日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

さっぽろ雪祭り(5)

2010-02-09 16:50:40 | Weblog
2月6日(土)、札幌3日目。
 中島公園を挟んで、ホテルとちょうど反対側にある「渡辺淳一文学館」に行った。行く途中、積もった雪の上をサクサクっと音がしながら歩く感触、とても爽やかな感じ。犬が散歩している。カラスもいる。犬やカラスは、寒さに強いのかなあ?
 「(日本で正にトップクラスの建築家である)安藤忠雄」が造った「渡辺淳一文学館」、玄関が斜め線で、一本脚の鶴をイメージしていて、中もなかなか見ごたえがあった。
 親しくしていた高校の時の同級生(女性)の死、青年時に結核に罹患しての闘病生活、整形外科医としての医療活動、この3つが、彼の文学を不動のものにしたのではないだろうか。
 「仕事は本妻、文学は愛人」と言っていたのに、愛人が本妻になり、作家だけで生きることになっている。日本初の心臓移植手術の作品で、いろんな圧力を受け、医療界に嫌悪感を抱いたのではないだろうか?!医療を完全に捨てる時、母親の反対などで、それなりに苦しんでいた様だ。
 数多くの作品を次から次へと世に出してヒットさせている。2007年に「鈍感力」、2008年に「熟年革命」、2009年に「欲情の作法」、その3冊(3時間近くそこに居座って読んだが)、内容が過去のものとダブっている所が多くあった。と言うよりも、彼が言いたいことが常に一貫していると言うことではないだろうか。
 (国会議員の中で最も強いのではと噂されている)民主党幹事長の小沢一郎と囲碁で試合をして、互角に闘っている。正式に囲碁5段をもらっている。更には、同じ年に、将棋6段も、日本将棋連盟から正式にもらっている。今の渡辺氏にとっては、作家は本妻で、囲碁・将棋は愛人って感じになっているのかな?
 彼は、何をしても自分なりに極めるタイプだと思う。どの世界に入っても、それなりの頭角を現す存在だったと思われる。
 彼の札幌医科大学での成績証明書があった。8つの基礎科目では、良が4つで、可が4つとなっていた。12の臨床科目では、整形外科と産婦人科と皮膚科と放射線医学が優となっていた。当時の耳鼻科の卒業試験問題では、4つの簡単な問いに対して、4枚の西洋紙が配られ、乳様突起炎の症状について書けとか、副鼻腔炎の診断について書けって感じで、論文式の問題になっていた。(自分の大学でも、卒業時、こんな問題形式が半分近くあったかな)

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さっぽろ雪祭り(4)

2010-02-09 13:41:00 | Weblog
 札幌市は、地理が分かりやすい。札幌は、周りと比べると、比較的暖かい感じだ。氷点下10度は、珍しいとのこと。
 靴は、滑らない様に、それなりの靴を履いている。マフラー、帽子、耳を覆うもの、必須だ。乗り物や部屋の中では、普段のままでも一向に構わない感じだ。
 雪が降ったり止んだりしているが、傘も必須だ。が、傘をさしていない人が大部分だ。(危ないからかなあ?)
 氷の祭典、外国の人もたくさん来ているみたいだ。期間中、200万人と言うけど、往復の数は、一人として数えているのかな?それにしても、寒い中、人人人って感じだ。

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さっぽろ雪祭り(3)

2010-02-09 10:55:20 | Weblog
 2月5日(金)、札幌2日目。
 今日から、「さっぽろ雪まつり」だ。昨日は、部屋が暑くて、夜中にエアコン消した。しかし、佐伯の家よりも寒くなかった感じ(佐伯の自宅は、造りの関係で、とても寒い)?
 10:30に万全の構えでホテルを出た。ずっと歩いた。まず、「すすきの会場」を見た。まだ、造っている最中って感じのが結構あったかな。雪まつりも、後半よりも前半の方がいいよと言われていた意味が少なからず分かった気がした。
 そのまま先に進むと、「大通会場」があった。「大通公園」の1丁目から13丁目までが会場になっていた。凄い作品だった。感激!感激!ここまで来た価値あり!しかし、寒いし、雪も少し降っている(傘さして歩く)。
 北側を通って4丁目→13丁目→南側を通って13丁目→1丁目と行き、「さっぽろテレビ塔」の展望台に上がり、そこで、東西南北の写真を撮り、そこにあるレストランで昼食を摂った。
 その後、探すのに難儀しながらも「札幌市時計台」に行き、その後、「札幌市役所」にあるレストランで、ミルクティーを飲んで一息付いた。そこからNHKの建物の電光板見ると、「-10.0℃」となっていた。そうか、昼間に氷点下10度なんだ。手先が冷たくなるはずだ。
 その後、足も疲れた関係で、タクシーで、大通会場のちょっと先にある(15丁目)「○○寿司」に行った。ここは、地元の人もよく行く店で、実際にいつもそこに行った人から、「安くて、腹一杯、美味しく食べれる」と聞いていたので、行ったのだ。それも、19時からは予約が出来ず、かろうじて、17時~19時ならOKと言うことで、予約していた。市役所からそこまで、タクシーが(ラッシュで)ノロノロで、歩いた方が早かったかな?!
 予想道り、お客さんが一杯いる所で、カウンターごしに座って、満足して食べた(家内も満足そうだったかな?!)。
 その後、「大通会場」の南側を14丁目→2丁目まで歩いて、写真を沢山撮った。夜は夜で、又、素晴らしかった。
 その後、大通駅から中島公園駅まで、地下鉄で帰った。
 記念すべき1日であった。

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