シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 前日からゲネプロと本番そして打ち上げ
前日は ナーバスになっていますけれど
ピーちゃんパパママとアンジュが 我が家に
いらしてくれて
癒されました。
シャンソン家族 の 有難さ・・・
天涯孤独・・・でも シャンソンの家族が居てくれて
私は幸せ者です。
さしいれの 自然食パンや お菓子がありがたくて・・・
マイスリーのお蔭で すーっと寝つけたのに
珍しく 朝早く起きられなくて
春眠暁を 覚えず・・・状態。
練習できる時間が無く
髪を撒いて アップにしたり 化粧したり
まつげつけたり
一応 全て 準備して
パパ様の お迎え車で 出かけました。
成城 さくらアンパンやゴディバチョコの差しいれ
を 駅で 調達して 舞台入りするのは
ずーっと 長い歌手人生の 私の舞台マナーです。
歌手の私は 舞台の裏方さんや 主催の皆さん
歌手の皆さんに支えられて 舞台に存在できる
訳ですので
まずは 感謝の気持ちを 抱えて出かけるわけです。
声だし室は NHKホールのように しっかりしたモノが
ないので
ホール客席の 誰も居ないトイレで
少し 練習しておきました。
ピアノも テープも伴奏も無くて アカペラで
練習できるのが 私の 長所です。
身体が 楽器として 無伴奏チェロ曲みたいに
歌えちゃうのが 不思議です。
便利な声楽器です。
なので 昔 生活に窮したら
瓦こじき
路上で 無伴奏で 歌って
小銭を 集めて 生きていくしかない・・・と
若かりし頃は 思いました。
便利といえば
疲れない殻だというのも長所です。
楽屋には ほとんど座って居ないのが
私の特徴で
身体が 固まるのが怖いし
いつも平素 動いて暮らしているので
普段の自分と同じように動き回ります。
客席や 舞台そでや 煙草室や
廊下や あちこち 移動して過ごしています。
ゲネプロの時 マヌカハニーの水を飲んで出たのに
歌いながら 埃を吸って咳が出そうになったので
本番は
自分に気合いを 命令して 神様に祈って
どうか 無事に いつもの通り 自宅で練習している
時と同じように
それ以上でも それ以下でもなく・・・お願いします・・・と
念じました。
私の舞台を見る人は 主催者でさえ
リリさんが 自信ないわけがない・・と
思うらしいのですが
いやいや 私には 舞台の上では 何が起こるか
わからない・・・という 経験ばかりがあるので
過信したことも無く
自信などは 皆無で いつでも 怖いです。
とりあえず 音楽の神様は 今回も 優しかったです。
ありがたく 無事に フィナーレまで
私は元気でした。
そして 打ち上げに 22名の皆さんが 待っていてくださいました。
シャンソン家族 シャンソン仲間
私は 舞台の後の ひと時を 寂しくなく 空しくなく
皆様の愛で 支えられました。
この 皆さまの為にも 絶対に きちんとしたシャンソンを
歌わなくてはならない・・・と
ますます 思いました。
ウドンコさん も居てくれて
多佳子さんも いてくれて
伴奏譜面 のウドンコさんと 私のボディーを創作
してくれている多佳子さんに
まず ありがとうー と 大声で 伝えました。
皆さんが居てくれて 私という歌手が存在する。
私は 私の為に歌っているわけではない・・
それが 私を 明日 また 頑張らせる起因です。
打ち上げの暖かい皆さんの笑顔で
肩の力が ふーっと 抜けて 普段の私に戻れました。
心より 感謝です。
帰宅は ピーパパの車に 乗せて頂き
藤倉さんは お泊りですが お一人で お寿司屋さんへ・・
パパ様は 翌日病院検査なので
我々は まっすぐ帰宅したのですが
もう 翌日になっていました。
ベルギーで テロ事件があったなんて・・・
またまた 驚き・・・
打ち上げ回で 偶然に
「六月も 七月も パリには 行くのをやめました」と
宣言した後でしたので・・・