私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室「埋れたわが町・網干の歴史」

2012-02-14 14:30:42 | 日記
 2月14日(火)  天気:雨   室温:15.5℃

 きょうは 久し振りに 公民館の 「歴史教室」 に 行きました。 本日の題目は 「埋れたわが町の歴史」
JR網干駅周辺 です。きょうは 生憎の雨模様ですが 地元のことを学ぶ いい機会なので 出席させて
いただきました。

公民館の案内には
 JR網干駅の北から 東方にかけて広がる駅前町では いま 大きな変革の時期を迎えようとしています。
 街の歴史は 常によりよい姿を求めて 前に向かって進み そのために 古い建物を潰し 惜しげもなく
 捨て去りました。 でも 目まぐるしく変わる街に 胸を痛めた人が 記憶をたどりつつ 銀行・播電ホーム、
 そして 水車小屋の位置までをも 図に残しています。 貴重な一枚の図から 埋れたわが町の歴史を
 探ってみませんか? ぜひ 皆さんの知恵と記憶力を お借りしたいと考えております。
                    姫路地名研究会  田中早春先生より   とあります。
配布された資料は
    ”JR網干駅前 昭和初期レトロな賑わいの記録”
1】貴重な記録図をたどってみましょう
 ・昭和初期のJR駅前のようすです
 ・世相の変化が読み取れる資料です
 ・駅前周辺の特徴が読み取れます
2】懐かしい家並みに残る産業遺産
 ・金融機関の数が 多いことが揚げられます
    三八銀行・龍野銀行・新宮銀行・岩見銀行・郵便局
 ・素麺産業と倉庫・・・・・龍野藩の保護があった? 網干では 塩がとれた。
 ・小学校跡地・水車小屋・うなぎ小屋
3】龍野電鉄から播電鉄道へ
 ・播電鉄道の正式名は 播州水力電気鉄道株式会社・・・昭和9年まで
 ・揖保郡の南北を結びつける大動脈でした
 ・廃線時の路線距離は 17.1km
4】富裕層たちの金融会社への参入
 ・三八銀行・龍野銀行・新宮銀行・岩見銀行 設立・・・三八銀行は 後の神戸銀行
 ・御津町岩見港の上西家と 岩見銀行・・・・岩見は 丸亀藩で 休憩所があった。
 ・丸二醤油と上西家
 ・岩見銀行の設立
5】網干港繁栄の時代からの脱落と警告文
 ・川港として 繁栄してきた網干の不安と焦燥感
 ・高文の飾磨県奉職
 ・加東家の古文書からみる 「網干町の心得」 とは
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『播電電車と津市場』(津田 實より)の資料の 「龍野電気鉄道路線図」 のように 網干港から
新宮まで 南北に 電車が走っていたとは この地区に 30年以上 住んでいて 知りませんでした。
 製麺業が 盛んだったようで 何軒か 製麺所があります。 これが ”揖保の糸”の元なのかも。
また うどん屋さんも多く 図の中に 9軒もあります。 倉庫も 異常に多くありますが なにを
保管してたのでしょうか? 
 現在も 残っている家は 本田酒店、飯塚荒物屋、円尾たばこ屋など ごく僅かのようです。

今回の歴史教室は 昭和初期の話で 今は 何も残っていないので 追跡調査することは なさそうです。
先生は 4月には 室津を歩きましょう と 言われていますが 私は この前 行ったので 不参加?



 朝日小学校跡は 日吉山(現在の和久山)の麓にあります。 説明板によると 明治政府が 明治3年
義務教育令を発布し 従来の自主的寺子屋教育から 義務教育にし 明治30年 旭陽、勝原、石海、
余部の四ヵ村組合立の朝日高等小学校を この地に開校した。 明治45年3月 組合を解散 4月に
各村小学校に併設され 当校は 旭陽尋常小学校となった  とあります。



 JR網干駅の南には 荒神社があります。 本殿の周りの玉垣に 寄付した人の名前が彫って
あります。 大正六年とあるので 神社が造られたのも その頃でしょう。 刻銘を見ると 網干銀行、
岩見銀行、新宮銀行、龍野銀行などの 金融機関の名に混じって 播州素麺の名が みられます。



 地図では 現在の和久山は 日吉山となっていて 日吉神社があったそうですが 探しても 分か
りません。 和久山の西裾にある 厳島神社かも? 厳島神社は 大正15年に建立されたようで
すが 玉垣には 龍野銀行、網干銀行、社銀行?の名が 見られます。




 和久山の麓の説明板に ”明治45年3月 組合を解散 4月に各村小学校に併設され 当校は
旭陽尋常小学校となった” とありますが ツカザキ病院と 南の朝日中学校の中間の道路脇には
「旭陽尋常小学校跡」の 標柱があります。 ここには ”明治初期の度々の改革で 旭陽村には
輯盛小学校、勝原村には 育英小学校が置かれた。 明治25年4月の改正により 右二校を併せ
て 旭陽尋常小学校(四年制)、旭陽簡易小学校(三年制)を設立。 校舎を この地に 置いた。
明治24年 改正で 現在の校区ごとに 小学校を置くことになり この地から 現在地に移った” と
あります。 何年か前 地元の ふれあいウォークで 歩いたことがあります。

  。。。。。。。。。。。。                            。。。。。。。。。。。。。


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10 コメント

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Unknown (とうこ)
2012-02-15 07:45:56
YS11さん おはようさまです (^-^)
先日歩いた嫦娥山~Y山について帰宅後調べていたら、YS11さんがまったく同じコースを歩かれていたので、リンクさせていただきました。
事後承諾ですみませんです~m(__)m
廃線跡、旧道など、わたしも大いに関心があります。赤穂鉄道も興味が湧き、また歩いてみたいと思ってルートを調べたりしました。いつか歩けるかな(^_^)
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嫦娥山 (YS11)
2012-02-15 09:59:19
とうこさん おはようございます。
私の拙いページを宣伝していただいて ありがとさんどす。
私のページに地図がないので 分かり難いと思います。
最近は地図を入れるようにしていますが・・。
山は グループで わいわい言いながら 歩く方が 楽しいてしょうね。
ガムテープなしで・・。
嫦娥山の名前は 女性は 嫦娥で 女偏で 山の名は 山偏かと思うのですが・・。
いつだったか 姫路の廃線跡を しみけんさんが歩いていましたね・・。
返信する
播電鉄道 (しみけん)
2012-02-16 07:51:03
播電鉄道は、姫路の廃線跡サイクリングをするときに存在を知りましたが、遺構がわずかしかないとのことで、その後行くこともなく放置していました。
網干駅周辺だけですが、精緻に線路の位置が描かれていますね。

糸井駅から南へ分岐しているのは知りませんでした。新宮から網干までの一直線の路線だと思っていましたから。

国鉄の線路と交差しているところもありますね。どんな風になっていたんだろう?
返信する
播電 (YS11)
2012-02-16 09:19:44
しみけんさん おはようございます。
きょうは 代休ですか?

JR網干線が 木材港辺りまであったのは 見たことが ありますが
播電は 昭和9年になったそうで 今は 跡形もないそうです。
出席していた お歳よりは 津宮の近くに コンクリの構造物が
残っていると 言っていましたが・・。
当時 津宮駅で スイッチバックしていたとか・・。

ところで 七種山は しばらく行っていないなあ・・。
七種槍へ縦走してみたい・・。
返信する
播電 (きつね)
2012-08-07 17:02:15
ずいぶん前の記事に、突然のコメントお許しください。
検索で、こちらの記事を読みました。
お年寄りのおっしゃられた津宮近くの構造物の場所や
スイッチバックのお話を詳しくお教えいただけないでしょうか。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。ご無理を申し上げて申し訳ありません。
返信する
播電 (YS11)
2012-08-07 20:36:33
きつねさん こんばんは。
コメント ありがとうございます。

残念ながら 私は 構造物、スイッチバックなど ぜんぜん知らないのです。

折角 コメントをいただいたので 調べてみます。
8月は 歴史教室が休みなので 知っている人に会えないのですが
公民館の館長さんなどに 訪ねてみます。
このときの講師の田中早春先生は 次は 10月なのですが
文中にも書きましたが 『播電電車と津市場』(津田 實著より) の本があるようなのです。
調べるのに 1,2カ月かかるかと思います。
返信する
播電(続き) (きつね)
2012-08-08 15:13:05
公民館の館長さんから、当日の資料を(ほぼこちらに記載されているものですが)頂戴いたしました。
館長さんのご厚意感謝です。
お年寄りのお話は、わからないとのことだったので
10月の田中先生こ講義を拝聴できれば、いいのですが・・・(時間が厳しい)
YS11さんのお力を頼りにしています。
『播電電車と津市場』これも国会図書館等を調べてみましたが、わかりませんでした。
こちらもYS11さんだのみです。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
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播電 (YS11)
2012-08-08 16:21:07
きつねさん 了解しました。
しばらく お待ちください。

どちらにお住まいか 分かりませんが
国会図書館より あるとすれば 網干図書館の方が・・。

もし お急ぎでしたら 播磨学研究所の 田中早春先生を
調べると いいかも・・・。
先生は 本を持っておられますよ。 ひょっとして 借りものかも?

返信する
播州電鉄 (YS11)
2012-08-09 10:52:22
きつねさん こんにちは。
私も 忘れる前に調べようと 昨日 公民館に電話すると
館長さんが 太子町のFさんが来たと 言われました。

田中先生と Z田さんの電話番号を 聞き
昨晩 電話し 確認しました。
『播電電車と津市場』(津田実)は 本ではないそうです。
薄い冊子のようなもの?
入手できれば お見せします。
スイッチバックは 私の聞き違いで 糸井駅辺りだったそうです。
網干駅に入るのに バックで入らないと 出発する際困るので
糸井駅で スイッチバックして バックで 網干駅に入ったそうです。
少し前まで JR網干駅の1番線の北に 播電のホームのようなものが あったと思うのですが・・。
今は 整備されて 駐車場になっている?
構造物は Z田さんに聞くと 県道の津宮神社の西の
宮内の信号の北に 細い川があり ここに播電のはしがあった・・ とのことです。
返信する
ありがとうございます (きつね)
2012-08-10 03:10:02
お手数をおかけしてすいませんでした。
ありがとうございます。
五位瀬川に橋梁跡という話は、伺ったことがあるのですが、も一度調べてみます。

姫路市のHPに、宮内に軌道跡
http://www2.wagamachi-guide.com/himeji_yumeplan/detail.asp?id=4005960
という記載があるのですが、どこかわからないです。
あと、坂出停車場あたりにもあると聞いたことがあるのですが、これもわからないです。

網干界隈で明確にわかる遺構は、網干~糸井の橋脚跡と、本田商店西側の土地の形が扇型(グーグルマップのサテライトでも確認可能)ぐらいしか知らないので、お年寄りのお話は、興味津々で、いろいろお手数をおかけしました。本当にありがとうございます。
また情報がありましたら、ご教授ください。
調べようにも手立てがなく窮しておりました。ありがとうございました。
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