私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

二:寒河 そうご 267m

2012-02-18 14:00:57 | 山歩き

 2月18日(土)  天気:晴れ  室温:12.7℃   地図:日生

 きょうは 岡山県との県境にある 二等三角点の寒河に 登ってきました。 山の名は 福浦向山という
のでしょうか? 三角点の点名は 寒河で 岡山側の名前ですが 三角点の住所は 赤穂市福浦字高塲で
兵庫県です。 福浦は 以前 岡山県和気郡日生町でしたが 昭和38年 兵庫県に越境編入され地区
住民の長年の夢が 実現したそうです。 だから 三角点も 兵庫県になればと 思いますが 岡山県です。
 山は 誰も登らないので ヤブ山でした。 昔は 防火帯のような いい道が あったようですが・・。
H22年には 三角点の測量が 行われ 黄チップが 埋められていました。


 8:38 出発。 きょうも 山陽道で行きます。 国道2号線を西へ走り 9:01 龍野西ICから 山陽道
へ入ります。 トンネルの多い 山陽道を 15.7km走って 9:10 赤穂ICを降りて 国道250号線に廻
ります。 国道を6km西へ走り 福浦橋の信号で 左折。 赤穂線の踏切を越え 南へ向かい海岸に出て 岡山県と
の県境へ。 県境には 何の表示もなく 廃墟が一軒あり 道は 下りになり 峠のようです。
9:30 道路脇のスペースに車を停めます。 国道250号線から 3.5km、家から 37.8km。



 廃墟の柵を越えて 南の小ピーク(70m)へ登ってみました。 寒河の頂上と 登る稜線が見え
手前の尾根には 道がありそうです。 南尾根の120m標高点ピークへ いい道が延びています。
 9:42 スタート。 登山口は ササヤブですが ヤブは 5mほどで終わり 次は シダヤブ。
これも すぐに終わり 次は 枯れススキのような 雑草のヤブ。 道は 防火帯ほどの幅がありま
すが 急で 低木のヤブ・・。 



 急斜面を少し登ると 後方が開け いい眺めです。 鹿久居島が 目の前に大きく横たわっていま
す。 南には 小豆島が 東寄りには 家島が 西には 日生が見えます。 等高線180mまでは 急
な登りで ずるずる滑り 下山時が 思いやられます。 空に雲が流れ 日陰になると 写真が暗い・・。



 防火帯は いつの間にか終わり 荒れた山道になります。 荒れていて 小枝が張り出し 顔を引
っ掻かれます。 枯れ木も 結構多い。 道?を確認しながら 進みます。 荒れた道は うっかりする
と どこも道に見えるのです。 高度が 上がると 東に 赤穂市街が望め 赤穂発電所の煙突から 煙
が 上に昇っているので 風は ないようです。



 兵庫と岡山の県境なので 境界杭があっても 良さそうなものの・・・。 境界は 大きく左に カーブ
していますが 気付きませんでした。 道を探しながら 目の前だけ見ていました。 道が 行き止ま
りかと 見回すと 左に 石を積んだケルン?があり 奥に 三角点がありました。



 10:35 登頂。 50分ほどで 登りました。 山頂は 去年測量があった筈ですが 雑木に囲まれ
展望皆無。 今は 見晴らしななくても 人工衛星の電波で 測量できる? 三角点は 四辺が削ら
れたのか セメントで補修され 何等か確認できません。 こんな山にも 悪さをする人が 来たので
しょう。 あまり 雰囲気のいい場所ではないので 写真だけ撮って 退散。 10mほど下から 赤穂
市街を眺めることができました。 煙突の向こうに見える山は 先々週の”坂越尾崎遊歩道” の 丸
山(二等:尾崎) と 向山でしょう。



 少し降りると 道を外れ・・。 慌てて 道を探すと 2mほど左が道?でした。 ヤブ山は 注意し
ないと・・・。 慎重に降りました。 降りるときは 登るときとは 多少 景色が違います。 防火帯?
の広い道に 出ると もう安心。 道の心配は ありません。 後は 滑らないよう注意するだけ・・。



 11:20 車に戻りました。 下山は 40分ほど。 すぐ 帰路につきます。 海岸を走って 福浦の
集落に戻り 少し南へ行き 五軒屋辺りから 寒河の姿を撮りました。 赤穂線の踏切を越え 国
道250号線に出ます。 気になるのは ここの駅の名前:備前福河です。 備前は むかしの名残
だと思いますが 福浦ではなく 福河なのです。 なぜ? 



 帰りも 山陽道です。 国道を走って 11:48 赤穂ICに入り 11:59 龍野西ICを降り 国道
2号線で 帰りました。 龍野西SAに寄っても 良かったのですが 車が多かったので パスして
途中で スーパーに寄って お弁当を買い 家に帰って 昼食。 12:36 帰着。
本日の走行距離は 往路:37.8km 復路:39.8kmで 計:77.6kmでした。
   。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 最初にも書きましたが 福浦が 岡山であったように 昔から 播磨と備前とは 深いつながりが
あったようです。 戦国時代には 播磨の赤松氏と 備前の浦上氏が 戦いを繰り返したという
歴史もあり・・。 浦上氏は 現在の揖保川町辺りが 出身地なのでしょうか?
備前と播磨のつながりについて もう少し 勉強してみようと思います。
  。。。。。。。。。。                              。。。。。。。。


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