日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

心筋炎

2009-08-06 15:51:30 | Weblog
 8月4日(火)の22時前、もう寝ようかなあと思っていたが、偶然にチャンネルを回すと、NHKで、5歳の女児が心筋炎で亡くなった後の医療訴訟の番組があって、仕事柄、途中で見るのを止める訳にも行かず、最後まで家内と一緒に見てしまった。
 途中で、これは、ドラマ?いや、事実だと自分に言い聞かせながら見ていた。見終えて、何か思苦しい感じになった。何故、天下のNHKがこれを取り上げたのか、その意図がよく分からなかった。亡くなった家族には、思ってもみない結果になって気の毒に思ったが、(自分も経験があるだけに)医療側も訴訟で大変だったろうなあと思った。つい、これで、又、小児の救急医療をしようと思う若いドクターが減る可能性もあるかなあと家内に言ってしまった。
 患者さん側は、真実を知りたいと言っていた。病名は心筋炎と、ちゃんと付いている。時間外にもちゃんと断わらずに診てもらっている。で、1審と違って2審の高裁で、医療側が負けている。何か割り切れない感じの内容だった。
 昔、救急で来て、よく分からないまま亡くなった子どものことが、又久し振りに、思い出された。深夜亡くなって、翌日に循環器内科の先生と話して、心臓病だったのではとの話になった。その子は、来院時、既に、ひどい症状だったので、親も納得してもらえたとその時思っていたが、来院時にさほどきつがっていなければ、訴訟になっていたかも知れないなあとずっと思い続けていた。
 深夜に心電図やレントゲン検査や血液検査、コメディカルの人にとっても大変だ。明らかに医療側の手落ちである場合は別だが、救急病院の場合、そこでの医療従事者の多くが、ギリギリのスタッフで精神的にも肉体的にも一生懸命に頑張っているケースが大半だ。そんな中で、医師の多くが、この裁判は納得できないと思っているとすれば、先の福島県での産科の事件と同じく、医療側が負ける判例は、やはり、おかしいと思う。
 小児科の場合は、訴訟まで行かなくても、トラブルは(小さなことまで含めば)しばしば起きていて、それも、時間外が多く(小児科の場合、科の性質上、急変が多いので、しばしば観察していないと判断を誤ってしまう確率が高いと思われる)、自分にしても、患者さん側とのトラブル、今でも、時にある(還暦を迎えた今の自分の場合、アルバイト医として、アルバイト期間中は、新生児と小児時間外患児を中心に診ているが、昔ほど重症患者さんが沢山いないので、トラブルが少なくなってはいるが)。
 小児科では、「腸重積症」なる疾患が時にあり、早期診断が要求される(そのままにしておくて、腹膜炎を起こして亡くなってしまう)。が、早期で診断が難しかったり、時には、整復中に腸が破けたりと言うことが皆無ではないので、そんなトラブルと背中合わせって感じになってヒヤヒヤしながら高圧浣腸をしているのが実情である。
 急変して来院しても、直ぐに高圧浣腸で整復した場合と、いろんな事情で非観血的に整復できなくて、とうとう手術になった場合では、手術して退院する時の方が、患者さん側から感謝されている様に思えてならない。
 (32年前の自験例では)土曜日の夕方から症状があったのに、土曜ということで親が我慢し、日曜の早朝に(県病に)来て、研修1年目の私が腸重積と診断した。オーベン(上司)の人を呼んで整復するも上手く行かず、部長がしても上手く行かず、手術になってしまったが、最悪なことに既に壊死していて、腸を切り取ってしまった。長いこと掛かってやっと退院となった。しかし、退院の時、スゴク親から感謝されたのを今でもしっかりと覚えている。
 医療って、スゴク悪くなったのを救うと、感謝される。初期にはさほど症状が悪くなくて、だんだん悪くなって、思わぬ結果になると、患者さん側の態度が、次第に変わってくることがある。それは、仕方ないことだと思うのだが、一生懸命にしても、疾患によっては必ずしも改善せずに不幸な結果になることもある。結果が悪いと、医療をする側も、落ち込んでいますが、そんな時、不信感一杯にモロに苦情を言わる感じになってしまうと、とてもつらいです。
 大学にいた時に、(循環器系の疾患が中心の小児科病棟だったので)小児科の開業の先生から、心筋炎の疑いで紹介されて来た患児がいました。入院時、心筋炎と思っていたのですが、精査の結果、違っていました。それ以来、心筋炎の診断って、難しいんだなあとずっと思ってきています。
 
*大学を去る日の早朝、大学の門で、挨拶をする父と子がいた。自分が受け持った子どもの父親だった。「どうして今日と知ったのですか?」と聞くと、「聞いたものですから・・・」と言われた。○島からわざわざ来ている。自分がここを通るかどうかもはっきりしてなかったのに。どの位ここで待っていたのだろうか?驚くと共に、ジーンと来てしまった。昭和55年の3月のこと、もう、29年前のことで、その時の情景をいまでもはっきりと思い出すことができる。
 この子は、(拡張型)心筋症で、小児科の循環器の専門医も、もう、助からないと親御さんに言っていた。来院時には、顔色悪く、痩せていて、元気がなかった。病棟でも、父親がビデオをしばしば撮っていた。(当時、若い小児循環器医師にとっては、神様的存在だった)東京女子医大の○尾先生が大学にたまたま来た時にも、診て頂いた。皆、ホントに諦めていた。
 が、不思議なことに、入院後、しばらくしてから、何故かメキメキと元気になり、ふっくらした元気な顔付きになって、長期入院後に無事に退院が出来た。その後、10年以上経ってから、「先生の様に、茶道をしています」との年賀状を頂いた。

 小児科では、いい思い出も、一杯あります。又、医師になったとしたら、私は、間違いなく又小児科を選ぶでしょう。そして、やはり、相変わらず、小児救急の道を選ぶでしょう。


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草の根外交

2009-08-06 08:54:25 | Weblog
 元アメリカ大統領のクリントン氏が、突如、北朝鮮を訪問して、アメリカの女性記者2名と一緒に帰国した。北朝鮮では、クリントン氏が飛行機のタラップから降りた時、子どもから花束で和やかな感じで迎えられていた。クリントン氏の厳しい顔と対照的に、金正日総書記長の久し振りのニコニコ顔も映し出され(膵臓ガンの顔付き?!)、合同写真も公開されていた。
 今週月曜のたけしのタックルで、日本にいるある中国人の言葉で、韓国人と中国人の庶民の感覚が次の様だと言われていた。
 ・・・韓国は日本に20年遅れ、中国は更に20年遅れている。つまり、日本人は、カネやモノで幸せにならないと既に悟っているけど、韓国人は、まだ、少し疑っているが、中国人は、お金さえあれば幸せになれると本心で思っていると。
 そんな中国も次第に変化しつつある。つい最近、個人旅行が解禁になっている。中国の漢方医学は素晴らしいし、武芸にしても、日本人にもその愛好者は多い(私は、積極的に中医学を利用させてもらっているし、太極拳や太極剣もかって熱中していたが)。
 それで行くと、北朝鮮は、まだ、60年前の姿そのままって感じに思えてならない。
 竹島問題など、国と国同志が交流すると、どうも、建前が先に立って上手く行かない。韓国と日本の関係が、今の様に思った以上に急速に改善したのは、韓国映画のせいもあるが、スポーツや文化を通じての交流、多くの留学生が日本で滞在、又、日本人も、韓国に多くの人が行く様になったりして、民間レベルでの交流が盛んになったからだと思う。
 お互いのことをよく知るには、やはり、民間における草の根外交の力は、欠かせないのである。どんな日本人も、実際にカタコトのハングルを勉強して、自分なりの韓国旅行や滞在してみれば(私は、既に、5回も行っているが)、そこに、今まで思ってきた韓国と違った姿を見出すだろう。自国と共通する価値観もあるが、それと同時に、驚く様な違った価値観がそこに存在している。国際化の時代、そんな違った価値観に対しても寛容になれることが、今からの時代は、どうしても必要なのだ。
 東南アジアの多くの観光地では、観光で生計を立てている人が多いので、現地の人の値段と部外者の値段の二本立てがある。とても貧しいので、家族の為に、日本人の様なお金持ちからどうかしてお金を出来るだけ取ろうとしている。しかし、どの国でも、田舎では、多くの人が協力して行かないと生きられないので、そんな中では、困った人を見ると、外国の人でも、まず、助けてくれる(優しい)。
 もっともっと、草の根外交が幅広く行われて欲しいと思うと同時に、少なくとも、マイナスにならない様な行動と言動をとる様に、今の日本の政治家には、常々心掛けて欲しいと思う。


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