が決定的に違うなあ・・・。
 現在では、「アルタイル語に代わる別の言語で、日本語に近いものを探す説」か、「アルタイル語以前にもっと古い言語があり、そこから日本語は別系統で派生したと考える説」の2つに分かれている。
 その中で、後者の研究から、「南インドタミール語説」も唱えられている。
 一方、日本語の起源は一つとは限らないと言う説もある。アルタイル語に極めて近い「古極東アジア語」という言語が存在し、そこに南からインドネシア系、オセアニア系言語が伝わり、更にビルマ系言語が大陸から伝来て、混ざり合ったもの、つまり、アジア各地の言語が合わさった「混合語」と言う説。
 ムーッ、APU(別府市にあるアジア太平洋大学)の学生さんの多くが異口同音に言っていたなあ、「大学での勉強、日本語が一番難しいデス!」と。(外国からの学生さんの話だと・・・→同じ漢字でも、読み方が沢山あるし、外来語のカタカナがそのままの発音になっていないので、とても難しい・・・?!)
 
*写真は、タミル語
参考図書:日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか 竹田恒泰 PHP新書 2011年1月発行
参考図書:学校で習った日本史が信じられなくなる本 歴史の謎を探る会 夢文庫 2010年12月発行

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クールウ・ジャパン(5/5)

2011-02-22 09:41:02 | Weblog
 日本と言う国、もう、2000年以上も続いている・・・?
 これって、世界の歴史から見ると、例外中の例外かな・・・!!
 世界で、そんな国、あるだろうか?日本に次いで長い歴史を持つ国は、デンマーク。それでも、千数十年で日本の半分でしかない。次の英国も、1000年に満たない。アメリカとフランスは、歴史が浅い。中国4000年の歴史と言うけど、今の中華人民共和国になってからは、60年程、ロシアは、もっと新しい。
 多くの東南アジアの国々が、第二次大戦後に独立している。今、デモで揺れているアフリカでも、それは同じ。
 日本も、3回、そんな危機があったかな?元寇の時、江戸時代の幕末の時、第二次大戦後の時、他国から領される可能性があった。下手をしたら、戦後日本が分割されて、ロシア語が日本の一部で強制されていたかも知れなかった(戦後、学校教育を英語一辺倒でしようと言う動きもあったのだが・・・)。
 日本に来ていた年配のポーランドの人が・・・→「ロシアが攻めて来て、それから、英語は使えなくなった。英語でなくロシア語を強制的にさせられた。それで、英語、今も出来ません・・・」と言われていたけど・・・。
 大和の国の字の中にも、偶然か、「和」なる漢字がある。正に、「和」を尊としとしてきた国、それが日本なのだ。「武士は食わねど、高楊枝」「武士の情け」「勝って奢らず、負けて挫けず」・・・日本の精神は、長きに渡って培われてきたものに違いない。
 自分が産まれたのは、昭和24年(昭和20年終戦)。貧乏なのに、産めよ殖やせよのベビーブームの真っただ中で、子ども達がゴロゴロしていて、外で元気に遊んでいた。
 そんな中で、海軍兵学校卒の海軍少尉の伯父から、よく、軍隊の事や戦争当時の話を聞かされていた。父も、しばらく(1年間?)陸軍にいて(伍長までなっていて、軍隊に残ることを勧められていたが、教育の世界に戻っている。)、当時の軍隊の理不尽さを私によく話していた。
 で、いつも子どもなりに不思議に思っていた。何故、天皇陛下の悪口を言わないのか?父だけでなく、天皇陛下の悪愚痴を言う人が、周りに、ただの1人もいなかった。
 大戦終了後、マッカーサー元帥が昭和天皇に会って驚いたのは、「この戦争の責任は全て自分にある。自分の命はどうなっても構わない。一億の民を飢えさせないで欲しい。」と言われたこと。(今のイスラーム社会での上の人の態度とは、正反対ですね!)
 現在、天皇陛下は、「日本の象徴」となっているが、長いこと、象徴的存在だったのでは・・・?!!
 歴史を紐解いてみると・・・大和朝廷にしても、実際は、物部氏や曽我氏などの豪族が政権を握っていた感じで・・・平安時代には、藤原氏による摂関政治が行われ、公家が政治を担う感じになっていたし・・・その後、平氏や源氏が台頭してきて、ずっと武家政権となり、それが、幕末の大政奉還まで続いている。
 日本では、今の125代目の今上天皇に至るまで、政権はしばしば変わっても、いつの時代も、決して途切れることなく、天皇が存在していた。そんな中で、摂政、関白、太政大臣、征夷大将軍など、天皇の任命でなされてきている。
 現在の内閣総理大臣も、今の天皇陛下が任命しているし、国会の召集、衆議院の解散、法律の公布など、重要な国事は、天皇の国事行為とされている。つまり、神事は天皇が直接行うのに対して、政治は、天皇が直接行わない感じで、来ている。
 日本の歴史上、民が天皇に逆らった話はない。
 小学校6年生の時に、担任の先生から、次の話を聞いた・・・(16代目の仁徳)天皇が高台に立つと、民家から煙が上がっていなかった。それで、民の苦しさを知って、しばらく徴税を停止させた。その3年後に天皇は再び高台に立った。煙が上がっていた。それを天皇はとても喜ばれた。・・・民が飢えたら天皇の責任、豊作などの吉事があれば、それは民の力・・・民の幸せが天皇の幸せ、天皇の宝は民・・・!
 大きな城の周りには、敵から攻められない様にと、大きな堀があるのが普通(秀頼は、堀を埋めて家康から滅ぼされた・・・)。京都御所には、掘がない。つまり、天皇が攻められることなんて、頭から想定してないのだ。
 2月14日(月)も2月18日も、篠笛で、「君が代」を演奏した。お年寄りの方々、待ってましたとばかり、殆どの人が、大きな声を出して歌っていましたが・・・!

http://www.youtube.com/watch?v=21ouqDSBDBE&feature=related

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20101116/2

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