シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリは土曜日から日曜日になりましたシャンソン歌手パリLASTナイト
パリの金曜日と 土曜日は
皆 眠らずに 人生を謳歌しているようです。
窓を開けて
一時間に一本の割合で
煙草を吸うとき
右を見るとオステルリッツ駅
人がザワザワしています。
窓の下には
まだ 歩いている人たちがいます。
本日 土曜日は
ずーっと 晴天で暖かくて
私は午後三時半に家を出て
夜八時まで
歩き続けました。
なーんと 部屋に 携帯を忘れて
写真が取れませんでした。
大島さんに 頼んで 写真を 取っていただきました。
後で PCに 来ると思います。
今 ラストナイトの 靴と 足と 台所の写真を撮りました。
そうそう
本日の 10時間授業
では
三回 キャフェで休憩して
水分も補給。
夕食と ペリエ
コンサート後
キャフェで 赤ワイン
買い物もしました。
まず
午後三時半
パリの野外授業開始 探検隊開始
JARDIN DES PLANTSを歩いて 通り抜け
アラブのモスクの前を歩き
プラス モンジュ
そして ムフタール通りを懐かしみ
パルテノンまで 行き
そして リュクさんブール公園の ちょびちょぴ噴水と池を
眺め
あまりの 人間の多さに 仰天し
上野公園みたいだなー
てくてく
モンパルナスの VAVIN到着
我が家から 一時間だけしか 掛かりませんでした。
セレクトという クーポールの前のキャフェで
パンぶるむーす ピンクグレープフルーツの ジュースを飲み
30分我慢して 哲学者ぶりっこ。
そして また てくてく
買い物もして
二週間前に寒くて セーターを買った
ZARAに
また 入ってみたら
もう 品ぞろいが 大幅に 変化。
えー
社会勉強。
人間を飽きさせないために
陳列も 全て 変化。
二週間前に滞在した
モンパルナス ヴィアン ヴ二ュ のホテルの前を横切り
ヴォジラール通りを歩き
このゴジラみたいな名前の 通りヴォジラーは
大和田さんの大好きな 夜の通行人に捧ぐに 出てくる通りです。
ヴオルテール駅の
そばの キャフェで ミルクコーヒーを飲み
忍。時間つぶし。
そして
ブロメ通りに入り
ヤノスキーが歌うBALを見つけたのが
夜七時
約束の八時まで 一時間もあるのに
劇場のキャフェは しまっていて
仕方なく
また よろよろ
近所のキャフェにはいり
普通のコーヒーに お砂糖を入れて 飲んだりして
忍耐の45分。このキャフェは 破格の2ユーロ。
パリの中心地の観光名所のキャフェは 二倍高いです。
隣 テラステーブルの中年カップルは
こちらの夫妻だと思いますが
べらべらと
奥さんが 一生懸命 ご主人に話しているのを
聞いて
お一人様の 私は 時間つぶしに楽しみました。
きょうは きょうほ 強歩
丸一日でした。
ずーっと 歩いていましたけれど
高尾山の 歩行強化より らくちん。
上り坂ではないからねえ。
帰宅して ブーツを脱いで
我が足を
眺めたら
ふくらはぎに 筋肉が もりもり。
足の裏は 自慢の種ですが
ぽちゃぽちゃ
いくら歩いても マメもできないし
相変わらず 赤ちゃんの足の裏です。
私が自慢できるのは 足の裏だけです。
シャンソンのフランス語も
ピアノの腕も
何十年 頑張っても 所詮日本人。
こちらに来ると
怖いもの知らずの 若かりし頃の私が
恐ろしくなります。
経験により
ますます 怖いものを 知りすぎました。
なのに
相変わらず
好奇心満載で
パリの 夜
人生の歓喜の歌を 心の中で歌っています。
早く日本に帰り
心の中ではなく ばばーんと 防音室で 歌いたいですよ。
私が 歌わないと 私ではなく ただの 骸骨です。
あーそれにしても
藤倉さんや 我が妹は パリでは痩せている 感じです。
皆 栄養状態を いざというときの為に 貯めているタイプ。
私は いざというときに 役に立たないかも
体脂肪の貯金がない体形。
そのかわり
足腰が とてつもなく丈夫みたいです。
足を丈夫に生んでくれたDNA両親に 改めて 感謝の念が 湧き上がります。
いくら歩いても 疲れない。
登山したら どうなんだろー 山女にはならないつもりですが。
スキーを二十歳で 初めてしたとき
山小屋の おじさんに
あと 五年早く始めたら スキー選手になれたのに・・・
と 言われたり
フラメンコを 三十代で オペラカルメンの為に習ったとき
直ぐに 舞台でフラメンコを 踊れと言われ
無能なので 運動神経と体力だけ 神様がくれたみたいですね。
といううちに
もう 高齢者 間近です。
自分を いたわりながら 加齢し続けるつもりです。
本日も 徹夜で 日本に帰った方が よさそうですね。
もう 深夜二時過ぎ
朝 八時に タクシー予約を 大島さんに 頼みました。
では
パソコンを しまいます。
お後は 日本で・・・
ブログ 更新いたします。