シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

マダムREI

2007年02月27日 09時42分56秒 | Weblog
PHOTOGGRAPHIE フォトグラフィエ 撮影

「巴里に一人」という自作の曲など 録音しなければ
と思いながら 数年が過ぎました。
今回のパリの旅は その準備も目的の一つで 1999年に
一枚目のCDを 出してから ずっと逃げている 二枚目の
CD制作の為に 今日は 朝から一日がかりで 写真撮影をしました。

二十年近く パリで活躍しているメークの宮本盛満さん
写真家の斉藤順子さん と撮影バスで 三ヵ所を移動。
最後のシーン 
夕暮れのセーヌでの シーンは 流石に 寒くて凍えました。
途中で止めたくなるほど 冷たい風の中で
どんどん 風邪が悪化していく気がしてきて・・・・
もう 倒れそう。 
モデルさんという職業の方は きっと 大変にタフな方でなければ
勤まらないだろうな と思いながら
カメラさんに「顔が固いですよ。背筋をまっすぐに。」と
言われても 寒すぎて コチコチになってしまった顔の筋肉は
思うように動いてはくれません。
撮影終了後 しばらくは 饒舌な私が 無口になるほど
凍えていました。
私の風邪は 実はインフルエンザだったので 
まだ 完璧な体調ではなくて 綺麗に出来るか 心配です。
でも 皆様に支えられ パリでの撮影は無事終了。
明日 朝は 私の故郷 ベルギーへいきます。
恩師で 伴奏者でもあった 元 王立音楽院の教授
レダエリ夫妻を訪ねて ブリュッセルへ・・・・
 
 

マダムREI

2007年02月27日 09時30分48秒 | Weblog
VERSAILLES ヴェルサイユ

今年の2月のパリは すでに春で
桜も咲き 木蓮も咲いています。
太陽が照り 青空が見え そして 時々雨がちらつく・・・
それが 一日に何回も繰り返す 不思議な天候です。

パリの市内からタクシーで20分
ほんの13キロ郊外へ行くと すっかり静かで
ゆったりした雰囲気になります。
ヴェルサイユにお住まいのモーブラン夫妻のお住まいに
訪ねて 楽しいひと時を過ごさせていただきました。
私にとっては 二度目のヴェルサイユですけれど
ルイ14世の半世紀にわたって建築物
ヴェルサイユ宮殿を 懐かしい思いで 早足で見物して
トリアノンのピンク色の大理石の
17世紀のイタリア建築様式を堪能し ため息をつき
二月に 寒い思いをしないで 散策できる事に驚いてしまいます。

フランス人のモーブラン氏は クラシック音楽をこよなく愛し
また この二十年はオペラや 声楽に深く 興味をお持ちで
CDや昔のレコードも山程 コレクションしていらっしゃいます。
奥様の すばらしい手料理と 美味しいワイン チーズ をご馳走になり
音楽のお話が続き 時の過ぎるのを忘れてしまいました。
氏はフランス人ですが シャンソンには あまり興味が無い
という事でしたけれど もともとがクラシック畑の出身の 私なので
お話は盛り上がり アジア人の声楽家の声は 固くて薄い などという
専門家顔負けの 耳をお持ちで 驚きます。
嬉しかったのは 私がとても好きな キャサリン・フェリア という
昔々の コントラルトの歌手のマーラーを聞かせてくださったことです。
マーラー作曲「亡き子をしのぶ歌」という 暗いチクルスがあるのですが
この歌 ドイツリートを知っていて 好きだとおっしゃるなんて
フランス人としては 珍しいし 凄い!!!!
やはり 良いものは 良いと思う 芸術に国境は無いのですね。

マダムREI

2007年02月25日 12時25分55秒 | Weblog
La mome ラ・モーム 小さな子供

今日 パリのオペラ座近くの映画館で エディット・ピアフの映画を見ました。
La mone piaf  ラ モーヌ ピアフとは ちいさな雀のことです。
ずっと 話題になっていたフランス映画で 名優が沢山 出演していました。

今さっき 見終わった 私の感想は・・・・
ピアフの役をを演じていた女優さんに ブラボー。ブラボー。
とにかく ピアフとそっくりで 凄い演技力でした。
ピアフそのもの。
日本で見るのと違って 字幕が無いので 分からない部分もありましたけれど
特に ピアフは 歌うときのアーティキュラションは 素晴らしいのに
日常の会話でのフランス語は 決して聞きやすくは無くて
その 話し方の真似さえも そっくりでした。
感情的なシーンだと 時々 聞き取れませんでした。
でも 
辛く 苦しい生い立ちと 運命の出会い 別れ 病苦
舞台への不安 人生に不可欠な愛への憧憬
神 テレーザへの深い宗教心

それらが 流れるピアフの曲でクローズアップされていました。
ずっと流れ続けていたのは 私がピアフのヒット曲の中で一番好きな曲 
Mon legionaire 私の兵隊(外人部隊) 
娼婦の悲しい恋の歌のメロディーが たまらなく 切なくさせます。

フランス的な映画なので 果たして日本人に 受けるかどうか?
昔から パリでロングランの映画でも 日本ではまったく 
流行らないことが 多いから。

人生は  夢物語やサクセスストリーでなく
人生の光には影があり
喜びは苦しみの後だから感じるものであり
生きるために必死な姿に 神が微笑む時もあり
やはり
シャンソンは人生なのだ・・・と しみじみ 思いました。
驚いたのはピアフが 歌を習っているシーン。
「言葉の発音アーティキュラションarticulationをはっきりしなさい 」
とか 「もっと感情移入しなさい」とか
M・モノのピアノ伴奏でレッスンをしているときの姿が
けな気で いとおしく 
また 舞台の直前まで あがる恐怖心で 35分も遅延して 
開演したりする姿も 人間的で 魅力的でした。
眩しいスポットライトに 一人向かい 立つ後姿の映像は
先日アズナブールの舞台と同じような演出でした。
Passer la lumiere パッセ ラリュミエール 光を超えて
伝えることの出来る オーラのある 歌手は
舞台にたった一人の孤独な人間。
その魂 と エネルギーのパラドックスを 感じさせてくれました。

マダムREI

2007年02月23日 18時36分03秒 | Weblog
Le vent de KINSALE ルヴァン ドゥ キンセール キンセールの風


キンセール港では 海の風の音が聞こえます。
決して大きな湾ではなくしかも ヨットも数隻しか停泊していない様な
人の少ない街の港です。
ここが戦いの場所であったとは 今 見る限り 信じられない
海の 静かな 穏やかな光景です。
ホテルの部屋から 港を見ていると 白いカモメや白鳥
海鵜 鴨が 港で遊び 風の流れの声に合わせて
踊っているかのようです。

アイルランドの作者不明の詩が 新井満さん訳詩の「千の風になって」
になったと どなたかにうがった事を思い出しました。
風の音が 私には アイルランドの民謡の旋律に聞こえてきました。
アイリッシュの笛を買ったので その笛を吹きながら
作詞作曲してみました。
まだ 手直しが必要ですし 練り直しは東京へ帰ってから
しますけれど・・・・・
そうそう
無理が重なったせいか 東京を離れて 気が緩んだのか
突然に酷い 風邪をひいてしまい 昨晩はアイルランド
最後の夜なのに パブにアイリッシュ音楽を聞きにいけず
高熱で ダウンして寝込みました。
ホテルのお医者さんを呼んだので
安心ですけれど 旅先での 風邪は つまらないてす。
風邪で つまらないので 風の詩をつくり部屋で
静かにしています。とはいえ 今日午後はPARISへ
移動です。

アイルランドの風    作詞・作曲 長坂玲

港に 風の歌が流れる
悲しみの風の歌が流れる

私の心に聴こえる風の歌は 長く辛い歴史の歌

港に 風の声が聞こえる
苦しみの風の声が聞こえる

私の心に響く風の声は 忘れてはいけない歴史の声

戦わなければ守れない幸せもあっただろう
生きていくために 戦い失い
生きていくために 命が消える

港に飛ぶ白いかもめの なんと自由な姿
風の歌に合わせて 踊ってる
風の声は謳っている
愛と平和の願いを。

マダムREI

2007年02月22日 12時07分45秒 | Weblog
CERTIQUE セルティック ケルト人の

ここアイルランドは ケルト人の国。
ベルギーやフランスブルターニュなど 今もケルト民族は
色々な民族と同化して 存続しています。
特に アイルランドでは 飢饉のとき アメリカなど他国へ
移住せざるを得なかった 辛い時代があつたので
人々は シャンノース といわれるような
詩を語るシャンソンのような歌も 歌います。

紀元前 ケルト人は ガリアといわれていた地域に居て
ローマ化したり フランク族による支配なども受けたり
ゲルマンに攻められたりしながら ケルト人の特性は
多神教 自然崇拝 戦わずして 受け入れる事だと
聞いていました。
けれど 本当に ここの人々は 日本人と似ていて
優しく ホスピタリティーに富んでいます。
そして 信じられないほど 強烈な音楽好きです。
ライブハウスだらけなのですから・・・・・
なぜ 音楽好きか よく 理解できます。
悲しくて 辛くても 音楽は それを忘れさせエネルギーを
沸かせてくれるからです。
辛ければ辛いほど 音楽が必要だつたのです。

今 私はアイルランド南のキンセールという 港町にいます。
ここは かつて イギリスが攻めてきて
スペインが助けに来たために アイルランドはが勝ったという歴史
の町です。
タイタニックの出発した港は コーブという キンセールの隣町。
映画では 貧しさから逃れるため アメリカに向かう豪華客船の
三等部屋に紛れ込んだ 男の子の話でした。
その映画の中の演奏家の ダンス音楽 今日も聴きました。
この町にも
パブ(ライブハウス)が山ほどあり どこの町もアイルランドは全て 
そうなのですが
ライブを 深夜まで 休み無く続けています。
今日は 昼のレストランでも 夜のパブでも 
私は「ばら色の人生」を
アカペラで 仏語で 歌ってしまいました。
皆 私をフランス人と思っていました。
マイクなしで 大声で歌う私に ピアフ みたいと
セッションをしている方々に褒められ 歌手でよかった・・
とつくづく思ったのです。
音楽家同士には 何の壁も 国も こだわりも 無く ただ
仲良く 新しいEピアフの映画の話題で 盛り上がったのです。

セッションは バイオリン三人 中にバンジョーみたいな楽器を弾く人
も含み その他アコーディオン ギター 計五人。
皆さんプロなのですけれど この町一番の音楽性のあるパブという
事で 聞きに行ったわけですが 演奏家達は 昼間は別の仕事を
している方々で そういう音楽家が とても多いのが アイリッシュ
ミュージックや ダンスの特徴です。
昼の仕事は 一人はドクター 一人はファーマー 三人は教師とのこと。
でも 毎晩深夜12時まで セッションをしているので 凄い体力だと
思いました。
明日はダブリンへ戻りますけれど インターネットのつながらない
ホテルなので 明後日のパリで ブログ入れるつもりです。 

マダムREI

2007年02月20日 22時10分15秒 | Weblog
DUBLINの NOSMOKING

アイルランドでは フランス同様に ホテル レストラン公共の場
車内 レンタカーの中でさえ禁煙です。
その代わり その罰金の高さに 恐れて 皆 歩きタバコ。
歩道で 吸いまくり 老若男女 くわえタバコで歩く姿ばかりで
目を見張ります。
しかも 歩道も車道も 捨てたタバコで 模様が出来るほどです。
弊害・・・・人間の太古から吸っていた タバコを禁止すると
禁酒法時代のアメリカのように 人はもっと執着し始めるかのように
感じました。
23日にはアイルランドから パリに行きます。私の心の故郷。
フランスも 室内と車内は禁煙だとか・・・
歩きタバコ くわえタバコ 町中捨てタバコ。
こんな光景に 驚き 滞在二日目には 私も同じことをして 同化していました。
でも
一日の喫煙数は 明らかに減りましたけれど・・・・

マダムREI

2007年02月20日 22時05分42秒 | Weblog
DUBLIN ダブリン 音楽の旅

徹夜続きで 一睡もせず 東京からパリ経由でアイルランドのダブリンに
16時間後に到着した時は もう現地時間で夜九時半でしたけれど
そのまま ライブハウスで アイリッシュダンスと セッションを聞き
深夜 ホテルの部屋に部屋に戻ると 私の足は三倍に太くなり 足首は無く 
像の足のようになり まだ元には 戻りません。
48時間眠らなかったことになります。
私という人間は いつもハイテンションで好奇心が強くて 疲れというものを
心で感じないので それが 周りの人たちに心配させてばかりです。

アイルランドは Wバトラー・イェーツ Jバーナード・ショウ Sベケット
Sヒー二ー 四人のノーベル文学賞を出している
北海道と同じ人口540万人の島国。
ギリシャを除けばヨーロッパ最古の詩は この地のケルト人が
天地自然を称えた詩。
18世紀ごろから 吟遊詩人の活動が盛んになり 現在パブなどで
セッションという形で ジグやリールという独自のリズムを繰り返しながら
伝統を継承しながら 楽譜は無く 即興演奏で 新しいスタイルに至りました。

現在は エンヤのような ミュージシャンも世界に羽ばたいています。
映画タイタニックの三等船室の踊り場面や 船が沈む最後まで人々に 
演奏を奏でていたシーンは アイリッシュダンス・ミュージックでしたね。
あの映画の中で 唯一私が 感動した場面でした。
音楽家は 人の心の恐怖や不安を取り除き 最後まで神の僕として
愛と勇気を与える 人種でありたいと いつも自分を戒めています。

この町の音楽は 小さなアコーディオンは コンサンティーナ。
アイリッシュハープやアイリッシュフルート
その他 数多の珍しく美しい音色の楽器が 不思議な神秘の世界を奏でます。
楽譜なし・・・・私の理想です。
シャンソニエという ライブハウスを営んでいる 私にとって刺激的な 
音楽の国。町。
人々は 暖かく フランス語に近い分かりやすい英語で
私も英語で話し 聞き 何の問題も無く
現地人のように 明るく楽しく セッションのライブでは 
一緒に歌っていました。
音楽を愛するものに国境はありません。


マダムREI

2007年02月20日 00時23分03秒 | Weblog
2月18日日曜日の朝 日本を出発して
今 アイルランドのダブリンに居ます。
ケルト人の文化圏。
文学 詩 神(自然崇拝 とカトリック崇拝 の国。
吟遊詩人の 国。音楽を愛する国。ライブハウスだらけの町。

一年間 シャンソニエマダムREI で 銀座8丁目
並木通りに シャンソンと 様々な音楽 エンターテイメント
文化芸術 人間の本質的な 暖かさ優しさの発信地
でありたいと願い 私の中にある全ての情熱を注ぎ
スタッフにも お客様にも アーティストにも 
それが 伝わってきたように思います。
私は 自分の心の栄養をつけに 旅に出ました。
今 お店は 私の留守中 
皆が 私以上に素晴らしい 演奏 サービス 情熱を注ぎ 盛り上げ居くれているはずです。
他国の文化を知り 我を知る・・・・・
そして 良い物を取り入れ 精進することを これからも
私の目的にしてまいります。

沖縄が日本の島で 特異で 芸術的のな文化 を保持するのと同じように
日本は世界の中の島として 特異な個性を持つと同時に 世界観から外れる部分も多々あるように 思います。
ここ アイルランドの島も イングランド スコットランド 
ケルトのフランス的文化の香りさえもします。

過去からの DNA に現在が続き そして 未来への道を模索する時
人は 自分の世界しか 認めたがりませんが
芸術や文化 の長い人間の創造の歴史は 
多分 その時代の 経済や 政治に 大きく左右されてきたのでしょう。
とすると 今
「美しい国 日本を目指す 」安部総理の言葉の意味・・・・・・
我々の 本当の美しさ インターナショナルな中での 
日本としての美しさ・・・・・・
真の 美しさ。 無形の 美しさ。 心の 美しさ。主張する 美しさ。
認める 美しさ。
芸術家が 尊重されず 海外でしか 食べていけない 優秀な日本人で 世界に通用する日本人の なんと多いことか・・・・
お相撲さんが外国人であるように 日本人でありながら他国の文化のオーソリティーが 山ほど居るという事と その人々が
芸術家として日本で食べていけない事実。
文化芸術に  価値観を見出せない 国か゛果たしw美しい国なのか・・・・・・

外国に住んでいたとき そして 外国へ出るたびに 感じ 悲しくなります。

昨晩ダブリンのArlinton Hotel に着くと 1階はライブハウスで
200坪位のレストランに お客さんが300人くらいの立ち見で 大騒ぎ。
食事する人以外は無料。
とはいえ もし 銀座でシャンソニエを無料にしても
これだけの人が ライブを見に来てくれるのかしら?
自分のシャンソニエに居るときと同じように 
ブラボーを叫び続けました。


マダムREI

2007年02月20日 00時17分44秒 | Weblog
2007 CHANSON FOLIES
2007年2月16日シャンソンフォリー

芝・メルパルクホールでの一年に一度のお祭り。
金・土・日曜日 三日間の お客様の入場は6000人以上です。
シャンソン協会の会員ばかりが一人づつ  協会の方々が一人一人の歌手に選んだ
シャンソンを 歌う 歌手の品評会みたいな 緊張するコンサートです。

二千数百人入る大舞台 豪華な照明 演出 すばらしい クインテットバンドと
洗練された音響の中で 私はアズナブールの曲「イザベル」を 選ばれ
男装で 少年の気持ちで 歌いました。
先日
来日の際 アズナブールは このイザベルを歌いませんでした。
色々なCDで 聞くと
毎度 彼の歌い方は違います。そして 彼の裏方さんも 感情移入の激しい歌
なので アズナブールは ゲネプロでは歌わないし 照明も真っ暗闇の中で
歌うと聞いて・・・・悩みました。
私は もともと クラシックの芸術歌曲・オペラ出身なので 
いつも 作詞家と作曲者の 時代や演奏スタイルの解釈を考察してきました。
歌詞の意味と その作者の言いたいこと メッセージを尊重してきました。
けれど ポピュラーでは 時としてリズム 訳詩 音程さえも 変えて
楽しく また サービス精神豊かに アレンジしますので
悩むときがあります。
イザベルは もしかすると 本当に アズナブールが死ぬほどに 恋をした女性かも・・・
私は 男性ではないので 事前に色々な年齢の男性にリサーチしてみました。
「本当に苦しくて仕方ない恋をしたことはありますか? 人生で 何回くらい?」
若い男性の答えは 「まだ 無い」が多かったです。
ほとんどの場合「一回  か二回」
中には「それは 妻ではない」と言う 驚く答えもあり・・・人生はドラマだ!と思いました。
私のイザベルの二分四十秒のドラマは
モーツァルトのフィガロの結婚のケルビーノの 少し上の年齢
20歳。一度失恋して なんだか もう二度と 好きな人にめぐり合えないと
世間を暗く感じている 若い情熱の心が イザベルとの出会いで
突然に 変化してゆく。憧れから 愛し合うようになり それからというもの
狂うほど 辛くなり
そんな自分が 笑えるほど苦しくて もう イザベルの影さえ撫ぜることで
満足して自分の運命を委ねたい。Isabelle Isabelle mon amour !
半分は フランス語で 日本語は自分で出来るだけ忠実に訳しました。

シャンソンは三分のドラマ。この一曲は 凄い気とパワーと集中力が必要な
シャンソンです。
嘘の無い 自我の無い 役に成りきれた と思いました。
歌い終わり 抜け殻になっている 長坂 玲 が居ました。
そして
この日の最大の収穫は
芦野宏さんの舞台姿の美しく 歌の説得力とオーラある「恋心」
深緑夏代さんの 舞台から聴衆への訴える 力と輝き
80歳を超えた お二人とも翌日からすでに仕事で
芦野先生は渋川のシヤンソン館 深緑先生は岡山へ
私も 芸の道は長く 深く そして 最後の日まで 年齢に関係なく
精進の道と 胸に刻みました。

シャンソニエマダムREI

2007年02月19日 23時47分04秒 | Weblog
20:13 2007/02/19
L`amour c`est pour rien ラムールセプルリアン 恋それは何のためでもない。「恋心」

恋心 と言う題名のE・マシアスの曲を 男性の訳詩とフランス語で歌う芦野宏先生の 日本シャンソン館。
大美賀彰代さんの 伴奏で 私も2月12日は 出演させていただき6曲バルバラのシャンソンと
ピアフのシャンソン6曲歌いました。
あしのせんせいのは 2月16日のシャンソンフォリー でも この男性の歌詞で
お歌いになるので 楽しみです。
最後のフランス語の歌詞は 
L`amour c`est pour rien
Tu ne peux pas le vendre
Tu ne peux l`acheter
恋は何のためでもない。売ることも出来ないし 買えもしない。

連休の月曜日は 渋川から東京への道は渋滞で 急遽近くに泊り 
翌火曜日の朝五時に戻り その日H恵一さんのお父様の社葬で
1000人以上の方の前で 「千の風になって」と
「スミレの花の咲くころ」をフランス語と日本語で歌いました。
このスミレの咲くころという歌は 本当は宝塚ソングとして 
皆大好きですけれど 
本当は白いリラの花の咲くころになると・・・・・恋の季節で 
もう大変なの・・・・と言う意味のシャンソンです。
でも 私は 亡くなった方のために 最後の歌詞を 変えました。
    忘れないで! 我等の愛。 スミレの咲くころ・・・・



シャンソニエマダムREI

2007年02月18日 07時00分33秒 | Weblog
バンドネオン 早川純
ピアノ 丸野綾子

シャンソニエマダムREI

2007年02月18日 06時58分31秒 | Weblog
ケン マジックショー
アシスタント ユキちゃん

シャンソニエマダムREI一周年

2007年02月18日 06時56分11秒 | Weblog
中山エミ
ピアノ城所潔

シャンソニエ一周年

2007年02月18日 06時50分49秒 | Weblog
夏川玲
小泉たかしバンド

シャンソニエマダムREI 一周年コンサート

2007年02月18日 06時47分46秒 | Weblog
牧澤友也
ピアノ 井上祐規