日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

真央ちゃん、お疲れ様でした。

2010-02-26 16:13:45 | Weblog
 バンクーバー冬季五輪第14日の25日(日本時間26日)、フィギュアスケート女子のフリーが行われ、浅田真央ちゃんが合計205.50点で銀メダルだった。
 キム・ヨナさん、ショートプログラムと同様の演技で、女王にふさわしく、完璧って感じで、真央ちゃんが100%実力を出し切っても、キム・ヨナさんが上かなと思った程の出来だった。
 共に19歳、ほぼ同じ時期に生まれ、家族構成も似ていて、共に仲のいい姉がいて、この何年間か、デッドヒートを繰り返しながら、東洋人のこの若い二人が、気が付いたら世界の頂点にいた。誠に素晴らしいことです。(大拍手!)
 周りの凄いプレッシャーに打ち勝ってここまで来ている二人、WBCで日本と韓国の決勝戦での感動、あの時の思いと同じだった。
 真央ちゃん、フリーで2度のトリプルアクセル良かったです。キム・ヨナさん、歴代女子世界最高の228.56点、実に素晴らしかったです。カナダのジョアニー・ロシェットさん202.64点で3位、安藤美姫さん188.86点で5位、鈴木明子さん181.44点で8位、入賞8位の中に、日本人が3人もいる何て、それだけでも、スゴイと思います。
 真央ちゃん、ホントにお疲れさまでした。感動、どうもありがとうございました。
*写真は、(5年前に私が撮った)カナダのケベック。

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無 欲

2010-02-26 10:20:08 | Weblog
 無欲って言葉があるけど、4年前、荒川さんが金メダルを取った時、そんな感じに思えた。彼女自身、金メダルが取れるとは思っていなかったと思う。
 絶対取らないといけないと思うと、それがプレッシャーになって、本来の力が出せないと思う。オリンピックでの過去4回では、全て、ショートプログラムでの1位が、フリーで逆転されて、金メダルを逃している。4年間の努力がわずか数分の間に結集するかと思うと、どうしても、平常心が保てなかったせいではないかと思われる。
 真央ちゃんは、「自分の力を充分に発揮したい、・・・」って感じで言われていた。キム・ヨンサさんも、王女の貫録って感じで、自分の演技をすることを心掛けている様だ。
 私としては、韓国は、今まで5回も行っているし(又、行きたいと思っているし、それに、いつか、しっかりとハングルを覚える為に長期に滞在したいと思っているし)、カナダも2回行って、とても気に入っているし、2つの国共、大好きだ。
 皆、大きなミスなしで、自分の力をを出し切ってもらいたいって気持ちで一杯だ。
 で、まあ、結果は、どうでもいいかな?真央ちゃんとキム・ヨナさんが、高得点と名演技、それでいいと思いますよ。
 真央ちゃん、3回転の2回、成功祈っています。

*写真は、(5年前に私が撮った)ケベック。

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ワリス・ディリー

2010-02-26 09:05:05 | Weblog
 2年23日、フジテレビ系の番組『ザ・ベストハウス123』のスペシャル『放送123回記念!女は強いぜ2時間SP』の中で、ワリス・ディリー(Waris Dirie、1965年生 )の人生が取り上げられていた。
 ワリス・ディリーは、男尊女卑の激しいソマリアで生まれた。
 13歳で、ラクダと引き換えに60歳の男性と結婚させられる所を、母のお陰で、抜け出し、砂漠を命懸けで逃げ、首都モガディシュにたどり着き、母の妹に対面し、難を逃れる。
 たまたま、そこに来ていた駐英ソマリア大使が、ロンドンでのメイド探をしていて、そのチャンスに便乗して、必死に頼み込んでロンドン行きとなる。
 そこは、別世界だった。 女性が男性の為に常に犠牲になることはない。紳士の国イギリスでは、男性がレディーファーストの精神。働けば、賃金がちゃんと払われる。今まで、想像しても想像できない様な世界だった。
 初めて、自分の為に、自分が稼いだお金で、モノが買えた。そこでは、ソマリアとは全く違った世界で、驚きと感動の連続だった。
 大使が4年後に任期を終えて帰る時、自分も帰らないといけなかったが、ごまかして、ロンドンにそのまま住むことにした。しかし、身寄りが無くての一人での生活は、ソマリアの時とは、比べ物にならない程恵まれてはいたが、それなりに難儀した。
 マクドナルドの店員をしていた時に、たまたま、有名なカメラマンのテレンス・ドノヴァンに見い出されて、モデルとなった。活躍する場が、ロンドンからニューヨークとなり、そこでとうとうスーパーモデルとなってしまった。
 そんな彼女が常に気にしていたのが、ソマリアにいる母のこと。1993年に、二度と帰りまいと思っていたソマリアに行き、元気な母と再会する。
 彼女が書いた本の中に、以下の様な内容がある、・・・ニューヨークには食べ物も、その他のモノも、何でもある。人々はモノを持ち過ぎて、自分が何を持っているのかも分からない。私の両親は、自分の持っているモノは完全に把握している。ソマリアでは、ぎりぎりの食べ物さえ、ないことがある。それでも人々は元気で明るい。通りに出れば、みんな笑顔で話している。西洋の人たちは、いつも何か足りなくて、その足りない何かを探しているように見える。・・・そうですね、今の日本も、いろいろと反省するべき点、確かに、ありますね、食べ物の3分の1は、捨ててますから。
 その後、国連の特別大使に任命され、同じ様な境遇の人を救わんが為に活躍している。
 ムーッ、彼女の生き様は、(カーリングの)ヤーヤーって感じだが、・・・。この日、小林多喜二のことがNHKテレビで「蟹工船」の内容も含めて、紹介されていた。こんな感じで、死後も、公になって浮かばれた人は、いい。しかし、精神的にも肉体的にも、行き着き、皆に気にも止めてもらえない感じで終わっているヒトもいるのだ、・・・!


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%BC

http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&oq=&hl=ja&rlz=1T4MOCJ_ja___JP359&q=%E3%83%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%BC&um=1&ie=UTF-8&ei=gNCFS9KwJIGOkQXlpeh-&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBYQsAQwAA

*写真は、(5年前に私が撮った)カナダのモントリオール。

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