シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソン歌手 リリ・レイLILI LEY シャンソンREVEILLON

2014年12月31日 10時06分58秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイLILI LEY シャンソンREVEILLON

明日は八名でレべイヨン 大晦日の会食です。

今朝は 早く起きて
日本から持参した小豆で お汁粉善哉を作成。
こちらにはない コーヒーゼリーも作成。

明日の献立を 組み立てて
和食メニューです。

四階なので
お酒や水を運搬できないので
皆様にお願いしたら
既に 長南さんは 白ワインを二本
運んでくれていますし
ウドンコさんは 水や炭酸水を
運んでくれます。

ウドンコさんは
電子ピアノも 昨晩は四階まで運んでくれたり

やはり
男性は 私よりずっと優れた筋肉を
持っているのですね。

こちらパリで暮らしている皆さんは
歩くスピードが速くて 
長い距離を 平気で歩けるからビックリ・・・
長南さんに
「日本の六十代で 長南さんより早く歩けて
一気に階段上り下りできる人 見たことないですよー」
と 思わず申し上げてしまいました。

夜 ウドンコさんと 又 我が家会食。
手料理食して
打ち合わせしたりしていたら

94才のジャズピアニストのコンサートに
行こうと思っていたのに
二人とも 行く気持ちにならず
結局 お喋りして 食べ続けて
深夜まで・・・・

本日 ペンネのトマトソースを
ベーコンで作成したら
BIOの素材が
めちゃくちゃに美味しくて
前菜の ピーツとシコンのサラダも美味しくて
食べ過ぎました。

ブルゴーニュ地方のヨーグルトは
あまりに クリーミーで
甘みの蜂蜜もお砂糖も 何もいれず
そのまま ストレートで・・・最高。

明日の為に作成した善哉も 食べちゃいました。
オイシーい。
ウドンコさんも ニコニコ。

最近分かったことですが
食べ過ぎて 胃もたれする時
炭酸の水ペリエとか飲むと
すっきりするものですね。

欧州
農業国での滞在が長くなり
美味しすぎる バター チーズやクリーム
肉食が過多になってくると
わぁー 胃が重い・・・腸が泣いている・・・

ベルギー留学時代は三十代の若さでしたから
いくらでも食べられて
四年半で10キロ近く 太れたのに

今は もう 消化機能が停滞して
食べ過ぎれば お腹を壊すだけの
哀しい肉体になりました。
でも
美味しい。乳製品は 流石・・・
そして
食品は全般的に 日本よりかなり安価です。

日本は 何もかも輸入に頼るしかない
島国なので 仕方ないかもね。

ここ農業国フランス は 食材も新鮮
地域性が豊かで
コンビニ文化も無い
ウォッシュレットが無い
エレベーターも 無い ところが多い・・・

毎度 来るたび すっかり日本の便利に慣れている
私は その生活感や価値観の違いに
驚いています。
日本を離れると 日本のありがたさが良く分かりますが
でもでも
こちらはこちらで
とても魅力的・・・便利だけが 価値とも思えないし・・・

人生は一度なので 色々と 楽しみ続けよーっと。

パリの地下二階のスタジオは 牢獄の中みたいですが
人気で 部屋の空きが無くて
一月一日の午後二時に 二時間とれただけ・・・
大晦日も 営業していますが満員。

音楽家は大晦日も元旦も 練習を休まない。
なので
練習スタジオは 年中無休。
芸術家の為の国だなー
と思いました。





シャンソン歌手 リリ・レイLILI LEY シャンソン人生を楽しむREVEILLON

2014年12月31日 08時49分17秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイLILI LEY シャンソン人生を楽しむREVEILLON


いよいよ
大晦日2014年12月31日 零時半。

日本は八時間早いので もう 朝八時半ごろだと思います。

日本の年末年始は 大忙しで
突然に 街は静かになり
厳かな雰囲気と 初詣・・・

今年最後の歌練習の〆め・・・・になる事に
なってしまいましたが
一昨年の一月  レオマルジャンを歌うYVONのコンサート
の時に 借りて練習したスタジオが
なんと
我が家から一分の場所で
懐かしい そのスタジオで
一人で 二時間続けて 練習してまいりました。

久しぶりに歌い
久しぶりにジャズのピアノコード練習して
あー
かなり 下手になっていました。

でも 新鮮でした。
久しぶりと言っても 一週間くらい 
心身のバカンス。
歌手人生 音楽家人生を忘れて
教える事 稽古すること 全て忘れて
ただの おばさんが パリ生活満喫して過ごしました。

でも
所詮 私は さぼると 罪悪感を感じるし
下手になっている自分に 気が付き
がっくりするし
二時間位の稽古では
到底 元には戻らず

一週間さぼると 二ヶ月分くらい
下手になります。

でも 自分が音楽家だという認識が
湧き上がり
それはそれで リフレッシュした証拠です。

地下二階のスタジオは 寒くて
オーバー着たまま 二時間。
少しも身体が暖かくならないままでした。

お昼間は 太陽がさんさんと 光り輝き
パリの空は 薄いブルーに白い雲。
31日REVEILLON 大晦日の会食レべイヨンの為の
食材を 仕入れに
BIO(自然食のスーパー)マーケットや 
肉専門店や フランプリというスーパーに
梯子して
重い重い荷物を 四階まで 一気に運べました。

わぁうぉー
体力がついたみたい。

四階まで階段で登るとき
途中で一回 休まないと
息切れして 太ももが疲れたのに
二日前ぐらいから
一気に 登れるようになり
本日は 重量挙げ状態で
登れちゃいました。

有難いわ。
エレベーター無だと知っていても
申し込んだ
アパートなのですが 結果良好。

部屋は 広いし 階段で体力増強できるし
マレ地区は お店屋さんだらけなので
散歩も楽しいです。

パリ来訪の時
毎度 違うアパートを借りるのは
好奇心旺盛な私には 興味しんしん。

恐怖感とか 心配とか はらはらドキドキは
付きまといますが
それが 何よりも 脳への刺激だと
冒険 探検 挑戦しつづけなくっちゃー
と 思っています。


シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY  スペシャリストのシャンソン仲間

2014年12月30日 10時22分09秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY  スペシャリストのシャンソン仲間


長南さんの お友達のジャンマルクさんは
世界的な 生物化学 しょうじょう蠅の権威博士

長南さんは 世界的なシャンソンマニア シャンソン博士

大島伸さんは 小説家で
まだ 読んでいないのですが
ちらっと iPATで 電子書籍を
読ませて頂いたら
わぁー 登場人物が12人以上いて
ドストエフスキー並みの 入り組み方の小説なので
相当な 頭の中の空想設計が無いと
書けないわー

大島夫人千恵子さんは 料理の先生なので
本日も 素晴らしい 手料理の数々に
舌鼓
お腹もポン凹。

鴨の胸肉の たたき風がメインですが
プラムのソースが 素晴らしい。

前菜も アミューズゲールからフォアグラや
スモークサーモンのカナッペ
ベルギーシコン(パリでは チコリと呼びます)
に 千恵子さんの手作り味噌がのっていました。

ナスの ラタトゥイユ味の 美味しい前菜。
緑マメの春雨ではなくて サツマイモの春雨の前菜
ニシンと お芋のサラダのソースも 生クリームとヨーグルトで
美味しかったわー

デサートは 洋ナシとプラムの赤ワイン煮
BIOの ペルー豆の コーヒー

素晴しかったです。

ゆいさんは フランス文学ソルボンヌ大学の博士課程。
日本語クラスの先生としてアルバイトも
しているそうです。

大島家三人は 私のお弟子さんでしたし
家が ご近所でしたから 一層思い出話も
笑えて 笑えて・・・

ウドンコさんは ピアニストなので
記憶力と 管理能力がスペシャル的に 凄い。
道先案内人。家に迎えに来て下さるし
私のボディーガードもして
パリの夜 真っ暗な深夜でも一緒なので 怖くないです。

31日 大晦日は 我が家に皆さんをお招きして
日本食を作るつもりです。
その為に
こちらでは 手に入らない
八丁味噌 お米 生のわさび 三つ葉 タコ 小鯛
シジミ おつけもの 醤油 お酢 日本酒 など色々 
運び屋致しました。

なにしろ50キロ近く 運んだ私。

肝心な 自分の楽譜は 三曲ほど忘れてきました。
私って 変人。
お土産が大好き。
昔から まず 皆が喜んでくれる事しか興味がないタイプ
ですからねぇ。

そして
留学していた時
食べたかったものも 経験的に知っているので

民族の移動みたいな 十字軍遠征みたいな
食料運搬補給担当になりたくて
歌手であることを忘れた 出発前でした。

私は さしずめ宴会スペシャリストになりたいなー
舞台人エンターテイナーは 宴会のエンターテイナー
宴会は 大切だわ。
生きている 仲間達との わずかな人間寿命の
コミュニケーション絆ですもの。

どんなに 離れていても 宴会で心は一つ。
長南さん 大島家 ウドンコさんが
パリに居てくれて ますます有難いパリです。
シャンソン仲間の絆に ブラボーブラボー


シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY シャンソン仲間との再会

2014年12月30日 09時24分31秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY シャンソン仲間との再会

時の過ぎる早さには 驚きますが
一か月近い パリとベルギーの滞在と考えると
長い気もしますが
あっという間に 毎日慌ただしく過ぎてしまい
あーあーあーあー

12月21日日本シャンソン館で 歌ってから
自分が 歌手であることを忘れて
いました。

歌を忘れた カナリア状態で
・・・・・カラスかもですが
普通の 人間に戻っていました。

本来の私は 深夜 妖怪の様に
防音室に籠り 練習するのが
習慣ですから・・・・

日本では 絶対に見ない
テレビを見て 毎夜コンサートに行き
散歩して買い物をして 
パリ食材で 料理を作り・・・・
楽しすぎる・・・・・

人生 そんなに 遊んでいいのかしら??????
こちらに来て 六日目で 何だか
懺悔気分。

昨日の エサイオン劇場で
過去 二度 自分が出演歌手として
コンサートしていることも
思いだしました。

あー懐かしいわねぇ。

そして
ピアフのパダムパダムの PADAMー という部分を
客席のお客様たちに 歌わせるという
演出が 
昨晩のコンサート歌手の お客様サービスでしたので

ウドンコさんと私は 大声で
PADAM PADAM
と 歌っていたら

あー私 お客様なのだけれど
自分は 歌手だったー
あー
練習しなくっちゃーと
反省。

さっそく
去年一月に 借りていた スタジオのアドレスと
電話番号を
YVON に電話して 教えてもらい
明日30日 二時間予約できました。
そろそろ
歌手人生に戻ろなければ・・・・・

昼は散歩・・・・・
毎日 私がパリに来てから昼間は太陽が
照っていてくれるので 有難いです。

夜は
大島家へ・・・・
メトロ八番線終点 BALARD

素晴しい家でした。
加藤 はじめさんという 画家のアトリエだった
そうで
作家の絵が 飾られていて
吹き抜けの 素晴らしい大空間の
部屋でした。

一年ぶりの再会
会わない時の流れが 瞬時に消えて
まるで 昨日別れて また再会したかのように
話はポンポン ばんばん・・・・

長南さん ジャンマルクさん ウドンコさん
大島家族三人
大島千恵子さんの 手作りの 素晴らしいお料理と
沢山の お酒で
深夜12時過ぎまで 宴会でした。

地下鉄まで行ったのですが
もう 終了していたので
タクシーで 帰宅しました。

あっという間に我が家に着き
あー 行きのメトロより 半分の時間しか
掛からず
やっぱり タクシーって 早いです。

大島ゆいさんに 預けて保管して頂いていた 
小さな 電子ピアノも 受け取り
ベルギーでは このピアノで
練習します。

私という存在は どんなに別れたくても
音楽と別れられない。
忘れようとしても 練習という世界が
私を 虜にしています。

もう60才になるのだから
そろそろ 人生の音楽貯金で 生きていけそう
だと
回りの方々は 思うでしょうが・・・

現役を続けるという事は
過去の学びの貯金だけでは 生きていけないものです。

常に 技術 と 感性の栄養補給しないと・・・・
明日は 借りたスタジオで 一人稽古して
夜は またまた
ウドンコさんと ディナーして
エンターテイメント 鑑賞。

時は瞬く間に過ぎゆき
今年も あと二日・・・・前へ 前へ ただ ひたすら
一歩でも 前進しなくっちゃー

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 感謝のシャンソン人生

2014年12月29日 09時10分19秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 感謝のシャンソン人生

長南さんが 時間を掛けて探してくださる
エンターテイメントに
毎夜 ウドンコさんが 引率してくれて
帰りも 送ってくれて

至れり尽くせりのパリ生活。
夜の食事も
私の手料理をウドンコさんは 喜んで
食べて下さるので
ありがたいです。

赤ワインを飲んで
ディナーして
歩いて ポンピドーセンター前の
エサイヨンに
「ピアフへの讃歌」という演目のコンサートを
聞きにいきました。

イギリス人歌手 Caroline NINという
女性で
お客様は イギリス人が多く
英語でピアフの曲の説明して
ジャズピアノと ジャズベースの伴奏で
歌うコンサートでした。

チラシの写真が 細くて華奢なので
そのつもりでいたら
ウドンコさんも 私もびっくりする位
大柄な女性で
グレー色のビスチェ 黒ミニスカートで太ももまでのスリット
黒網タイツ

肩幅が 凄く広くて
背中が 肉厚で 胸の厚みも わぁおー
大柄だわー

足は長くて細かったですが
あまりの 大きな女性で
ピアフのイメージとは違い ジャズとシャンソンの
歌唱を混ぜた 
個性豊かな 表現でした。

英語でピアフの曲説明していました。
愛の讃歌は 英語で歌い
途中からフランス語で 歌っていましたけれど
それ以外は 全部フランス語でした。

ミロールや 私の兵隊 アコルディオン弾き
モンディウ バラ色の人生など
全てオリジナル伴奏で個性的。

歌唱力はあるのですが
声の質と 顔と スタイルが なじめなくて
最初の頃は 少し憂鬱でしたけれど
途中から 真剣に聞き
最後は あー 全部聞いて良かったー

と思い
ウドンコさんに 
「初めは 嫌な印象だったけれど
最後は それほど 嫌いなタイプに感じなくなったわ」
と 言うと

「それって 慣れてきただけじゃないですか?」と・・・・

結構 辛口の二人で アジア人の観客は
我々と 二人中国人風女性だけでした。

シャンソンのエンターテイメントの夜
日本人と会う事は めったにないです。
やっぱり
フランス語のハードルが高いのかもしれません。

語学は 音楽家にとっては 必須アイテムなので
藝大の学生の時
西洋音楽を やろうと思うなら
語学だけは きちんとペラペラにしておかないと
駄目だ・・・・と
あらゆる教授が 言っていました。

その国の原語が
その国の 音楽になるわけですから
スペイン語 イタリア語 ドイツ語 英語・・・

ウドンコさんと ジャズテイストでピアフを
歌うなら いっそ 英語で歌ってくれたほうが
イイねぇー
と いう事に 結論はなりました。

自分を棚に上げて
我々は 辛辣な批評家です。
でも そうして 自分の音楽的アイデンティティを
確立していかなければ なりません。

ほとんどの場合 コンサートで
好きになれないことが 多いですが
色々 知り尽くさないと 批評分析
ができません。

何故好きなのか 何故嫌いなのか
何故 夢中になれないのか・・・
色々 分析して 我々の作品作り
音楽性に 反映させねば・・・

なーんて 難しい批評家で
苦虫噛んだような 観客にならないで
もっと 楽しまなくっちゃー
私は 観客。

シュークリームを味わうように 楽しまなくっちゃー
パリでは 毎晩 様々なコンサートに行けば 全て
栄養になります。
結構 体力が必要ですが 頑張ります。


シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 毎夜のパリ シャンソン鑑賞

2014年12月29日 08時41分36秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 毎夜のパリ シャンソン鑑賞


日曜日
マレ地区は 開店いているお店が多いので
人が出ていて
一人
お散歩していても 活気づいてきます。

シュークリームとか エクレア
マカロンとか
フランスの伝統的なお菓子に
新たなクリエイトを施して
ビジュアル的に 斬新な 専門店が
流行っています。

近所に シュークリームの専門店で
まるで 宝石のように 小さくてきれいな
シュークリームだけが
並んでいるブティックで
シャンパン味のを 買ってみました。

甘くなくて
大人の味でした。
夜 ウドンコさんと ディナーしたとき
デザートで 出して 味見して頂いたら
初めての味だと
喜んでくれました。

天然酵母の 丸焼きのパンの店も
何かの雑誌で読んだので
探して 近所だという事が分かり
そのパンも 購入
さっそく 味わうと 
流石・・・・

パリは不思議。
何時来ても 私の好奇心を満たしてくれます。
島国から 飛び出て
我が家と違う空間で
違うタイムスケジュールで過ごすのは
心身のリフレッシュだわ。

歌を忘れた小鳥・・・いや 歌を忘れて
ただ 毎日 毎夜のコンサート音楽鑑賞と
散歩 テレビ・・・

日本に居る時 出来ない事
ウインドウショッピング 徒然なるままに・・・

とか したくても時間的に余裕がない コンサート三昧
や散歩は ばんばん楽しんでいます。

お昼間のテレビで
有名人を 招いて 話を聞く番組で
とてつもなく太って かなりの年配になった
「恋心」の 歌手エンリコ マシアスと
「恋の病に冒されて」のアリス ドナが
出て ダイエットの話をしていたり




三ツ星レストランシェフ アランデュカスが
日本にチョコレートショップを出す話も
していました。


こちらのテレビは 楽しいです。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 太陽 寒さ パリの日曜日

2014年12月28日 21時16分41秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 太陽 寒さ パリの日曜日


太陽が 窓から差し込み きらきら
窓を開けると
わぁー こんなに 冷え込んで・・・
気温1度から 3度というかんじです。

でも 部屋の中は
どこもかしこも 幸せな暖房。
日本と違い 窓の横下に パネルヒーターみたいな
セントラルヒーティングですから
強さの調節も可能ですし
止めることもできますが

音もしないし 風も出ないし
足元から ほわほわ と 温まり
寝ている時も
セントラルヒーティングですから いつも 同じ温度。

寒くて 風をひくという事や
足腰が 冷えで痛むとか
あり得ない部屋の中。
25度 から27度 位にして 素足で半袖で 暮らしています。

ただし 外出の時は 毛皮か 羽毛のコートに
帽子 大きな襟巻ぐるぐる巻いている姿が
皆さんの防寒スタイル

女性は 細いズボンに足首までのムートンの
ペッタンコブーツの人が多い。

頭と首が凍り付くので
パリでは  幾度も冬場に 毛糸の襟巻と帽子を 
買うのに
日本では それほど寒くないので
それらを使用しないので
今回も それらは 忘れて
シルクのスカーフなんかを 持ってきてしまいましたよ。

日本人は 冬場マスク姿の人も多いですが
マスク人 は 皆無。
マスクなんて あり得ない。

とにかく 忘れていた街の寒さ。
午後は 太陽が一杯のパリ日曜日 散歩しよー

空前絶後に 歩いている私。
四階の階段も 上り下り・・・慣れてきました。
部屋は暑すぎるので 薔薇の花を
窓の外に 飾っています。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリ現地人も迷うマレ地区

2014年12月28日 18時28分51秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリ現地人も迷うマレ地区

パリ現地人 長南博文さんが
我が夜に 迎えにいらしてくださると
毬さんのコンサート前

時間に厳しい長南さんが
なかなか みえなかったので
心配しました。

一昨日の晩 私が迷子になったのと
同じルートで 迷子になって
重いワイン二本と 生ライチ―大量に持って
走りまくったそうですし

私のアパートの ドアが セキュリティーで
二つあり
それは 暗証番号クリアーしたものの
そのあと 中庭に いくつかの 入口があるのですが

17時 既に 真っ暗なので
なんと 
反対のビルの四階まで
荷物と共に 登っては降りて
私の部屋を探したそうです。

つまり
マレ地区は 複雑怪奇
ヴォージュ広場まで行ってしまい メトロ サンポール
から
私はタクシーが 見つかったので
楽に たどり着きましたけれど

長南さんは
また そこから 私の足なら30分の距離を
走りっぱなし15分

汗だくで到着し・・・・てくださいました。

外は 極寒。
特別に 冷えだして 零下。

二人で お喋りしながら 8番線メトロで
毬さんコンサートに 向かったのに
乗り換えを 乗り凄し
またまた
反対に 戻り 遅刻寸前。

長南さんの歩行速度は
パリ風で とてつもなく速くて
私も 遅い方ではないですが
追いつくためには
走りながら 長南さん目指して 
メトロの構内を 横切り
乗り継ぎ
メトロから降りて
セーヌ川の ポン マリー を 渡り

白い息の出る 頭が氷り づきんづきん するほどの
寒さなのに
劇場に着いた時は
私も 汗だく でした。

小さな劇場は満員
コンサートが終わり 毬さんの応援団10数名
私も参加して
バスに全員皆が 乗り

どこだかわからないですが
かなり 遠くのCAFEへ・・・

CAFEといっても こちらのキャフェは 
朝食 昼食 夕食 夜食 も出来るレストラン風
の場所の事ですから

皆さん
鴨ステーキや ウドンコさんは鹿の煮込み

私は タルタルステーキ(生牛肉 ユッケ風ですが 200グラム位の量)
半分しか 食べれなかったです。

若いころは タルタルステーキなんて300グラム
ぺろりん でしたけれど
年とったモノだわー

ワインも一杯で 結構楽しめちゃうー
エコノミー体質に なりました。

帰宅するとき
ウドンコさんが家の前まで 送ってくれました。
ありがとうございます。
無事に 迷子にならずに 帰宅できました。

寒くて寒くて 毛皮コートを着て
出掛けたので
ボディーは まあまあ暖かいけれど
手足 頭 鼻 気管が
凍り付いて 
部屋に入ると
細い つらら が じんじん 溶けていく
感じの 私の体感。


自宅は 裸足 Tシャツ一枚の温度なので
溶けて溶けて
鼻水が 垂れつづけ
あー 風邪ひかないかしらん。

生姜の葛湯
マヌカハニーの飴など舐めて
殺菌。

暑い部屋で ストレッチして 筋肉温め伸ばし
深夜二時には テレビも見ずに 寝てしまいました。

朝早く起きて 元気ですが
私にしては 珍しく 鼻水が垂れています。
氷ついた 中身が 液化しているみたいな・・・

突然に パリは とてつもなく 寒いです。
本格的 PARIS の 真冬に突入。
 
パソコンも 凍り付いたのか・・・画像がアップできなくなり
ました。
相変わらず
テレビでは クリスマスモード ノエルの延長。

そうよ。カトリックの国ですもの。
イエスキリストが誕生してから 全てが 始まるわけです。
長南さん クリスマス生まれなので 寒さには強いらしい。

私は 六月生まれなので 暑さに強い。寒さには 弱い。
本日夜は また ウドンコさんと エンターテイメント
エサイオン劇場へ 夜九時スタート。

夜六時 我が家で ディナーしてから 出かけます。

とにかく 沢山油もの バターチーズ 生クリーム
肉 取り入れていないと
この寒さのなかで 早く歩くと
深夜 私は 凍り付いてしまいます。
食べよー っと。
一日 三食以上 こちらでは 絶え間なく食べ続けています。



シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリ エンターテイメント

2014年12月28日 17時24分19秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリ エンターテイメント

昨晩は 毬かずえさんの 芝居仕立てのBARBARAコンサート
に 参りました。
もともと 演劇をやっていた方で
パリ在住で フランスで結婚し お子さんも育て上げた
女性です。

以前 一回 毬かずえさんの アカペラ 伴奏なしの
BARBARA コンサートを聞いたことがありますが
セーヌ川 マリ―橋側の 客席40人の
可愛らしい 劇場で 開催されます。

マイクなし。
今回は ウドンコさんが 伴奏を弾いての
バルバラの歌と お芝居でした。
小さな 舞台にグランドピアノ。

私的には
あのサイズのホールに グランドピアノは
ちょっと 大きすぎじゃないかしら?????
ピアノ音量と
マイクなし 声音量の バランスが悪いし
声の ピッチと ピアノの ピッチが合わないので
不協和音に 聞こえました。

あのサイズのホール マイクなしの場合
毬さんは アカペラで
伴奏なし のほうが 良かったかもーと
感じましたけれど
それは
私の 耳が 音に対して厳しすぎるから

音量 ピッチ スペースでの響き
音色インパクト
音程
などなど

劇場によって 色々な音響があり
まず 響きとして 耳から入り 脳に届き
心に 響くまでの 
距離間

結構 音楽家にとっては 当たり前のことですが
分析しなくても
お客様は 感じるだけで
良いか 悪いか・・・・まあまあ か・・・・

厳しいものです。

というわけで
毬かずえさんの 人生観と 伝えたいメッセージ性
内在するエネルギーなど

顔の表情や 芝居のしぐさ等で
想像はできて
パワフルな 白黒はっきりした 演技で
力づよく 伝わりましたけれど

近藤さんのピアノの リズム感が
毬さんの 呼吸と伝達したい心と
合わない感じ。

音の綺麗さ
メロディラインの 美が無い。
近藤さんのピアノと 毬さんの声のピッチが
合っていない というのも 残念でした。

毬さんは まんまる 太った体
柔らかい まり の様な イメージ
の女性ですが
パリで定期的に バルバラのみの コンサート活動を
しているという 芯のしっかりした 強い女性で
主張も舞台の上では
エネルギッシュなのが
なよなよ女の嫌らしいバスガイド風 シャンソン
ではなくて 好感がもてます。

潔い印象です。
お芝居 役者さんとして バルバラを
表現するのも 個性的で 
ユニーク。
パリでは 真似を嫌い
個性があるほうが 魅力的です。

人と違う表現が出来るという価値は
島国日本にいると
忘れがちです。

そういう意味で とても 為になる コンサートでした。




シャンソン歌手リリ・レイ     シャンソン歌手のPARIS年末

2014年12月28日 16時26分30秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ     シャンソン歌手のPARIS年末

27日土曜日 
午後は 青空も見えて
マレ地区我が家のまわりは
ブティックだらけなので
散歩に出掛けて
片端から 探検隊しました。

自然派スーパー BIOが 直ぐ側にあり
あらゆるもの 添加物が入っていない
食材の 店ですが
普通のスーパーの 三倍の価格で
来店している男女は
美男美女 ハイカラ マダム ムッシュー

とりあえず 日本へのお土産も含め
持てるだけ 買い込みました。

今 エコノミーJAL 飛行機のスーツケースは
23キロ 二個 と 手荷物を持ち込めるので
一人50キロ近くの 荷物運搬可能です。

かつては 20キロまでしか 持ち込めず
確か 数年前のことですが
1キロオーバーするごとに 一万円罰金を
支払って 乗ったり
パリの郵便局から 荷物を送ったり・・・・

時代は変わりました。
なので 今回スーツケース二個 と 
手荷物ガラガラ引っ張るハンドキャリーで
食料 お土産 日本酒 楽譜 パソコン など
重いモノ を 大量に
日本からPARIS に 持ってまいりました。

マレ地区の アパートは 階段で四階
50平米の広い 空間ですが
広々 居心地良くて
台所には 備え付けの オリーブ油 バルサミコ
塩 胡椒 砂糖 洗剤
なにもかも あり

食器 調度品 などは 
イタリア人のオーナー
世界展開3000件の
アバルトメント管理会社なので
センスが とても良いです。

言葉が通じれば ですが
日本語での 現地対応はないのが
少し怖いですが
イタリア人の趣味が好きなので
私は いつも このアパート会社の常連。

一度 アパートに入居すれば
ホテルと違い 
誰も 入ってこないので
好きなように 自由に 自宅のごとく
生活できます。

パリの年末年始は 25日と一月一日
だけが 休日祝日で
日本の年末年始の様な

いきなり クリスマス翌日
お正月へモードが 変わるという事はなくて
普段通り。

ただし マレ地区のブティックは
既に バーゲンモードで
本日は カシミア ズボンとタートルネックセーター
上下が対のニットアンサンブル
800ユーロを 200ユーロで
ゲットいたしました。

サイズが小さいという事もあり
ブティックの人は
スモールサイズの私に売りたかったみたいです。

やったー 。ラッキー リリさん。
自分へのクリスマスプレゼント。
12万円の定価 三万円 で ゲットして ウハウハ。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY シャンソン満喫PARIS迷子

2014年12月27日 16時05分13秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY シャンソン満喫PARIS迷子



ウドンコさんが 我が家に迎えにいらしてくれて
夜六時に
軽く赤ワイン飲んで 夕食して
出掛けても 余裕の 夜九時開演。

劇場は 暑い位。
外は 冷え冷え。風雨が吹き付ける
パリっぽくない 雨の降り方です。

終了は10時半。また てくてくメトロMUETTEまで
歩き 九番メトロに乗り

二人で感動の会話をメトロでしながら帰宅したのですが
近藤さんにとっては まりかずえさんの バルバラ伴奏本番の
前日なので
迷惑かけたくなかったので

自立して メトロ乗り換えの
リパブリック駅で お別れして
我が夜駅 サンセバスチャン フロアサルまで
無事に着いたのに

大雨と風 傘さして 歩き始めたら
道を間違えて 歩いたらしくて
ぜんぜん 我が家に たどり着かなくなり
迷子

パリの小路は 碁盤の目とは違い
曲がると どんどん遠くに行ってしまい
地図でも 見ないと 迷い込む・・・
のを 知りながらも

大雨の夜11時過ぎ ひとり 雨に濡れて
暴風の中 疾風のように歩く私は
30分以上 早足で
とんでもない場所まで 歩いたみたいです。

怖いというより 寒い。暴風雨。

タクシー乗り場がある広場を見つけ
ラッキーにも一台 停車していました。
乗れてラッキー。

此処パリは
東京と違い 流しのタクシーは まず ありません。
暗くて雨で傘で風をよけて
前が見えなくて 何処広場だか 
分からなかったけれど
メトロの無い 場所でした。

なんとか 無事に家にたどり着けてよかったー

一人で生き抜いてきた留学と仕事の
ベルギー時代 29才の頃なら
心細くて ドキドキしたでしょうけれど

それから30年 冒険人生 お一人様
外国でも日本でも 生き抜く人生が
ずーっと 続いているので
経験は 我が心を楽にさせてくれる。
ケセラセラ で 慌てふためかなくなりました。

お守りを山ほど持って生きているからか
まだ この長い冒険人生で
危ない目に会っていないのが ラッキーですが。

それから いざという時は
何とか 神様 宜しくお願いしまーすと
心で思うと
神様が 微笑んでくれるみたい。

見知らぬ大きい教会が 迷い道の途中にあったので
立ち止まり 「お願いしまーす 寒すぎです タクシーの
ある場所に 連れて行ってくださーい」

その後 人っ子一人いない 暗い道の先に
タクシーが 見えて ビックリでした。

此処は カトリックの国。マリア様 イエス様 感謝・・・
苦しい時の神頼み・・・って 私の場合 よくあります。
多神教ですが 色々な見えない力を信じています。

とても寒い雨の夜 風もゴーゴー我が家の暖炉から
聞こえていました。
目が覚めたら 風雨はないけれど 曇り空です。
もうすぐ朝九時。土曜日。 

昨晩も深夜二時過ぎまで シャンソン番組を
見ていました。
ミッシェル フュガン と 売れっ子若いシャンソン歌手
五人が 週末を 別荘で共に暮らして
歌ったり しゃっべったり 買い物したり 食べたり
という内容。

そのご 気絶して爆睡。四時間半で 目が覚めました。
此処は どこ????? あー 巴里だわ。

シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY パリのシャンソン観劇

2014年12月27日 15時08分00秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY パリのシャンソン観劇
サンク デュ ケール



パリの長南さんは謙虚な方なので
自慢もしないし
知識をひけらかさないけれど
パリでの
エンターテイメント情報のことなら
ご本人が
最新ものを 見ろて聞いていらっしゃるし

パリ在住の長い時代の過去から
現在までの シャンソン知識は 莫大過ぎて
記憶力も良くて その 生コンピュータ脳の
偉大さは 計り知れません。

毎度
私のパリ生活では
奇麗に 情報を 紙に何枚も手書きで
書いて
スケジュール表にしてくださるので
教えて下さるものは
全て鑑賞しようとしております。

はずれが ないので ありがたいわー
せっかくパリまで来て コンビニ風エンターテイメント
鑑賞するより
街の伝統ビストロ くらいから
一つ星 三ツ星までの内容演目を吸収したいから・・・
 
長南さんは 私にとって恩人です。
シャンソンやパリの音楽芸術の父
あるいは母 あるいは 師なのかも知れませんが

そんなに 偉大なのに お会いしたり
電話すると
私たちは 会話が お互いに漫才師みたいで
お笑い仲間でもあります。 

本生のアート芸術 鑑賞が
私の 音楽性や 趣味 センス の
血肉になっているので

吸血鬼じゃないけれど
リリ・レイ
全身全霊で パリの芸術を 吸い尽くす・・・・
むさぼり尽くすわよー

人間にとって 必要なものは 
衣食住のみならず 音楽 美術 文学・・・芸術。

パリは 流石 芸術の都 花の都
昨晩 夜九時から 約一時間二十分 ノンストップの
お芝居仕立ての 音楽コメディーですが
子供たち 小学生も かなり 来ていました。
年配者も 老若男女 満席。
アジア系は ウドンコさんと私だけでした。

中国人観光客はパリでも 多くて 
ブランド品 買い物はするけれど
音楽会には 行かないらしいですよ。

大雨で 風も強い寒い 街の中心部でもない劇場。
美しい 古い 真っ赤な劇場。
昔 一度 ここに 聞きに来た記憶が 蘇りました。

深夜まで 芸術を楽しみ吸収しつくす パリの人々
や子供たちの パワーは
日本とは別世界のように 感じます。
子供のファッションも けっして
子供色 暖色系ではなく 大人色。シックです。

あー 子供から 大人同様の芸術に浸りきっているのと
日本の子供っぽいテレビに 浸りきっているのでは
将来
違うセンスが 芽生えるでしょうねぇ。


シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY シャンソン歌手PARIS一人暮らし

2014年12月27日 09時10分05秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY シャンソン歌手PARIS一人暮らし

一人暮らしに慣れているので
日本でも 外国でも 
ほとんどの生活タイムの間
口をきく相手が居ないのは 同じですが

テレビを見ていると
本当に あっという間に 
25日は 深夜から朝まで

ずーっと
大きな長い ソファーに転がって
見続けてしまいました。

フランス語も 耳に慣れてきて
あー 
日本でフランス語の日仏学院
に通うより
現地に居た方が
耳はフランス語のスピードに なじめます。

ベットルームには トリプルサイズのベットが
あるのに
昨晩は ソファーで テレビ見たり 居眠りしたりして
寝たのか 起きていたのか・・・
分からない感じで
朝九時半
に空が 明るくなったので 散歩に出掛けました。

マレ地区は初めて住む場所なので
とても 興味深くて
我が部屋の回りを探検隊。

お洒落なブティックも多いし
パン屋さんも 常設市場も
スーパーもありました。

クロワッサン パンオショコラ パンオレザン
バゲット・・・・
美味しいわー

ブルターニュ バターの こだわりの店もあり
手作りのバターは 格別に美味しかったです。

午後も再び 散歩に出かけて
ピカソ美術館がすぐ側なので
行ってみましたら
行列で 人だかりの山に うんざりして
再び 探検隊で
フラン ブルジョワ通りを ウインドウショッピング。

いやー ビックリ仰天・・・・
うわさで聞いていましたけれど
ユニクロ が ありましたー

パリ風のディスプレイ
パリ好みの 配色
パリの人たちで 混んでいましたし
レジも 行列が 出来ていました。

「日本の技術が生み出した ヒートテック」と
フランス語で書いてあるコーナーには

ヒートテックシャツが 色々ありました。
ちょっと 嬉しかったのは
日本人だからかも・・・

夜は
九時から始まる 
五人のアカペラグループの エンターテイメントを
ウドンコさんと 一緒に鑑賞して
家に戻ったのは
11時半頃でした。
場所も遠いし メトロMUETTEから沢山歩くのに
満席。

ウドンコさんが
前売りのチケットを買っておいてくれたので
ラッキーでした。

素晴しい 演出 照明 
五人の歌手としての実力も びっくり。
多分 パリ風・・・・
シャンソンも 英語 イタリア語
ドイツ語 クラシックからジャズ ロックまで
全部アカペラで
あらゆる 音と声を出せる 若い五人組で
お芝居も良かったです。

日本ではあり得ない 
見たことも無いエンターテイメントで 
楽しめました。

パリに来なくっちゃ ・・・・
毎夜 鑑賞 観劇・・・
明日は ウドンコさんが伴奏する日本人歌手
パリ在住のバルバラをうたう コンサートに行きます。

夕方からは 大雨。
劇場に行く時
日本から持ってきた 折りたたみ傘が
役に立ちました。

シャンソン歌手リリ・レイ  PARIS のシャンソンテレビ番組満喫

2014年12月26日 09時25分25秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ  PARIS のシャンソンテレビ番組満喫


長期滞在できるということは
パリの生活のなかに
どっぷり浸るわけですから
居間のソファーに 転がって
テレビっ子 して
色々なシャンソン歌手を聞けます。

有名なシャンソン歌手達
もう 亡くなった歌手 
や 年老いたシャンソン歌手の
クリスマス向けの 曲を歌う番組は
25日の 夜の楽しみ。

今まだ ずーっと フランス3チャンネルで
クリスマスにふさわしい シャンソンが
ずーっと流れています

アズナブール のクリスマスソング
ティノロッシと ブラッサンスが デュエットしていたり
ダリダ ミレイユマチュー アダモ マシアス
レオフェラ
メガネおばさんになっちゃった ナナムスクリ
老けた シャンソンの友の「谷間に三つの鐘が鳴る」
AVE MARIAアズナヴールの作品曲ですが 合唱団付き

ジョ ダッサン ジルベルベコー
他にも 次々と テレビの昔映像が
流れていて 嬉しいですねぇ。

そういえば
今年から パリ往復の飛行機は
エアフランスを やめて
 JAL にしたのですが
デザートが ハーゲンダッツ バニラアイスだったり
スープストックの 美味しいナチュラル クリームシチュー
が提供されて
食事に不満が感じられませんでした。

あー 随分時代は変わり
エコノミーなのに シートもゆったりしていて
過ごしやすかったです。
映画は 空前絶後の ヒットディズニーの漫画
アナと雪の女王(フロズンというタイトルなのですね)
と LUCYルーシー というSF風の
人間進化論みたいな女性主人公の物語。

タイトルは忘れましたけれど 南仏で一つ星レストラン
を経営するマダムと その向かい側でインド料理の店を
出すインドからやってきた 人達との物語。

私は 変な人なのでしょう・・・皆が良いと思う
ヒットした 人気ディズニー漫画 映画より
他の映画の方が  好きでした。
ディズニー映画の音楽も あまり好みでなかったです。

それより 今日我が部屋のテレビで
名作映画
オーマーシャリフの「ドクトル ジバゴ」を
フランス語で 見てしまいました。
昔の映画の方が
現代の映画より 美的だわー

パリに 来るたびに テレビに美が あります。
ここが 日本と まったく違う 芸術レベルが高い
という事です。
まったく 日本でテレビを見れない 私なのに
ずーっと フランス語の歌番組 
映画 ニュースを見つづけて
飽きないのは
汚いコマーシャルも 無いからです。

ありがたい パリ生活で 
我が耳も目も 感性も 蘇りそうです。 

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY シャンソン歌手のパリ クリスマス

2014年12月26日 03時27分30秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY シャンソン歌手のパリ クリスマス


今まだ 25日なので
キリスト文化のこちらは 本当に日本の元旦。
テレビでは 音楽番組
今 ウィーンのクリスマスコンサートを 聞きました。

フランスの音楽番組で聞く オーケストラや合唱
声楽家たちのレベルと比べると
ウィーンの音楽レベルは やはり かなり高いです。

子供たち ウィーン少年合唱団のバックコーラス
ウィーン国立劇場の オーケストラ
世界レベルのソプラノ バリトン テノール メゾ
きよしこの夜まで
他色々なクリスマスらしい コンサートは
最高でした。

ソリストは 美的で 美しい。
太った人などいない。美的で 美声で 上手いクラシックの歌手達。
こちらのテレビは
色々な国の 音楽番組が見れるので
幸せです。

本日は ウドンコさん曰く
一か月以上ぶりに 晴れたそうです。
ずーっと 暗くて雨だったそうですが
青空に さんさん と太陽が照り
イエスキリストの 誕生をいわっているようです。

日本より寒くないけれど
少し散歩したら 体は冷えました。

マレ地区ですが 五分歩くと
昨年秋 皆で ピアフの没後50年で行き
ジャックリーヌ・ダノ シャルル・デュモン
そして 私も歌った
コネターブルがありました。

のぞいてみたら マダムと会ってしまいました。
休日なのに 掃除をしたり していらしたみたい。
「スカーフ」の作家 亡きモーリスファノンの奥さんで
コネターブルの オーナーマダム
シェフでもあります。
働き者のフランス人も 勿論居るわけです。
立派だわー