シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 深夜一人の幸せシャンソン

2013年06月29日 04時24分55秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 深夜一人の幸せシャンソン

あっという間に四時間 ・・・五時間・・・六時間
楽譜と フランス語の歌詞をにらめっこして
語ってみたり 歌ってみたり
記憶と刷り込みと 繰り返し・・・
大学受験の頃を 思い出します。

あの頃も よく飽きずに勉強したし
大学院卒論や 奨学金獲得の試験の時も ひたすら 家に籠って
もくもくと 深夜 朝まで 学んでいたなー
あの頃の自分と 何も変わらず
今も もくもく こつこつ シャンソンの歌詞や表現方法を
考えて 音楽性を煮詰めています。


勉強は 最大の好奇心満たす幸せで
クリエイトである 芸術作品を作り上げる過程は
至福。
一人 孤独であることには 変りはないけれど
それすら
今現在の私にはありがたいです。

人は 孤独を恐れるし 加齢も恐れるもの。
けれども
一つの道があれば・・・それは 決して楽に継続できるわけでは
ないけれど 人生の拠りどころで 寂しさを 埋めてくれます。
道の途中で 辞めてしまう事もあり得たのに
半世紀 同じことを続けていることが 
私の人生にとって 空気の様でもあり 価値が深くなっています。

孤独であることへの 感謝さえ湧き
加齢とともに その道での 進化する技や 理解度や 向上心への
意欲は 天に続く道であると 感じ始めるものです。

人は 全てを得ることは出来ない。
私は 家族を 持つ運命が 無かったのかもしれないけれど
その 一人きりの時間の 相棒が 音楽で 神からの私への
ギフトだったのかもしれない。
音楽の道は 経済でも 社会でもなくて 私にとっては
宇宙空間で 神のもとへ行くまでの 修行の道であり
快楽の時間なのだわねぇ。

何時間 学んでも 今夜も 進歩は ちょっとだけ。
又 明日も がんばろーっと。
「おやすみなさい」とか「おはよう」とか
いう相手が家に居ないという 人生を想定はしなかったし
まさか
一人で暮らし 一人で生きて シャンソンを深夜 一人幸せに
歌い続けている自分も想定外でした。不思議だわー。まったく。

シャンソン歌手 リリ・レイ Lili Ley シャンソン修行

2013年06月28日 00時53分40秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイ Lili Ley シャンソン修行



我ながら イヤになっちゃうのーです。
あー今日も
ウドンコさん 近藤正春さんが 我が家にいらしてくれて
八月九日の 内幸町ホール主催(つまり 東京都主催という事ですが)の
三日間のシャンソンイベントの初日は 私リリ・レイさんに
頼んでくださったので
せっかくなので
エデット ピアフ 没後50年 のオマージュ(追悼)として
21曲 を 全部フランス語で 歌うのですが。。。。

午後二時から七時まで ずーっと 二人で全曲を学んだのですが
まぁ 百分の一位しか 達成せず・・・・
音楽というものは 宇宙ですから
何時間 練習しようが 全然苦でないことは
ウドンコさんも 同じ感性です。

そして もう 七時過ぎると 勿論マイクは 近所迷惑。
もともと
マイクなしでしか 練習しないのが 私ですから
体力勝負
マイクに頼らない 腹声 全身全霊で 歌っています。

二人とも 課題を沢山抱えて
構想を練り
私としては
大竹しのぶ や ピーターや みわあきひろ
が なさった ピアフ物語的な 舞台は 作りません。

音楽家 歌手として 
ピアフの 歌唱 作曲家 詩人の魂を 伝えたいと思っています。

夜は 手作りの私の料理 で
白ワインシャブリ 赤ワイン ボルドーシャトーもの
二本も 飲んじゃいました。
ウドンコさんは 私の妹みたいです。
私の料理は 素材と 手間暇が凄いと 褒めてくださるし
味付けは レストランみたいよ・・・・って褒めてくれるので
豚は 煽てられて 木に登っちゃいますよね。

料理は
沢山の 名店で食べつくして 初めて解る味つけ
毎日 作り続けて 出来る 技
歌唱も
同じことですが・・・・生を聞いて聞いて 毎日練習して

ピンからキリまで 経験がものを言います。
なので
経験できる行動力というものは 健康でなければならない。
まだまだ
私のシャンソン修行も 人生修行も 続きます。

そして修行させてくれる 一つの道を 神が与えてくれたことに
感謝。運命に 感謝。日々と 私を支えてくださる方々に
感謝の言葉しかありません。



シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 気温の変化

2013年06月27日 04時26分14秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 気温の変化

先週の月曜日 大きな割れた板ガラスに ズボンを引っかけて
右足の外側の くるぶしの上を 横にかなり切ってしまい
おっちょこちょいの あわてモノの自分の責任なので
あまり痛くは感じないのですが
ちょっと 自分で直せる様子でもなかったので
形成外科で 先週水曜日 六針縫ってもらい
普通の暮らしをしていますが 抜糸が今週末なので
なんとなく お酒も飲まずに 静かに
家で のんびり 自宅シャンソン練習して暮らしています。

家でも ばたばた足り回らず エレガントに行動しないと
怪我するものなのだわー
8年くらい前 自宅のソファーの脚につまずいて
左の足の薬指 折ったこともあるから・・・
オッチョコチョイの慌てモノ であることは確かです。


今夜は 少し涼しくて 長袖シャツにカーディガン 靴下まで必要なほど
大雨の後で 冷え込んでいます。
さっきまで
六時間も 朗読練習したのに 新曲四曲が なかなか記憶できない。
嫌になるわー

やってもやっても 出来ない・・・と思っても 必ず出来上がるのは
確かなので とにかく やり続けるだけです。
経験というのは 有難いもので
フランス原語の三分間のシャンソン記憶は 
果てしなく時間が掛かることも 分かっていて
能や体に刷り込みとしての練習量が
作品完成までに 多いので
出来上がる頃には かなり 完成度が高くなっています。

あー それでも この 記憶作業は 忍耐だわねぇ。修行だわ。
毎度 ふーふーいいます。
それに ピアフの作品 既に舞台に出したもの17曲も
直ぐ あちらこちら フランス語口が回らなくなる。
ところどころ 忘れちゃうから・・・・
受験勉強体制だわ・・・・試練試練。
そこに 山があるから 登る・・・・ふーふーはーはー登りまーす。



 


シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY ゆったり火曜日シャンソンデー

2013年06月26日 02時29分19秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY ゆったり火曜日シャンソンデー

火曜日は バレエのストレッチの日なのですが
例外的に 多佳子先生はお休みです。
というのも モダンバレエの トップダンサーとして
世界中で活躍している 多佳子さんの娘FUKIO takaseさんが
本日 帰国するので 
我々は せっかくの 機会なので 多佳子を娘さんとの
わずかな 日本国での親子水入らずの時間を費やしてもらいたくて 
休みにしました。

スポーツ選手とか バレエのダンサーとかには
DNAで 似た筋肉や運動神経を持っているので
代々 親から子へと 歌舞伎の世襲みたいに
同じ 職業に就く人達が 多いですねぇ。

音楽は あまりありません。
とても少ないです。
何故かわからないけれど
ぽっと 出てくるのが 音楽家の世界では 多いみたい。
表現力とか
感受性とか
色々な経験とか
師との出会いとか・・・・

筋肉の反射神経や 筋肉の柔軟性は どの楽器を弾きこなすのには
必要なので 運動神経の発達した人が 多いかもしれませんが
声を 内臓の筋肉で息を吐かせるという 人間楽器を作り
奏でるのは 他のピアノやバイオリンのように固定した楽器とは違い
肉の体で 音色を作るわけですから ・・・・大変な 全身運動です。
でも 不思議に 声という音を奏でる人間楽器は
暖かいし 何より言葉という原語を奏でるから 凄い。

体つきや骨格 首の長さ おでこの広さ 背の高さなど
全てが その人の 音色に関係するし
声楽的に 理論で言えば 息の芸術が声だから
息の吸い方 息の吐き方 横隔膜の訓練だけが
永遠のテーマです。
良い音色 は 耳に心地よく 肉の音色は 味が深い。

言葉さえなければ どんなにか楽か・・・とも思います。
フランス語の発音は 本当に難しくて
毎晩 朗読して 矯正しています。
難しいから練習する。出来ないから訓練する。だから
上手になる・・・というのが 私の理論で 方程式で
それを てくてく 努力する。
あまり 必死に取り組むと 機械みたいになっちゃうので
ほどほどに・・・遊びながら・・・
まぁ よく長年 歌の練習し続けているものだわー

何だかんだと ピアノは三歳からだけれど
声楽は 12~13才から始めて 本格的に芸大目指したのが
高校一年なので ずーっと だわねぇ。
道は長いけれど なかなか 理想は遠くて・・・到達しないまま
あの世だわねぇ。
でも まだ辞めないというのは
過去の培った技術を 失いたくないからということと
やはり 打ち込める情熱の 矛先が 
歌の練習なのかもしれません。

私にとって
それが オペラでも 芸術歌曲でも シャンソンでも
理想を求めて 新曲に挑戦することで 精神の均衡を保てている
に違いありません。
音楽との出会いには 感謝 感謝。ありがたい一生です。
音楽は 私にとって 救いで祈りで 人生の拠りどころです。



シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 男と女の物語シャンソン

2013年06月25日 01時22分31秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 男と女の物語シャンソン

私は 神様を信じていて
邪道ですけれど 元祖多神教みたいに 八百万の神様に
感謝して暮らしています。
その中でも 好きなのが マリア様です。

プロテスタントでは 偶像を崇拝しないから
カトリックの教会の マリア様の美しい姿の銅像は大好きです。
慈愛の 微笑み 優しいエレガントな姿かたちは 幼稚園の時から憧れでした。

それと反対で 十字架にかけられたイエスキリストの像は
なんと 悲しい辛い雰囲気なのか・・・・
あー
でも 私は 「十字架」というシャンソンが大好きです。
神よ モンディゥ MON DIEUという 言葉の入っているシャンソンが
歌いやすいのです。


男女の恋の歌は 入れ込み過ぎてしまう。どんなに
さっぱり 大人っぽく歌おうとしても 情熱が ほとばしってしまい
クールに演じられず いつも DVDを見て ガッカリしてしまいます。
今日は 先日の内幸町ホールの サンプルが届いて
チェックして そのあと 日本シャンソン館のライブのDVDを見て
自分の あらさがし・・・・・
やはり 神様へ訴えるシャンソンが 私には似合っていました。自然。

そして
私が 男女の喜怒哀楽にどっぷり浸かっていた時代が
今は 懐かしいくらいに 静かな時代をシャンソンと共に
過ごさせていただいています。
ありがたい 静かな私の時代が続いていて 感謝です。
そして歌う時は 肌と心に蘇る感覚を抱き 懐かしい昔の私の恋と愛
の感性。
ノスタルジーを歌うと とても女らしくなれます。
私にも 乙女の恋の時代があったもの。
そして 大人女になり業も知った時代があり
平和に おばあさんになってゆく私に 安心感。

私の体には 燃えるような情熱があり
今 その燃える思いは お弟子さんや 私を支えてくれる
沢山の皆様へ
そして なにより 自分に鞭打ち舞台技術の修行に情熱を注げています。
まだまだ 諦めないわ。日進月歩の 神への芸術の道を歩みたい。
男と女 そして神 私の人生は 摩訶不思議だなー。

今宵は ピアフ21曲の歌詞朗読して寝ようーっと。
全部朗読し終わると 一時間位掛かるもの。二回戦すると二時間。
練習には 本当に手間がかかります。
それに ピアフのシャンソンは 声を張りフレーズも長いので
真剣に全曲歌って練習すると 体重は一キロ以上 痩せちゃいます。
栄養をつけなくっちゃ。八月まで 自分との格闘技。
私は情熱の女。何に対しても 真剣で熱い。
その燃える昔からの性格は 加齢しようが 恋心が無かろうが
なんら変らないみたいね。



シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley トトキのデザートは歌舞伎座で

2013年06月24日 04時38分17秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley トトキのデザートは歌舞伎座で


銀座 レディトン トトキ 十時シェフのデザートは
歌舞伎座の中の 桧という お店でも食べられるわょーと
マダムFのおっしゃるとおり だそうです。
十時シェフ の その 美味しいデザートを 頂きました。
三色のブラマンジェです。

十時トトキでは 通常は木曜日だけ 私のお弟子さんの園田さんが
夜 ソムリエをしています。
園田さんはサラリーマンは 引退していますが 
お勤め人時代に勉強してソムリエの資格を
とってしまったので
定年後も今 週一回 ソムリエとしてサービスに努めていらっしゃいます。
なので 見た目も 動きも 若い若い。

園田さんおすすめの
シャンパンも ワインも リーズナブルで 美味しい
お食事にあった ものたちでした。
美食は 私の音楽へ とても良い感性をくれます。
普段は自炊で ヘンテコなリラックススタイルな私のに
こうて 人間業の フレンチで 儀式的なディナーを
するという事も刺激的で 感動ドーパミンが 溢れてきます。
ありがとうございます。
シャンソンの 色艶 感性 味に 絶対にフランス料理ディナーは
不可欠です。私は そう信じています。

シャンソン歌手 LiliLei リリ・レイ 長坂 玲  銀座の味 と心

2013年06月24日 04時19分28秒 | Weblog
シャンソン歌手 LiliLei リリ・レイ 長坂 玲  銀座の味と 心

銀座 ヤマハホールの地下のホールは なかなか立派でした。
照明も 音響設備も素晴らしいし
「銀座でシャンソン」という コンサートは 日本シャンソン協会が
今回初めて開催した 記念すべきシャンソンコンサートなので
お弟子さん大脇彩さんと 私と二人が 出演できたということは
感慨深いです。

堀内環さんが構成演出なので
このコンサートは亡き日本シャンソン協会会長の
芦野宏先生が喜んでいらっしゃると思う・・・と 舞台で
ご挨拶なさったので
急に 芦野先生のシャンソンが恋しくなりましたし
とても 芦野先生を深く感じて
マダムFと勝本先生と私の三人で
先生の 「お別れの会 帝国ホテル」の帰りに行った
なか田  に行きたくなりました。
あれ以来
一度も行ったことのなかったのに 
お寿司は それ程好きでもない私なのに・・・・

ヤマハのコンサートの帰り
皆さんと  帝国ホテル地下の お寿司屋さん「なか田」へ
参りましたよ。
芦野先生とご家族が
よくいらしていたという 「なか田」という お寿司屋さんへ
聞きにいらした五人のみなさんと懐かしみ 寄りました。

私は 小肌が だーいすき!
と叫んだら 着物の仲居さんが「芦野先生も 小肌が お好きでしたよ」と。
あらー
芦野先生の話題が なか田でも 聞けて嬉しいなー

ブラボーパパ マダムF シオンさん おいかわさん
皆 芦野先生がいらっしゃらない舞台は 寂しいと 
思っていたはずですし 私も 寂しかったですが
美味しい お寿司を頂いてから 梯子で 一階ロビーの
煙草の吸える 生ピアノ演奏のある 喫茶で
またひとしきり お喋りを楽しめば・・・結局
最高に 幸せになってしまいました。

コンサートの一部と二部の 幕間の時は
私以外は 皆さん資生堂パーラー四階で 三時間も過ごしたそうです。
私の周りの皆さんは
お洒落で グルメで 話好きで シャンソン好き
そして 銀座好き。

私の店も かつては 銀座にありましたけれど
その時は 自分で意識はしていなかったけれど
銀座の老舗は 祖母も父も 大好きでしたから
なにもかもが 懐かしくて・・・・
そうそう
昔 私のお店の常連さん紳士が こんなこと おっしゃっていました。
「銀座の 銀はね お客様の金色よりは 目立っちゃいけないカラーなんだよ」

つまり サービスも品格も 成金ぽく ピッカピカなのではなくて 
さりげなく本物でなければならない・・みたいな
銀座の名店は 本当に素晴らしいです。心があります。

まぁ 私は38年続いた 脱サラ父のお店を一つ一つ〆ていき
最期の一店舗も 地震後に閉店できたことには
神の救い・・・位に 後悔どころか 有難いけれど
お客様になる方が ずーっと お店屋さんとして営業するより
楽しいです。
サービスを提供する側と 提供される側では 天と地ほどの
差があります。
舞台も同じ 開催する側と お客様の側では 相当に
精神作用が違います。

サービス精神というのは 実は とってもとっても 大変なものですね。
銀座の店経験は 私の舞台人として  役に立っています。
お客様に お仕えする 18年間でした。
舞台に立ち お客様の為に歌う努力 訓練と とても似ています。
有難い経験をさせて頂いたのだわ。
でも 二度と お店屋さんは 嫌です。
舞台で 皆様に エンターテイナーとして奉仕できることを
今後は 鍛錬していきます。

昨日の 銀座トトキ も そのあと梯子したバー  テンダーも
最高品格 最高品質 最高サービス 心配り。
銀座の中でも 最高の お店の質です。
そして 鈴村家の大事なイベントに
お誘いいただいた名店なので 私としては 敬意を表して
とっても お洒落してまいりました。
舞台みたいに 私としては 頑張りましたよ。
舞台以外の 華やかな世界へ 誘ってくださいまして感謝。

最高級のお店の お客の立場になると
逆に
お客様を満足させるには どうするべきかが・・・見えてきます。
全ての道は すべての回答でもありますね。 
 



シャンソン歌手 LiliLei リリ・レイ 長坂 玲  色々人生シャンソンその②

2013年06月23日 02時04分25秒 | Weblog
シャンソン歌手 LiliLei リリ・レイ 長坂 玲  色々人生シャンソンその②

毎日 感謝の日々です。
今日はパリ祭の 全通し稽古させて頂き ありがとうございます。

今 銀座の 日航ホテルで ブログを入れさせていただいています。
というのも
麻布のつづきスタジオの後 マイカーで 銀座まで来て
夜の部が 銀座 十時さんのレストランに ブラボーパパ家族から
ご招待いただいているので
飲むために 車を駐車場24時間パーキングに泊めて
ホテルに泊まることに いたしました。
明日は 日曜日。
自宅に 1時までに 戻れば 仕事に間に合いますから
飲んだら乗るな・・・・守るために
防衛手段。

レディトン十時トトキは 美味しくて 優しくて暖かくて
皆様に とても 良くして頂き
そのあと バーテンダーで 素晴らしいカクテル
マティーニと ・・・・サンゴという沖縄の海の色の カクテル頂き
感謝感激 です。

たまには 傷ものに なりたいくらい幸福を頂いて
罰ばちがあたりそうです。

なので 今週月曜日怪我したみたいです。

シャンソン歌手 リリ・レイ Lili Ley 涼しい夜 髪を染める・・・

2013年06月21日 01時25分53秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイ Lili Ley 涼しい夜 髪を染める・・・

髪の毛を 自分で染めるという便利さを 昨年から覚えてしまい
四か月に一度くらい 気分転換に 自宅美容院。
三十分くらいで 染まるし 簡単です。
ヘアーカットも 段々ウルフ に自分でしています。
とにかく両親から
器用貧乏・・と言われ続けた 私ですが
今は 器用なので 貧乏にならない・・・という感じになってきました。

昔は 庭も 植木屋さんに来てもらっていたのですが
最近は 時間もあるので コマメに 長い植木ハサミで
高いところの木の枝も 自分で カット。
楽しいんだわー

自給自足の生活が出来るのも 通勤に費やす 一日三時間近い
交通時間の節約ができているので 自宅に居る生活がありがたいです。
しかも
今年から 木曜日が 自由日なので 色々なことが出来ます。
家も 綺麗に掃除したし 整理整頓もしたし
髪の毛も染めたし 
髪の色も ちょっとだけ明るくして 心爽快。

明日歌う シャンソンの朗読と 楽譜確認して
ちょっと 練習して 早めに寝よーっと。

舞台は 私にとっては 小旅行です。
色々な支度や準備して 遠くまで出かけるわけですから
行く先が 
銀座でも 内幸町でも 群馬でも パリでも 旅芸人・・・っていう 気持ちには
変りありません。
生活環境が 変る刺激が アーティスト達の 若さと自由な気持ちを
保持し続けられる 所以なのかもしれません。
家で練習して 旅に出て 舞台で芸の深淵を経験するのだわ
気楽な旅でないから 超刺激的。

明日の銀座への旅芸人リリ・レイは いつもより
前日 少し安心です。
明日歌う
モンマルトルの丘は 先週も舞台で歌ったからなのか
好きなサイズ 100人の小ホールだからなのか
銀座だからなのか
初めての ホールだからなのか
お弟子さんの 大脇彩さんの昼の部を14:00
から お客さんとして聞けるからなのか・・・
とても わくわくしています。
昼の部が終わると
自分の ゲネプロがあり 本番は 最後から 二番目だから
相当に 長い緊張の一日になりそうです。
それが 刺激で その長丁場のための 日々の訓練。
そして 自分の精神と肉体の強さの お試しだから
私には この舞台生活の 継続が 人生円滑加齢防止作戦です。






シャンソン歌手 リリ・レイLILI LEY 慈愛の雨が降るシャンソン人生

2013年06月20日 19時41分04秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイLILI LEY 慈愛の雨が降るシャンソン人生

梅雨に入ってから ほとんど雨が降らなくて
初夏の気分を満喫していたのですが
やはり 全国的に水不足になりつつあり 田植えの心配まで
しなければならない程で
自宅の側 仙川も カラカラ 状況で 川底が見えて
水藻が ぐんぐん延びて 川が草原化しているので
いやー はやー こんな事も珍しいわ・・・・

やっと 雨が降り始めました。
慈愛の雨。万物に必要な雨です。ありがとうございます。
気温は下がり 湿度は強烈90%以上。
喉が 痒い。ハウスダストの見えないダニ達 庭土にも居る見えないダニ達
みんなが 元気になり 私に襲い掛かる季節。
毎年の事です。
ハウスダストアレルギーが もともとある 私としては
痒い痒い。
腕には ダニの噛んだ二つの跡があるー。
でも 驚かないわ。

湿度の少ない 欧州では こんな症状は全くでなかったものですが
かつて
ベルギー留学から帰国した その年は そのアレルギーの症状が
爆発的で アレルギー科に飛んで行ったほどですが
日本に住めば その 風土になれて 少しづつ免疫も増してきました。
絨毯を全部板の間に変えたのも この時の(今から20年前です)
父の判断でした。
父の慈愛を 感じちゃうなー。
まあ
娘が お岩さんのようにダニにアレルギー反応起こしていたので
びっくりしたらしいし 父自身自は四の五の言わなかったけれど
父も痒かったみたいだし 私と同じDNA体質で赤く腫れていたみたい。

でも
湿度の無い国では それはそれで 他の色々な別の障害も出てきます。
日本では無い 体の異変。
まず 肌が 乾燥して痒い。
髪が 乾燥して ぱさぱさ。
喉が 乾燥して 声が出にくい。全てがみずみずしくない。
理想郷はないから
自己防衛本能と 免疫力つけて 生きるしかないなー。

念入りに掃除機かけて 拭き掃除すると ダニ君は 少し静かです。
なので 木曜日は 掃除デーになってしまいました。

明日は 舞台本番。
チケットは 売り切れも早く 配布も少なかったので
皆様からの 申し込みを お断りばかりしました。すみません。
「銀座でシャンソン」という 日本シャンソン協会 主催です。
楽しみでワクワクいたします。

我が家の ブラボーピーパパ寄贈の 真っ赤なりりーが
「気合ダ二ー」と 笑ってくれています。



シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley シャンソン衣装裁縫のDNA

2013年06月19日 03時48分58秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley シャンソン衣装裁縫のDNA

裁縫好き な私。今回は おニューの白い衣装ですが
試着してみると あちらこちら ぴたーっとフィットするラインが
気に入らなくて 直し始めたら 以外に時間が掛かりました。

母が 刺繍や裁縫が得意で 一日のほとんど寝る時間以外は
裁縫室に居続けている姿を ずーっと 見ていたので
いつのまにか 私も裁縫が得意になりました。
でも
同じ環境に居たのに 妹は裁縫が不得意で 雑巾も縫えないそうです。
やはりDNA なのかもねぇー。
器用貧乏と 親からは言われていたけれど 裁縫できると便利です。

母の家計は 江戸っ子 四代以上さかのぼれますが
母の母親は 山梨から嫁に深川門前中町へ来て
深川芸者の粋さが 大好きだったとか・・・
祖母の家は山梨で医者でクリスチャンだったけれど
嫁いだ家が仏教でしたし 昔でしたから 神道の儀式も
沢山やらなくてはならなかったと 話していたっけ・・・

母方の祖父は 芸者をあげたりする事業家だったので
いつも 祖母は芸者さんより良い着物を着て くっついて行き
ライバル心燃やしたのよー なんて 言っていました。
歌舞伎にも新しい着物を仕立てて 毎月 出かけた話も聞いたわ。

中学生の時 銀座の一丁目から八丁目まで案内して
老舗の説明してくれたのも 母方祖母でした。
おしゃべりで 姉御肌で おかしくて 綺麗好きで お洒落な人でした。
裁縫も得意だったし 花達を育てることも好きな人でした。
家に籠って 裁縫魔の母は 社交的ではなかったし
多分 アスペルガーだと思うし 精神科医にも通っていたし
うつ系のタイプでしたし 突如怒鳴ったりもしたり 
笑い話も出来るけれど 天然的な
摩訶不思議なタイプでした。
私は祖母と父に似ていると 妹はいうけれど 
籠って 深夜妖怪の様に練習したり 裁縫したり
一人でいるのが好きなのは 母似じゃないかしら?

私のDNAは この私で最後です。
ながーい ルーツの 末端の私。
良くも悪くも 私が最後という 運命に感謝です。
だからこそ
先祖の皆のDNAが 一杯 満タン。 祖先に感謝して 精一杯生きたいです。

シャンソン歌手 リリ・レイ LILI LEY ありがとう暑さと湿度と シャンソン

2013年06月19日 02時41分58秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイ LILI LEY ありがとう暑さと湿度と シャンソン

室内の気温が29度位になり 湿度も80%
雨風が やってくるという予報ですが まだ ずーんと重い空気で
雨の音は聞こえません。

昼間
お稽古の時 今年初めてクーラーをいれました。
皆さん汗だくですもの。
私には 寒い。
バレエのストレッチの時は 勿論 クーラーなしです。
あー この暑さと湿度で 私も皆さんも 凄く体が柔軟で
足も高く上がるし バレエの基本技が いつになく 素晴らしく
見事な筋肉です。
基本に基本を重ねて 体中の外も中も鍛えてから
踊らないと 怪我をするし 無理をするし
ダンスを踊るときは 先生に振りをつけてもらい
記憶して 踊るものですが まだまだ 誰一人
すかーっと したダンサーの筋肉は 付いていません。
皆さん 汗だく。

私と多佳子先生は 長年の筋肉技の肉体保持者なので
汗をかいたり 呼吸が乱れることは まず無く
もともと 二人とも 低血圧 低体温 低脈拍のスポーツ心臓なので
疲れるとかいう感覚もないし
筋肉は 痛いくらいに引っ張って伸ばすと 酸素が筋肉に入り
それはそれは 快楽なのです。

ダンサー向きの私の体ですが 私はダンサーになりたいと
思ったことは 一度も無くて あくまでも 肉体快楽のための
趣味です。
シャンソン歌手になりたいと思ったことも なくて
なりたかったのは 声楽家として 世界に通用するオペラ歌手。
今は 儚い夢の 物語です。
世界でトップ オペ歌手で居続ける為には 
国籍も変えなくてはならないし
日本在住では 仕事は取れないんだーと知ったのは
ベルギーで留学して しばらく歌手をしていた時です。

当時は
亡命してきた 東側の国 の演奏家たちは
偽装結婚みたいに まず 誰かと結婚して 国籍を持ち
離婚して 自由を獲得し ベルギー交響楽団みたいな
団体の演奏家としての仕事を得る・・・という 具合でした。
共産圏からやってきて 結婚によって 国籍獲得してから 
演奏の自由を獲得した人々を沢山知っています。

まだベルリンの壁のあった時代の話で 東側では
演奏する曲目まで自由がなかったそうです。

姉はバイオリン 弟はピアノの才能が有ったので
親が 姉弟二人で二十歳前に亡命させた・・・という
ダニエラ とアンジェロ という姉弟は 
私のベルギー時代の友人でした。
フランス語も拙いのに 二人きりの 他国での
したたかなまでの 生きざまに 敬服しました。
二人とも 二度目の伴侶は 良い相手を選べたし
仕事もし続けていたし
ベルギー人として 演奏家として生き抜いていたのですが
私には とうてい出来ない 真似さえできない。

日本人なんだなー 私は。
軟弱かもしれないけれど
父や母が存命の頃 とてもとても 一人きりで 多国籍で
生きる戦略など・・・・無理無理。
音楽家としてインターナショナルに生きたい願望は
常にあるけれど 島国根性は 抜け出せない 臆病モノですし
勇気もないうちに 年取っちゃいました。
どうしているかなー 今。ダニエラとアンジェロ。

本日の私の肉体は 最高快感です。
シャンソンとバレエの技を磨く。暑くて湿度の高い部屋は
筋肉技が 楽々 悠々 快楽。
気候に感謝いたします。
ファンデーションも 昨日から辞めてしまいました。
目の周りと 唇の紅だけ。
金曜日に着る 白いドレスを 少し直したり
アイロンかけたり裁縫して
今日は 早めに寝よー っと。