シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

ベルギー3

2006年01月30日 01時23分10秒 | Weblog
C'est manifique ! セ マニフィック! スバラシーイ

この言葉ほど便利に使えるものはありません。
音楽にも 絵画にも 食事にも 人物評価にも オールマイティーに
素晴らしいという褒め言葉なのです。
しかも 幼稚でなく 大人が使う最大の賛辞の言葉で 頻繁に言います。

日本で仏語を習っているときには あまり使わなかった言葉でしたけれど
在欧中には 私の口癖になっていました。

ベルギーの食事の美味しさは いまや 世界的に有名ですが・・・・
実際 フランスと比べても レストランの質の高さは 甲乙つけがたい
です。ベルギーのフランス料理は一皿のボリュームがあり 健康に留意しない
高カロリーな料理の味で 今流行のヌーベルキュイジーヌと違い濃厚で
堪らなく美味しくて いつも 私はC'est manifique !を繰り返して
叫んでいました。

一番有名な庶民の料理は ムール貝の蒸したもので ひとり四キログラム
バケツのような入れ物で 提供されますけれど 美味しくてペロリと
平らげてしまいます。付け合せは フリットという ジャガイモのフライ
です。この料理は ベルギーの首都 ブリュッセルの中心地
ビクトル・ユゴーが世界一美しい広場と言った グランプラスの側の
レストラン街で食べられます。狭い道路が全部レストランになっていて
しかも 店頭にシーフードが綺麗に盛り付け飾ってあります。
ベルギーの西は 北海 ドーバー海峡に面しているので 海の幸に恵まれ
ているのです。

極め付きのデザートは DAME BLANCHE ダームブロンシュ 白い婦人
という名の デザートです。バニラのアイスクリーム3カップ分くらい
の上に ドロドロの熱いベルギーチョコをカップ一杯 かけるという
ものです。ぜんぜん 甘く感じなくて 冷たさと熱さが なんとも言えず
C'est manific !

私が 今でもベルギーへ一年に一度必ず行く理由
実は 食べ物のせいなのです。そして セ マニフィックを連発するのです。

シャンソン 11

2006年01月26日 01時09分16秒 | Weblog
La Foule ラ フル 群集

E.Piaf ピアフのこの歌こそ 日本語で歌いたくないシャンソンです。
フランス語のリズムと メロディーのうねり感が 祭りの群集の熱狂と
人ごみの流れの表現にぴったりです。

祭りの日に恋が芽生える話は日本でもよくある話ですけれど
フランスの まつり・・・・・は凄すぎます。
一度 パリで「音楽の日」に居合わせたことがありましたけれど
この日 パリの ここかしこの広場で バンドが演奏をしていて 群集が集い
どこから来るのか おびただしい人達が 狂ったように騒いでいました。

溢れる人たちの中に一度入れば 誰とでも重なり 抜け出せなくなり
その 熱狂した魂に 身も心も自分でなくなるような・・・・・

ピアフのサンジャンの恋人Mon amant de saint Jean
モ ナマンドゥ センジュアン というシャンソンでも
セイント・ジュアンの祭りの日に 恋に落ちた歌ですけれども
興奮性の 彼らなら 祭りのたびに恋に落ちても不思議はないし
そして その日のうちに恋に落ち 別れたり あるいは嘘の甘い言葉でも
ついつい祭りの熱気に理性を失い 信じてしまったり なんでもありそうです。

ピアフの歌は そんな祭りの日の熱狂と興奮が伝わってくるのです。
恋の鼓動と 祭の熱気 情念の激しさ 一瞬に燃え上がり 失望する
人生も燃焼系なのでしょうか・・・・・・


La foule qui me vole l’homme qu’elle
m’a’vait donne et que je n’ai jamais
retrouve
群集は 私に男を与えておいて 私から奪い そして 私は二度と再び
見つけることは出来なかった





シャンソン 10

2006年01月24日 02時11分18秒 | Weblog
Le pont Mirabeau ル・ポン・ミラボー ミラボー橋


パリのセーヌ川には 美しい橋が沢山架かっています。
その中のひとつ
ミラボー橋に しばし たたずみ 川の流れに人生の流れを重ねた哲学の
シャンソンは あまりにも有名です。
G.Appolinaire ギョーム・アポリネールという
シュールリアリズムの詩人のポエムに Leo Ferreレオ・フェレ
が作曲した 芸術的な作品です。

初めてパリのセーヌ川を歩いたとき ベンチにただじっと座り 遠くの
かなたに視線を送り 何時間も 何時間も動かないままの人々が多いのに
驚いたことがあります。
若い頃の私は じっと動かず ベンチに座っていられる時間は せいぜい
10分。
まして ミラボー橋からセーヌの流れを見て 自分の人生を哲学するに
いたる心境にはなかなか なれないものでした。

今 あれから20年経ち かなり 色々な経験をした私ですけれど
相変わらずせっかちで 哲学者には とてもなれそうもありませんが
ひとつだけ言えるのは パリのセーヌの景色は 東京の隅田川周辺のように
変化していないので 毎年 年を重ねていく自分と 何も変わらない悠久の様
の対比を ミラボー橋にたたずむと 感じられるようになりました。
ほんの少し シャンソンの意味も分かるような年齢になりました。

Passent les jours et passent
les semaines

Ni temps passe Ni les amours revient

日々が過ぎ 幾週が過ぎるのに 過ぎた時も 愛も戻らない

Sous le pont Mirabeau coule la Seine
ミラボー橋の下には セーヌが流れる

Les jours s’en vont je demeure
月日は過ぎ去り 私はそこにとどまる(残る)

フランス音楽 3

2006年01月22日 21時40分33秒 | Weblog
Je te veux ! ジュ トゥ ヴ あなたが欲しい

ERik SATIE エリック・サティというフランス人の作曲家は
20世紀フランス音楽の旋律意識の復興に寄与した 純粋な音楽精神の持ち主
と評価される凄い人ですが 実は 生活のため?か もしかしたら
それが好きだったのか?パリ モンマルトルのシャンソニエでピアノ弾きを
しながら 数多くのシャンソンを作った人でもあります。

変わり者とも言われたようですが シャンソン以外のピアノ曲
器楽曲 又芸術歌曲も素敵です。
私も 声楽家の頃 好んでサティの歌曲を歌っていました。
Je te veux はアンコールで歌うのには 旋律が綺麗で分かり易く
良いのですが 歌詞の内容が 強烈で クラシックの演奏会では
歌いながら顔が赤くなるような 詩です。

私はシャンソン歌手になり 最近は この歌もシャンソン風に
歌いますけれど 本当は 芸術歌曲です。

J’ai compris ta detresse
Cher amoureux
私には あなたの欲望が分かったわ 私の愛する人
Et je cede a tes voeux
Fais de moi ta maitresse
そして 私はあなたの希望通りにするの 私を愛人にしてください




ベルギー 2

2006年01月17日 01時41分40秒 | Weblog
ベルギーのChocolatier ベルギーのチョコレートショップ


ベルギーチョコと言えば GODIVA ゴディバのブランドが有名です。
日本では一粒350円もする 宝石のようなチョコですけれど
実はこのブランドは 現地では 街中のどこにでもある工場生産の出店・・・
というか 文明堂のカステラみたいなイメージのブランドなのです。
むしろ 丁寧な手作りの名店があり こういった店は 外国に輸出どころか
五日以内に食べなければならないフレッシュクリーム入りのプラリネ
チョコで ぜんぜん甘くないので 老若男女 軽く20粒30粒くらい 食べて
しまい至福の極致。30粒 約1000円なり。
そして どんどん太っていくのですが・・・・・
私も ベルギーに在住の頃は 今より10キロ太っていたのです。

もうすぐ バレンタインの日が近くなり 街にチョコレートが溢れはじめ
つい ベルギーの味が懐かしくなりました。
ちなみに 誘惑の甘い言葉のことを
COMME BONBONS ET CHOCOLA
コム ボンボン エ ショコラ まるで飴かチョコみたい と言います。
シャンソンでも 度々出てくる言葉ですけれど ボンボン飴やチョコレート
の誘惑と 男性の愛の囁きは 同じ誘惑。

確かに ラテンの男性の甘い囁きは強烈だった 遠い記憶があります。

かなり以前に流行った アランドロンとダリダのシャンソンデュエット
あまいささやき PAROLE PAROLE パロール・パロール
という歌の一説から・・・・・

男性の台詞
tu es cette belle histoir d’amour
que je ne cesserai jamais de lire !

君は 僕が絶対に読みつくせない 最高に美しい恋物語だ!




シャンソン 9

2006年01月16日 02時43分22秒 | Weblog
Scenario Chinois! シナリオ シノア ちんぷんかんぷん

PATRICIA KAAS パトリシア カースという 美人の歌手が凄い人気で
私のシャンソンの生徒さんたちからも この歌手のシャンソンをフランス語で 歌いたいので教えてほしいと頼まれます。
この歌手は ジャズ風 ロック風に歌う カッコイイ シャンソン歌手なので
しかも 悪女っぽい ハードボイルドな曲が多くて 一度聞くと そのリズムの
魅力にはまってしまうのかも知れません。

もともと シャンソンは 吟遊詩人の流れで 詩がメロディーに乗って人生を語るという発祥です。ジャズは アフリカの黒人の労働歌のリズムからの発祥という事ですけれど このジャズのリズムは 私たちの本能に刺激的で 体の奥がうずうずしてきます。
生徒さんに教えているうちに なんとなくKAASのシャンソンを覚えてしまい
自分も鼻歌で 歌いだしているのには驚きました。
訳すと・・・・・MON MEC A MOI モンメッカ モア
私のあいつ
私の心を もて遊び 私の人生をだまし 私にうその言葉だけを言うのに
私は 信じてしまう
そのシャンソンの中で
「私は SCENARIO CHINOIS シナリオ シノア(中国のシナリオ)を話すの」という言い方が出てきて 思わず笑いました。
シノアって 中国 と言う意味です。
まっとうに訳したのでは 変なシャンソンですよね。実はシノア 中国とは
ちんぷんかんぷん とか ぜんぜん理解できないとか でたらめ とか言う意味なのです。
私は わけのわからないでたらめな事をを話すという訳になるわけですけれど・・・・
フランス人にとつて はるか遠い中国は 良く理解できないから 物事が
ちんぷんかんぷんの時は 決まって C’est chinois!
セ シノア! 中国だ! と言います。
直訳でない 言い回しというのが各国にあって それが分かると ますます
愉快です。フランス人にとっても 我々日本人にとっても
中国人は セ シノア ちんぷんかんぷん なのに・・・・・


フランス音楽 2

2006年01月09日 04時30分13秒 | Weblog
CARMEN de George BIZET ビゼーのカルメン

フランスのグランドオペラの傑作 ジョルジュ・ビゼー作曲のカルメンという
歌劇は有名ですけれど 日本でもめったに上演されないですし
まして日本人が言語のフランス語で全曲上演するということも
なかなかありません。

メゾソプラノの大役で とても魅力的な演目なので 私がフランス語を
始めた理由は このオペラ全曲をフランス語で歌いたかったからです。
日本では私の声は太くて強くて低くドラマティク 身体はは中肉中背で
大人っぽい雰囲気と言う外見だったので よく地方での仕事でカルメン役を歌うことがあり 向いている役柄と思い込んでいました。

ところが フランスやベルギーでは 私はPETITE 小さく
MAIGRE やせっぽっち MIGNION かわいい といった評価で ぜーんぜん
セクシーでも 大人っぽくもないのです。 声も メゾソプラノではなく
ドラマティクソプラノではないか?とさえ言われました。
あちらの方々は 凄い濃厚ですから・・・私など淡白にみえます。

私は芸大の大学院生の時 死ぬほどフランス語を勉強して ロータリー
インターナショナル財団の留学試験にやっと合格して 奨学金を得て渡欧
したのは 夢のカルメンを全曲勉強しようとしてでした。意気揚々の私に
留学先のベルギーの王立音楽院のオペラ科教授M.TREMPONTは
「君がカルメンを歌うと男を誘惑するような女でなく 騙されてしまう女に
みえて かわいそうだ」と言われてしまいました。

それでも 執念で 一応 卒業試験では ビゼーのジプシー女カルメンと
モーツァルトのオペラのケルビーノという男の子役の二つのオペラを
演じたのですけれど 当然のことながら 妖艶で濃厚に演じなければ
ならないカルメンより 純朴な男の子の役のケルビーノのほうが
ずっと好評でした。ちなみにケルビーノはフィガロの結婚のお小姓役で
仏語ではなくイタリア語上演でした。

私の留学生活は 失意の連続でしたけれど 取りあえず カルメンの仏語
上演の夢は 教授の反対を押し切り卒業試験で果たしました。
カルメン役の舞台で踊るためにフラメンコを習ったりまでして
カルメン役をやりたい・・・ 若い時はそれだけの人生でしたけれど・・・
結局ヨーロッパで各地の劇場へオーディションに行くと 勧められる役は
プッチーニのオペラ蝶々夫人役。
見た目のイメージって大切だと 日本を離れて実感しました。

今 私がフランス語でシャンソンを歌うのも どうしてもその頃と同じコダワリ
があるからかもしれません。






銀座 1

2006年01月05日 14時12分35秒 | Weblog
JE COMMENCE A TRAVAILLER ! ジュ コモンス ア トゥラバイエ ! 仕事始め


銀座のお店は 今日から開始です。築地市場の開始に合わせています。
良い魚 良い野菜 初入荷が本日ですので 年末年始の食材仕入れが
不可能なので 毎年怠け者と思われるような 商人としては贅沢なお休みを
頂きます。

私が音楽屋さんにもかかわらず 銀座のお店 四店舗を 今まで維持出来たなんて 奇跡ですが 父が他界するまで 銀座でまさかお店を経営するなどと考えもしませんでした。一生涯 能天気に歌っていると思っていました。
バブル崩壊直後で 銀行が破綻する直前でしたので 高齢の父の借財の保証人になったのがきっかけでした。あれから 14年が過ぎ 昨今再びミニバブル的に 株や土地が値上がりし始めました。
「二足のわらじだけは履くなよ」と言った父に逆らい オペラはあきらめましたけれど 個人単独で続けられるシャンソンに 私はどれだけ救われたか・・・・
音楽家から 音を取り上げると生きては行けなくなるものです。
歌手が歌わなくなると 逆に声が出なくなるのでから 不思議です。
商売を継いで三年目 話し声まで出なくなりました。
そんなわけで 銀座のお店経営に専念しすぎて 声帯が浮腫み
とうとう慶応病院で手術をして声帯を切り 水を出したのですが
元のピカピカな健全な声帯には戻りませんでした。声のリサイクル として
歌い始めたのがシャンソンです。
手術直後は チェンジボイスがまったく出来ない重い声帯だったのですが
年々歌いながら回復しました。
商売なんてと思っていたのに いつの間にか注いだ努力と愛情で
銀座のお店経営も楽しめるようになりました。

本日は仕事始め。
お店でスタッフやお客様にお会いできるのが楽しみです。
仕事始めのワクワクする気持ちは ステージでお客様に会えるのと同じ
気持ちです。
今年も あまたの問題は続出するでしょうけれど きっとすべて上手くいくと
確信して 前へ前へ・・・・・いざ進めです。



シャンソン 8

2006年01月03日 22時23分44秒 | Weblog
JE COMMENCE A CHANTER ! ジュ コモンス ア シォンテ ! うたいぞめ !

日本のお稽古始の習慣は何時なのでしょうか?
ヨーロッパでは 1月1日のたった一日だけしか休日ではないので 銀行もレストランも日常に戻るので お正月休みにのんびりした記憶がありません。
今年は 12月29日から1月4日まで 銀座のお店が休みで しかも 初ライブは12日なので 緊迫感がなく 年末はすっかり歌を忘れて雑用に追われていましたけれど
昨日1月2日 歌い初め(うたいぞめ)・・・・・・

クラシックの声楽家だつた頃 今から14年も前の私は 三日以上練習をしないことはなかったのです。本当に 風邪をひいても歌っていました。
クラシックの声楽家は マイクを使わないので 体や首 頭 頬 などの共鳴腔に響かせて その声の美しさや強さ大きさ 色を作るので 一日練習しないと 直ぐに自分に返ってくる辛さがあります。よく腹式とか お腹から声を出すとか曖昧な表現を耳にしますけれど 声を出すには 体中の筋肉と横隔膜を駆使し 理想の響きを
つまり バイオリンで言えばストラディバリウス ピアノでいえばシュタンウエイのような 良い音色の出る体を作り上げながら 楽譜に忠実に かつ時代や作曲家のスタイルを再現する僕となるべく 練習を重ねるというわけです。
一曲の歌曲を何千回練習しても 満足いく音色 響き 表現ができません。そして
歌いすぎると 声帯が充血し音声障害を起こして回復までに長くかかり おしゃべりもできず 黙って暮らさなければならなくなるので 本番の前は 小刻みに時間配分をし 一度に30分位を 六回に分けて練習するのです。
今思い出しても過酷な毎日でした。ステロイドの服用 吸入 マスク は必需品でした。睡眠薬の服用は 高校生の時 当時芸大受験のプレッシャーで眠れないときに
芸大の恩師に勧められてから 本番前にはいつも飲んでいました。
シャンソンと絶対的に違うのは マイクを使って詩を語り表現するのと違い ホールで倍音が共鳴する声の良さを求められる点です。美声がなくては歌手にあらず。

シャンソン歌手になって 初めて声楽家の時代の肉体の苦しみから解放されました。シャンソンでは 時として美声は邪魔になるし 大声や均一性のある音色は詩のドラマ表現の面白みに欠けます。ただ 小さい声から 大きい声の音量の幅や 何色もの声色を作れれば これは表現の助けになります。息の長さなど声楽家時代に得た技術は役に立っていますけれど 新たな苦しみが始まりました。
それは 詩の解釈のセンス フランス的であるか?日本人向けであるか?
オリジナリティー 個性は? フランス語と日本語訳詩の違和感は?

結局 どんなジャンルでも ただ楽しいだけという喜びは 神様は下さらず 努力と苦悩の暁に 歌う幸せを下さるのです。
歌いぞめ・・・・・・今年 公の場に出したい曲を練り直し始めました。

シャンソン 7

2006年01月02日 01時59分59秒 | Weblog
BONNE ANNEE ! ボナネ! 新年おめでとう!

パリの大晦日は それはそれは華やかです。
日本の31日から元旦の夜のように静かに除夜の鐘を聴き 初詣をするような神々しい感じではなく パリのレストランには 人が溢れ 深夜12時になると同時に
皆が一斉に隣の席にいる人々とembrasser アンブラッセ 頬にキスをし合います。
まずは夫婦やパートナー そして親や子供 友人 他人と 次々に抱き合い 新年の喜びを分かち合います。

レストランから パリの街に出ると ビルの窓から顔を出す人 道を歩く人々
猛烈な勢いで走る車から身をのり出す人々 とにかく半狂乱状態で bonne annee
ボナネ ボナネと叫びだします。
私は この時とばかり 日本人を返上して 同じように新年を祝います。
ボナネ! 赤の他人と新年を抱き合って喜び合い 街を歩き回ります。
パリの街に花火が上がり 色彩と音が 盛り上げます。マイナス5度くらいの
新年になりたてのパリは 大騒ぎで 寒さを忘れて ついつい歩き回り 凍えそうになってCAFE キャフェに飛び込みます。
アコーディオンを弾きながら歌う男性がいました。
満員のCAFE で私は VIN CHAUD ヴァン・ショ 暖かい赤ワインを注文し 冷え切った体を暖めていると 耳に 聞こえてきたシャンソンは Et maintnant エ マントゥノン そして今という曲です。
「そして今 どうしたらいいの? 貴方が私から去って 私の人生はどうなるの?」という 詩ではじまるこのシャンソンは ジルベルべコーが 失恋して自殺しそうな
歌手G.ラッソの為に作曲したもので とても辛い歌です。
なんだか 涙がこぼれてきて 結局しんみりしてしまいました。

華やかな祭り 楽しい一瞬 は 人間の生まれ持つ深い孤独感 失恋や 愛の喪失
別れ 運命の過酷な試練などへの 流れ星のようなご褒美なのかもしれないと感じたのです。
大晦日 明るくて大騒ぎのパリの人たちの新年の大騒ぎ状態の裏には 今ある平和への祈願にも似た狂喜なのだと 生きていられる現実への感謝なのだと 思うのです。
マダムREI