シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソニエマダムREi

2006年08月31日 11時22分46秒 | Weblog
シャンソニエ マダムREI
ALOHA アロハ

ニーノさんそのお友達 と
演奏家カ・レオさん とヒロさん そして シャンソニエスタッフ

ニーノさんの踊る姿を拝見していると 出雲の阿国って
こんな人だったのかしら?
と 感じました。
ニーノさんに 尋ねると「 私は出雲の阿国を目指している」と
おっしゃいました。

彼女の踊る時の笑顔で 毎回 私の寿命は五年は伸びているように
思う すごいアーティストです。

私の弾き語りの 日本語の「愛の賛歌」 「ばら色の人生」「 雪が降る」
で 創作フラダンスを踊るという コラボレーションも 楽しかったです。

ニーノさんの先生 ハワイの人間国宝の方が ホワイトハウスで
賞を頂くので 一番弟子のニーノさんは 来月ホワイトハウスで 踊るそうです。

シャンソニエ

2006年08月30日 23時20分42秒 | Weblog
シャンソニエの ACCORDIONIST アコディオ二スト
大塚雄一さん

火曜日はアコーディオンの大塚雄一さんが 久しぶりに
演奏にいらして下さいました。
彼は ギターも弾けるし アコーディオンを弾きながら
アマポーラを歌ったりと楽しい演奏家です。
私は アコーディオンだけの伴奏でシャンソンを歌うと
なんとなく モンマルトルのシャンソニエに居るような
気分になります。
「サンジャンの私の恋人」「ドミノ」「アコーディオン弾き」
を大塚さんのアコーディオンだけの伴奏で歌いました。
アルゼンチンタンゴは バイオリンを松本蘭さん ピアノの丸野綾子さん
の演奏で楽しみました。

声と一番に似ている 演奏楽器はVIOLON ヴィオロンです。
声帯と弦 の鳴らし方は音楽性も似ています。
逆にピアノは打楽器的な演奏法 つまり 叩いて鳴
らすので 物理的に 歌うように演奏する楽器では無いのですが
バイオリンの音色は むせび泣く弾き方が 歌っているように聞こえます。
クラシックの ピアノの先生が表現する言葉で
「歌うように 弾きなさい」・・・・・・・・
つまり ぶつぶつ切れないで メロディーのクレシェンド デクレシェンド
を 本能的に 心地よく 美しい旋律を奏でる事が「歌うように」
という意味です。
でも 歌手が 「歌うように」歌うのも 難しいものなのです。
歌手は 楽器が自分の肉体で その楽器を奏でるのは 自身の頭が
コントロールする息 呼吸法です。
そして 詩の意味や言葉の表現力は 感性 教養 趣味 知性 性格 人生観
の表れです。
歌手は 全身全霊を 酷使しなくてはならない楽器。
日夜 肉体は訓練と練習 試行錯誤の 繰り返しあるのみ。
そして 感性の源である 自分の魂を磨く事。勉強。
私が 高校生の時 親戚の 小山章三先生という 国立音大の先生に
たしか 音楽教育学専門の方でしたけれど こうおっしゃいました。
「一流の歌手は 炎のような燃える心を持ち 氷のようなクレバーな
頭脳をもたなけば」
今も その言葉は 私の 指標です。



 


シャンソニエマダムREi

2006年08月29日 13時50分43秒 | Weblog
シャンソニエ マダムREI
牧沢 友也 さんと 井上ひろきさん

八月から シャンソニエ マダムREI では
一部をゲストの方のワンマンショーにしています。
男性のシャンソン歌手の出演の日は 綺麗なマダム達が
お客様でいらっしゃいますので
お店は 華やかです。
牧沢さんは 良く鳴る声帯の持ち主で 歌い方も絶唱タイプ
ですので ファンのマダムの皆様は うっとり。
容姿端麗で 謙虚で シャンソンも カンツォーネも 演歌も
なんでも こなす方です。「愛の追憶」「過ぎ去りし青春」他を
日本語で熱唱してくださいました。
井上さんは 伴奏者でもありますけれど
ご自身も歌手として シャンソンを歌います。
コミックシャンソン「王様ポルカ」「マダム アルチュ-ル」
では スタッフ一同 大笑い。
ほかに しっとりした 独特の個性的なのシャンソンを仏語で
弾き語りなさいます。バルバラの曲を男性バージョンで・・・・・・

お二人の個性が あまりに違うので
それも シャンソニエの 長い夜では バラエティに富み 楽しみです。

シャンソン

2006年08月29日 12時52分07秒 | Weblog
日本シャンソン館
芦野宏先生& ピアニストの徳永洋明さん & わたし

毎月 一度 渋川にある 日本シャンソン館に 歌いに行きます。
8月27日
午前11時と午後二時の2ステージで
プログラムは夏を意識して
「18歳の彼」「 思い出のサントロペ」「 ラ・メール」を
含め 全12曲
最後に芦野先生が 同じ舞台でオ・シャンゼリゼを
一緒に歌わせてくださいました。

シャンソン館のコンサートは 芦野先生が 各ステージの終わりに
二曲 先生のお弟子さんの亀田道夫さんが ステージ間に 二曲
歌います。芦野先生の フランス語の「パリのフラメンコ」は
とても 魅力的で 会場はブラボーの嵐。
ピアノの 徳永さんの音色や弾き方もギター風で 素晴らしくて
私も感激いたしました。
亀田さんの フランス語の「人の気も知らないで」もとても良くて
ブラボーが かかりました。

シャンソン館のホールは 満員でした。 お客様のマナーと質が良く
一生懸命聞いてくださる方ばかり。
そして ホールの大きさもシャンソンに
ちょうど良く 歌手の息遣い 姿勢 顔の表情 が 見え
シャンソンのポエムの 人生のドラマが 良く感じられる
素敵なホールです。
シャンソン館の中庭の 花は 色とりどりに 美しく
レストランは パリ郊外のビストロのようです。
手焼きのパン 香りの良い濃いコーヒー フランス家庭料理を
楽しみ テラスで夏の風に吹かれ タバコを吸うと フランスに居るみたいな
気持ちになれ 都心から 2時間の 小旅行で 私は幸せになれます。
ここに 月一回 歌いに来る度に パリに歌いに来たみたいに
気分転換になります。

ピアニストの 徳永さんは 相変わらず 私の歌う曲は
全部 暗譜・・・・・新しいレパトリーも
私の作詞作曲のオリジナルも こっそり 勉強して
舞台までに 覚えてきます。スゴーイ。
でも 私達 音楽家の永遠の 試練は 暗譜 記憶力。
暗譜をして 音楽や詩 言葉の語感を 身体の隅々まで染み付けて
初めて 血の通った音楽性を
神様は下さるのだと思います。
がんぱろう。






シャンソニエ

2006年08月26日 22時31分26秒 | Weblog
シャンソニエ マダムREI
中山エミさん とピアニストの山白さん


ため息の出るような 美しい中山エミさんが歌いにいらして
下さいました。
いつも ドレス ヘアースタイル アクセサリー 爪
全て 素敵で ゴージャスです。
歌も シャンソン カンツォーネ そして ピアソラのタンゴ
と すべて 綺麗な日本語で たっぷり 聞かせてくださいます。
絵になる 歌手。そして 説得力ある 歌唱です。
金曜の夜は 沢山のお客様がいらしてくださり 感謝です。
中山さんのファンも素晴らしい方ばかり。
毎月 一度の 中山さんとの出会いは ワクワクします。



シャンソニエ マダムREI

2006年08月24日 13時47分53秒 | Weblog
シャンソニエ のハワイアン
ニーノマリア さん

私は ニーノ マリアさんが大好きです。
昨晩も 私は ニーノさんと お会いするなり
何だか 幸せな気持ちになりました。
フラダンスを踊る姿 特にニーノさんの微笑みは 慈愛に満ち
私は 一瞬 天国へ誘われ
生きる 痛みと 苦しみを忘れる世界を 感じました。

人は いつも 何だかの 悩みを抱えています。
そこから 救われるのは 自分の努力と 前向きな姿勢以外
無いと 常々 私は 思っていますが
自分に 生きるエネルギーを 与えてくれる強いモノを
与えてくれる人が ニーノさんです。
強いモノを 持っている人間・・・・・強いモノ・・・・
それは 慈愛 慈悲 うわべの優しさでは無く 湧き上がる
泉のような オーラのような
人を蹴落としたり あびせ倒す 凄さではなく
優雅で 暖かく
人生の全ての 苦しみを知り尽くした後に 光る 涙に似た
幸せの光を 放っているのです。

お世辞でなく 心から尊敬できるアーティストで 人間です。

昨日はニーノさんの了解をとり お写真を載せさせていただきます。
フラダンス業界では神様のようなニーノさんですが
昨日お連れになった お客間達に フラダンスを 教えてくださって
皆が 幸せになった様子です。

何事もお稽古事は 最初に本物のプロの先生に習うほうが
道は 早く開けてくると思います。 音楽の世界も同じで
良い先生を見つけるのは 至難です。
良い先生とは・・・・実力があり 慈愛に満ち 指導を商売にしない人間
と 思っています。
ただし 私の音楽人生の中で感じるのは 技術習得には お金と
練習時間が掛かるということです。
でも 頭と 体に 習得したものは
衣服 装飾品 のような 目に見えるものと違い 自分の中に残るもの。
火事 でも地震でも この世の果てが来たとしても
そこで 愛の歌が歌え 生きる喜びの踊りを踊れたら・・・・・
それで いい。






シャンソニエマダムREI

2006年08月24日 12時54分39秒 | Weblog
シャンソニエ マダムREIの夜
夏川 玲さんと 小泉たかしさん

夏の夜にぴったりな 真っ赤なドレスの 夏川玲さんは
背が高くて モデルさんのような 美人でシャンソニエの
天井に 届きそうです。
ファド を沢山 歌ってくださいました。ブレヒト もかっこ良かったです。
夏川さんは カッコヨイ という言葉がぴったりの方で
色々なジャンルの歌 楽しい会話で ステージとお客様の
コミュニケーションが とれる人気者です。
ピアノ伴奏の 小泉たかしさんは 写真家でもあり カクテルなども作れ
ジャズも弾き語りもし 最近手品にも 凝り お客様のテーブルで
披露。また 新たなファンを獲得した様子でした。

私の生徒さん達 夏川さんの生徒さんやファン達も いらして お店は賑わい
深夜は 明日から夏休みという ビジネスマンが一人でくつろぎにいらして
シャンソニエ マダムREI には 色々なタイプのお客様が
様々な ドラマを展開します。


シャンソニエ マダムREI

2006年08月22日 15時02分13秒 | Weblog
シャンソニエ マダムREI

先週は 車も人も居ない 銀座の並木通りに
8月21日 月曜日は活気が戻りました。
お店も 歌手の岩崎桃子さん ピアノの大美賀さん のお客様や
私のお客様や 生徒さんで 久しぶりに にぎわい 楽しい週の初めです。

岩崎桃子さんは スタイルも美しく 姿勢も凛として 歌ものびのび
としていて とても 気持ちの良い 素敵な方です。
歌も 爽やかで 若さある 透き通った声に 酔いしれるファンも
多いのではないでしょうか?
ミュージカルのような フレーズ感の大きい曲を 岩崎さんが
歌うと 特に良いですね。背中で 深く呼吸していて 息の長い
旋律を きちんと 歌っています。
伴奏の 大美賀さんは 目の大きな美人で ファンが大勢居る
ピアニストさん。
いつも 私は伴奏合わせをしないで 弾いていただきますけれど
さすが 日本シャンソン館で 色々なシャンソンを伴奏しているだけあり
すぐに 歌手の意向を汲み取り テンポ指示など 特にしなくても
大丈夫です。

シャンソンの伴奏って 凄く難しいのです。
曲を知らないとRUBATOルバートで弾くところなど 大変です。
楽譜に書かれていない
暗黙の規則 みたいなのがあるからです。
でも 時々 規則を破りたいのが 私流でもありますので
いろいろな方の伴奏で歌うのは 新たな自分の発見につながります。
私は フランス語での シャンソンのリクエスト 「パリの空の下」
「ばら色の人生」などを 今日も幸せ気分で 歌いました。
お客様で シャンソン歌手の方が 飛び入りでP・KAASを歌ってくださったり
最後に 「ろくでなし」を 岩崎さんと 私と お客まで 代わりばんこに
歌い 明るいLUNDI ランディ 月曜日のシャンソニエでした。


マダムREI

2006年08月22日 13時46分18秒 | Weblog
DINNER SHOW ディナーショー
お弟子さんのTさんと

フランス語では読み方を変えて ディネル ショウ
パリのムーランルージュでも 夕食の後 リラックスして聞く
見るDINNER SHOWは 楽しいです。
でも いざ 自分がショーをする時は やはり
お客様に 喜んでいただくために
普段よりは かなり 頭を使います。

昔 二十代 後半 二期会に所属していた時 よく 仕事で地方へ行きました。
私は 幸運で 若い頃から大きな舞台の出演が多くディナーショー
初体験は 上野の精養軒でモーツァルトの 食卓と オペラアリア
という内容。たしか ドラベラのアリアを歌った記憶があります。
大宮でカルメンのハイライトの ディナーショーの記憶もあります。

シャンソン歌手としては お台場の 日航ホテルで 春 夏 秋 続けて
昼 夜 一年に合計6回 やりましたけれど
ホテルの主宰でも 以外にホテルは集客してくれないので
もちろん 何事も 厳しいお商売の世界ですから 当たり前ですけれど
演奏家は 集客に疲れきってしまうものです。

今回は 札幌ロイトンホテル主催で 音楽事務所がつき しかも
札幌の私のお弟子のTさんが一人で79枚も売ってくれて
100人の会場は満席の嬉しい状況。
私はお客様のため 魂と 情熱 全てを捧げ 伴奏の徳永洋明さんも
今までで最も良い演奏。パダムパダムの伴奏などは
オーケストラ かと思ってしまったほど。お客様も 盛り上がり・・・・
衣装は 数分間の早がわりで 計三回 走り回りながら
楽屋を往復しました。
又 来年も 呼んでもらえそう・・・・

東京に月曜の朝に帰り そのまま 生徒さんにレッスン。
そして 深夜まで シャンソニエ・・・・
相変わらず 時間に追われ 月日は 早く過ぎ もう 秋が近いです。
夏の終わりのシャンソンを 作詞作曲しました。今 暗記中。


シャンソニエ マダムREI

2006年08月22日 13時06分38秒 | Weblog
シャンソニエの週末

金曜日は ピアニストの森若三栄子さんが 伴奏にいらしてくださいました。
シャンソニエでも 私だけ出演の日には よく いらしていただきます。
シャンソン界では とっても とっても 有名な素晴らしいピアニストです。
私は ピアノ伴奏はもちろんですが 森若さんのファッションセンスが
モノスゴク 大好きです。
シャイな方で 写真に撮ろうとすると 駄目なので こっそり
スタッフが写しましたけれど 服装が写っていなくて 残念です。
パリの香り フランスのエスプリを感じるのです。
この日 ブルーのドレスは イタリア製とのことでしたけれど
毎回 森若さんのお洒落はパリジェンヌのようで
スタッフ一同 感嘆のため息です。
森若さんは どんな曲も すぐ 歌手の感性にアレンジして
伴奏してくださいますし もちろん 私の作詞作曲のオリジナルも
汚い私の手書き 鉛筆楽譜を 読み取り 素敵な伴奏にしてくださるので
安心。どんな曲も 身を任せて 伴奏合わせ無しで 歌えます。
今日は シャンソンを聞くのが初めてという方が いらして
日本語のサントワマミー や 恋心など 久しぶりに歌いました。
金曜の夜 お客様がお帰りになった後は
マジックの ケンさんと 森若さんと スタッフ達で 終電まで宴会・・・・・
翌日 早朝北海道へディナーショーに出発なのに・・・




シャンソニエ

2006年08月18日 11時41分37秒 | Weblog
CHANSONNIER シャンソニエ
<ピアニスト 小泉たかしさんの 撮影写真>

本格的に 暑くなりました。
まだ お盆休みは 続いているらしく 銀座の並木通りの
車は 少なく 通行人も まばらです。
静かなお店には シャンソンの大好きなお客様が
群馬から 雨の中いらしてくださり 感激。
そして シャンソン に詳しいKさんもいらして下さり
お盆休み明けの音楽の素敵な宵が 開始です。
8月17日は バンドネオン奏者鈴木たかときさん
とタンゴピアニストの丸野綾子さんの アルゼンチンタンゴの
演奏から 始まりました。タンゴは 何度聴いても好きです。

夏の夜の銀座で 前日は ハワイへ行き
そして木曜日は アルゼンチンへ
私は この夏は イタリアのカンツォーネを 歌いたい気分。イタリアへ。
O sole mio オ ソレ ミーオ私の太陽という カンツォーネは
小学校の教科書に あつた 記憶がありますけれど
明るい母音の イタリア語 歌詞も 単純な恋の歌が多く
昨晩は CON TE PARTIRO コンテパルティロ 「あなたと 旅立とう」
という ボチェッリとサラブライトマンが歌う 有名な曲を
小泉たかし さんの伴奏で歌いました。この歌は 実は
生徒さんのAさんに教えるために 覚えたのですが 最近Aさんが
とても上手に音楽的に歌ってくれるので 教えながら
好きになってしまった曲です。

教えるということは 自分の勉強になります。
よく 演奏家として食べていけるならは教えない法が良いと
考える方も 多い様ですが 私の場合はまったく逆です。
教えること で自分に課せられた 責任の重大さを感じ
身が引き締まります。

昨晩 小泉たかしさんの ジャズアレンジの 「ばら色の人生」「 そして今など」
「モンメッキャ モア」 歌っていると 自然にスイングでき
彼の本格的ジャズコードのシャンソンは なかなか 評判が良いです。
伴奏者の感性で 自分の歌も変わる・・・・本当です。

ところで 小泉たかしさんは 写真家でもあります。本格的 機材も
お持ちで 私と マジックのケンさんは 広告用の写真をとっていただきました。



シャンソニエ

2006年08月17日 12時08分23秒 | Weblog
La Danse Hawaienne ハワイアン

8月16日の銀座は まだ お盆休みの続きで
並木通りは 車も人も 皆無。
でも シャンソニエは ハワイアンショーのニーノ・マリアさん
を迎えて 楽しく 明るく 大騒ぎに 開始しました。
いつもながら ニーノさんは 凄い スゴイ すごい・・・・
慈愛にみちた 優雅な 品とセクシーさ を兼ね備えた
幸せをまねくような 素晴らしい ハワイアンです。
ウクレレを弾く ヒロさん カレオ さんのハワイ語の歌も すてき。

8月 毎週 水曜日 銀座のシャンソニエは ハワイの夜になります。
お客様の男性達は マリアさんのスタッフ男性から
男性のためのフラダンスを 習い 大爆笑の連続でした。
男性のフラダンスは とても 男っぽい動きで 大汗をかいて
幸せな夏の夜は 深夜一時まで続きました。
先週は 私を含む女性が ハワイアンを 習い少し 踊りました。

ハワイアンは日本でも人気で 習っている方も多く
流派も色々あると聞きますが
とりあえず 私が感じた事は 下半身 特に太ももに
力が集中し 歌の発声と同じで 体の軸がぶれないように・・・
踊る・・・・・優雅な動き 楽そうに見せる為には 下半身勝負。
日頃の訓練無しには とても とても 一日では 上手に踊れません。
でも 楽しいですね。
私は 座ったまま 後ろに反り返るイナバウアが 得意です。
実は 小さい頃から バレーとかダンスとか
大好きで 三歳から 二十歳の頃までクラシックバレーを
サボりながら 習っていました。その後 色々踊りを習いましたけれど
一番 はまったのは フラメンコ。
年齢のわりに一年半 しっかり練習して とうとう膝の半月盤を
駄目にするに至り 諦めました。
ここのところ 二十年間は ダンスを習っていないので 久しぶりの
フラダンスで 太ももが 痛いです。

シャンソニエ マダムREI

2006年08月16日 00時09分11秒 | Weblog
シャンソニエマダムREIの夏休み

8月15日 終戦記念日。
台風が接近しているらしいので
ぱらつく雨のおかげで 朝夕 涼しくて 都心の我が家で
ぐっすり のんびり 眠りました。
日曜 月曜 火曜日の三日間の休みは あっという間に過ぎ
明日から また いつものように 生活開始。

COMME D`HABITUDE コムダビテュードゥ「いつものように」という
シャンソンを思い出しました。
なんとも フランス的なシャンソン。
日本では マイウエイという 題名で
ダイナミックな スケールの大きい歌詞で歌われていますが
シャンソンのほうは いたつて 平凡な 普通のサラリーマンの男性の
一日を歌っています。
朝 「いつものように」起きて「 いつものように」 一人でコーヒーを飲んで
妻は「いつものように」 起きてくれないから
一人ででかけて・・・・・
ずっとそんな風に続く歌です。

明日から 私も 「いつものように」・・・・・
明るく 歌って 笑って・・・・


シャンソニエマダムREI

2006年08月14日 16時57分53秒 | Weblog
シャンソニエの 夏休み

8月12日からお店は 夏休みです。
けれども 土曜日は夜まで 生徒さんにレッスン。
そして 毎月 第二土曜日は フランス語の講習会なので
今回は La mer ラ・メール「海」 が課題曲でしたので 二時間の講習会を
行いました。いつもなら 10人以上の受講者が参加するのですが
さすがに お盆休み中で 4人だけの参加。
勉強熱心な皆さんに敬服です。

私のシャンソンの生徒さんへの願いは 是非 カタカナ読みでなく
フランス語を読めるようになって欲しい・・・・
シャンソンをフランス語で 一語一句理解して 歌って欲しい・・・
フランス語で歌うシャンソンの響きとポエムの韻の美しさも体感して
欲しい・・・・・

私が生まれて始めて 外国語で 歌ったのは 多分幼稚園の時
ABC という英語。
そして 英語の きらきら星トゥィンクル トゥィンクル リトゥルスター。

中学の一年の時 歌が大好きだったので 母校の音楽の講師の先生宅へ
レッスンに行き コンコーネとコーリューブンゲン そして イタリア歌曲
を習いました。それが 第二の外国語の歌。

音大受験までは イタリア歌曲ばかり。そして 大学入学と同時に ドイツ歌曲
を 恩師 毛利準先生が その専門だったので 厳しく教えて頂きました。
いまでも 感謝しています。
それが 第三の外国語。

大学の時 テレサベルガンサという スペイン人の美人のメゾソプラノの
来日リサイタルを聞いて 突然に スペイン歌曲を歌いたくなり
大学院の卒業修士論文と 修士演奏は グラナドスの「ゴイエスカス」です。
スペイン語が第四の 外国語。

フランス語で 歌い始めたのは 二十代後半からで これも 運命的。
亡き 河本喜助さんというフランス歌曲の先生との出会いが きっかけでした。
河本先生のお陰で フランス歌曲のコンクールに入選出来たのです。
先生が私に選んだ曲は フォーレの Prison 「牢獄」。

語学は バイリンガルでもない限り 何歳から始めても遅すぎないと
新聞で読んだのですが その通り。
フランス語習得の為に 私は 27歳の時 一日中勉強して
約三ヶ月で 3000語覚えました。当時は 寝ても覚めても フランス語漬け。
私の情熱の全てを フランス語に 注いだ時期でした。
語学学校の費用は 祖母に借りました。全額返済する前に祖母は他界。
ごめんなさい。

その後 奨学金を頂くため 必死に勉強し獲得。
家族にも言い訳の出来る 29才からの 渡欧 留学でした。
でも いざ 現地へ行くと
本物のフランス語が聞き取れず 発音は 治されっぱなし。
今も 美しいフランス語を話すのは 美しい日本語を話すのと同じくらい
難しいです。

そうそう 話は変わり
このお盆休みは カンツォーネを 数曲 勉強し直します。
大学生時代 マンマ ・カタリカタリ・ コメプリマ・ アルディラ などなど
ずいぶんイタリア語で歌っていたのを 思い出しました。
イタリア語とフランス語は とっても 似ています。ただ 母音が
極端に明るいのがイタリア語です。
だってイタリア人は 太陽のように 明るくて愉快なのだから。
欧州で もっとも愛されている民族は イタリア人。
夏のチリチリした太陽を感じると カンツォーネを歌いたくなります。






シャンソニエ マダムREI

2006年08月11日 13時19分47秒 | Weblog
マダムREIの L`HISTOIR DE L`AUTO リストワール ロト
車の歴史

木曜日は 台風も去り 暑い夏の夜。
もうお盆休みに 突入なさった方もいらっしゃる様子で
交通渋滞の様子が 日常とは違う都心です。
車しか乗らない私には 渋滞こそラッキータイム。
遅刻するのはいけない事ですが
長い車内の 渋滞時間は 私の貴重な歌の練習時間。

私の車好きは 十代後半からです。
一番初め の愛車は ロードパルという 原動機付き自転車。
これに乗って 上野の芸大へ通っていました。
今 思えば無謀ですが その ロードパルで 皇居前 スピードを
出し過ぎで ブレーキが利かず タクシーのお尻にぶつけてから
もっと 性能の良い ヤマハの50ccのバイクに買い替え
さらに 中型の免許を取り スズキGS400ccに買い変え
真面目な本格ライダーに変身 。
当時はスピンターンも出来たくらいです。
皮のつなぎで ブーツ姿は通学着。 雨合羽やハイヒール スカート
楽譜 着替えをバイクに提げ
雨の日も 雪の日も 電車には 乗らず 長野の白馬くらいなら
幾度もツーリングしたりしました。
暴走族とは 違う健全な 交通手段として 限りなくバイクを愛していたのですが
歌手としての責任が出だす頃 大学院に入ってから
バイク生活をやめ 5万円の クラウンを買って
一発免許 つまり 教習所に行かず 仮免をとり 警察署で
試験を受けて車の 免許を獲得しました。

それ以来 ずーっと 私は車の生活です。
外国でも どこでも 何の車でも ギアーつきでも
オートマティックでも 車は 電車に乗るより得意です。
レンタカーで 乗ったことの無い 自分で買えないような車に
乗るのも好きで シトロエン・プジョー・ルノーなどフランスの車も
レンタカーで楽しみます。
イタリアの車も 面白いです。
とにかく 昔は男の人に 乗せてもらうより自分で運転するのが
好きだったのですけれど 最近は 少し 女らしくなってきて
隣にも乗れます。でも 自分で運転しないと つい 居眠りしてしまいます。
外国暮らしのときは すっかり忘れていた 大和撫子の心
男性より一歩下がる事も 銀座のお商売で 少しづつ学習しています。