金曜日 午後 等々力の伊藤家のご自宅へ
亡き伊藤雅治さんへ お線香をあげに参りました。
私は スペインとポルトガルの旅に出ていて
伊藤先生の お通夜とお葬式に出席できませんでした。
なので
実は
伊藤雅治さんが 他界したとは 未だに脳は理解していても
そう思えずに
お仏壇に 手を合わせたのですが
お骨を見ても
そして 久子さんから 二年間の
闘病生活のお話や 最期の時のことを 伺っても
どうしても
伊藤先生の死が 嘘のようにしか思えず
まだ 入院している・・・か
出張している・・・・か
また 会える気がして仕方なくて
お別れの気持ちが湧かなかったです。
「久子さん 伊藤先生 まだ ここに 居るわよーー」
お仏壇の前でも お家の食堂リビングでも
そう感じてしまい 伝えました。伊藤先生が ニコニコしている魂がいました。
久子さんと話していると 伊藤雅治さんと話しているような
気持ちになってしまう。
夫婦はつがい番・・・・とはいうものの
お二人が 仲良くご一緒にシャンソンを習いにいらしていた
イメージ
いつも お二人は 仲良く一緒でしたので
鳥の番つがい が ニコニコシャンソンを学んで楽しんで
いま
久子さんと 話していると 伊藤先生と話している気持ちになってしまいます。
私にとっては お二人が一つなのです。分けて考えられなくて・・・
私は 今はむしろ久子さんの心身を心配してしまいます。
泣きすぎたり 孤独を感じすぎたりしないように・・
伴侶を失う辛さ喪失感から
いつか奮起してくださり
我々の音楽仲間 シャンソン仲間の渦の中に
戻ってきてくだされば
少し 安心。
勿論 お子さんも お孫さんも 家族も親戚も お友達も
沢山 まわりに いらっしゃるけれど
音楽という無形の芸術の懐は 温かいものですよ。
美しいメロディーと リズム は 生きる糧になります。
シャンソンは 人生の酸いも甘いも 苦楽の心を代弁してくれる
フランス詩 人間の愛のポエムです。
前に 生きて進むための 知恵が ぎっしりと歌詞の中に込められています。
伊藤先生が 今年の六月五日 私の誕生日に送ってくださった
誕生日カードを お仏壇に 我が家から持参いたしました。
伊藤先生ご自身が
他界する二か月前 病の床でも 私に激励をお送りくださってい
た 伊藤先生の 人間性の深さに 感動いたします。
久子さんにも 感謝をお伝えいたしました。
「令和は 長坂玲先生の時代です。」と・・・カードに書いてありました。
「伊藤先生は 平成の時代を 駆け抜けましたね。私は 無力ですけれど
芸術の分野で 何か この時代に 善を施せるように 私利私欲なく
芸術に 何かに奉仕していけるように・・・ 無になって
これから 深く深く考え 立ち向かいます」
伊藤先生 また お会いしましょう
あっという間に そちら側 魂の世界へ 私も参りますよー
それまで 此岸で久子さんと仲良くさせてくださいね。