山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

教員人事権委譲に異議あり

2010年12月21日 01時23分11秒 | Weblog
 大阪北部の5市町(豊中、池田、箕面市、能勢、豊能町)は、2012年度から、小中学校の教員人事権を府から委譲させることで協議をすすめている(『毎日』2010・12・18)。橋下知事と池田、箕面市長らのグループですすめてきたことだ。
 教員の採用、異動などを独自に管轄するというのだが、制度の大変更だ。現状のどこに不備があって、委譲によってどこがどうよくなるのか。制度変更の肝心のこの点がまったく明らかにされていない。じつに奇妙な制度いじりだ。だれがこれをいいだしたのか。橋下知事だ。箕面、池田市長らだ。教育委員会はいい加減にあしらわれている。池田市長にいたっては、府立高校の広い土地を売り飛ばす計画をつくり、知事がこれを府の正規の会議にかけるというかつては考えられない異常なことまでやっている(「府立園芸高校を勝手に売り飛ばす計画」については本ブログの2010年3月、4月あたりに掲載)。
 教員採用を地域ごとにやるとすると、地域によって応募や教員の質に差が生じることはあきらかで、この点は、府の教育委員会議でも最大の問題点として指摘されている。住んでいる地域によって教育に差が生じることはやってはいけない。現在は、教員を府が一括採用することで、府下どの地域であっても教員配置に差が生じない制度になっている。ところがこれをいじろうというのだ。
 現状にいちじるしい問題点があって、変えればこう良くなるという肝心の点がさっぱりわからない。
 12月20日の『朝日』によれば、5市町の首長と教育長の会議があり、13年度から独自の採用をはじめる、委譲案を来年に府に提出し条例制定を求めることをきめた。会議後の記者会見で、豊中の浅利敬一郎市長は「教育をどうするかは、住民に身近な基礎自治体の役割だ。地域主権の第一歩を踏み出せた」、箕面の倉田哲郎市長は「箕面市内には府内で唯一、施設一体型の小中一貫校がある。独自採用で小中の教員免許を持っている人材がほしい」といった。
 これを読んで、わたしはあきれてしまった。大事な教育をもてあそぶのもいいかげんにしろといいたい。小中の教員免許をもっている人がほしいなら、府に事前に要求しておけば、より多くの人数の中から配当をうけることができる。箕面市で、教職員組合が市の教育委員会と交渉したときに、なぜ人事権委譲をするのかときいたら、「教員に地元に愛着をもってもらうため」と答えたということをきいた。現在でも愛着を持ってみながんばっている。言うに事欠いてとはこのことだ。小中の教員は、遠くへの転居以外は、同じ市内の学校を異動する。市の教育に生涯をささげる人がほとんどだ。
 『朝日』では、箕面市長の発言につづけて、「一方、小規模の自治体で教員人事権を持つと、教員の採用や年齢、男女比などで偏りが出る可能性がある。能勢町の中和博町長は『田舎の学校に果たして希望があるのか、という不安があった』と複雑な胸中を明かした。」という指摘もある。この指摘はもっともだ。
 教育行政に口だしする市長が目立つ。20年も前なら財政も豊かで、開発行政で好きなことができたのに、今は財政的にすき放題できないので、地方の権力者にとっては未開拓の分野=教育に手をつっこむことが魅力となっているようだ。なぜ未開拓かといえば、教育行政は法律によって政治の介入を排除しているからだ。それは、過去の軍国主義が教育を利用したことへの反省から、政治から独立させることが戦後教育の根本原則になってきたのだ。ところが橋下知事は、教育委員会を罵倒し、こんなものはいらないと攻撃をはじめた。彼がいうには、今は軍国主義が教育を席巻し、利用することはありえない、だから教育行政の独立の必要はないというのだ。一見、もっともだと思いがちだが、これは彼一流のレトリックだ。問題は軍国主義だけでなく、権力が、あるいは権力者が教育に介入し、支配することが間違いだとして排除しているのだ。子どもを育てる、人格の完成をめざすのは、教育の普遍的な原理に立ってのみ成しうることだ。その時々の政治家に指図されることは、教育の最大の不幸だ。橋下氏は、今は、軍国主義が介入支配する心配はないから、政治家が教育行政に口出しすることは悪くないというのだが、今は、軍国主義に代わって新自由主義が教育を支配しようと全国を徘徊している。教育の市場化、自己責任論と競争原理で教育を再編成しようというのだ。教育の平等は破壊される。曲がりなりにも公立学校で保障されてきた教育の平等が。府立高校で10校を特別扱いして、毎年2億円を投じる。その名前も、グローバル・リーダー育成高校のような名前にするらしい。これも橋下氏がいいだしたことだ。教育委員会も完全に振り回されている。府立高校の多くの家庭の子どもを明らかに差別している。
 人事権委譲の政治的な動きは、教育の必要から出たものではなく、すべての子どもに平等に教育をという理念を破壊するものだ。こんな道理のないことをやすやすと通してはいけない。
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教員人事権委譲に異議あり

2010年12月21日 01時23分11秒 | Weblog
 大阪北部の5市町(豊中、池田、箕面市、能勢、豊能町)は、2012年度から、小中学校の教員人事権を府から委譲させることで協議をすすめている(『毎日』2010・12・18)。橋下知事と池田、箕面市長らのグループですすめてきたことだ。
 教員の採用、異動などを独自に管轄するというのだが、制度の大変更だ。現状のどこに不備があって、委譲によってどこがどうよくなるのか。制度変更の肝心のこの点がまったく明らかにされていない。じつに奇妙な制度いじりだ。だれがこれをいいだしたのか。橋下知事だ。箕面、池田市長らだ。教育委員会はいい加減にあしらわれている。池田市長にいたっては、府立高校の広い土地を売り飛ばす計画をつくり、知事がこれを府の正規の会議にかけるというかつては考えられない異常なことまでやっている(「府立園芸高校を勝手に売り飛ばす計画」については本ブログの2010年3月、4月あたりに掲載)。
 教員採用を地域ごとにやるとすると、地域によって応募や教員の質に差が生じることはあきらかで、この点は、府の教育委員会議でも最大の問題点として指摘されている。住んでいる地域によって教育に差が生じることはやってはいけない。現在は、教員を府が一括採用することで、府下どの地域であっても教員配置に差が生じない制度になっている。ところがこれをいじろうというのだ。
 現状にいちじるしい問題点があって、変えればこう良くなるという肝心の点がさっぱりわからない。
 12月20日の『朝日』によれば、5市町の首長と教育長の会議があり、13年度から独自の採用をはじめる、委譲案を来年に府に提出し条例制定を求めることをきめた。会議後の記者会見で、豊中の浅利敬一郎市長は「教育をどうするかは、住民に身近な基礎自治体の役割だ。地域主権の第一歩を踏み出せた」、箕面の倉田哲郎市長は「箕面市内には府内で唯一、施設一体型の小中一貫校がある。独自採用で小中の教員免許を持っている人材がほしい」といった。
 これを読んで、わたしはあきれてしまった。大事な教育をもてあそぶのもいいかげんにしろといいたい。小中の教員免許をもっている人がほしいなら、府に事前に要求しておけば、より多くの人数の中から配当をうけることができる。箕面市で、教職員組合が市の教育委員会と交渉したときに、なぜ人事権委譲をするのかときいたら、「教員に地元に愛着をもってもらうため」と答えたということをきいた。現在でも愛着を持ってみながんばっている。言うに事欠いてとはこのことだ。小中の教員は、遠くへの転居以外は、同じ市内の学校を異動する。市の教育に生涯をささげる人がほとんどだ。
 『朝日』では、箕面市長の発言につづけて、「一方、小規模の自治体で教員人事権を持つと、教員の採用や年齢、男女比などで偏りが出る可能性がある。能勢町の中和博町長は『田舎の学校に果たして希望があるのか、という不安があった』と複雑な胸中を明かした。」という指摘もある。この指摘はもっともだ。
 教育行政に口だしする市長が目立つ。20年も前なら財政も豊かで、開発行政で好きなことができたのに、今は財政的にすき放題できないので、地方の権力者にとっては未開拓の分野=教育に手をつっこむことが魅力となっているようだ。なぜ未開拓かといえば、教育行政は法律によって政治の介入を排除しているからだ。それは、過去の軍国主義が教育を利用したことへの反省から、政治から独立させることが戦後教育の根本原則になってきたのだ。ところが橋下知事は、教育委員会を罵倒し、こんなものはいらないと攻撃をはじめた。彼がいうには、今は軍国主義が教育を席巻し、利用することはありえない、だから教育行政の独立の必要はないというのだ。一見、もっともだと思いがちだが、これは彼一流のレトリックだ。問題は軍国主義だけでなく、権力が、あるいは権力者が教育に介入し、支配することが間違いだとして排除しているのだ。子どもを育てる、人格の完成をめざすのは、教育の普遍的な原理に立ってのみ成しうることだ。その時々の政治家に指図されることは、教育の最大の不幸だ。橋下氏は、今は、軍国主義が介入支配する心配はないから、政治家が教育行政に口出しすることは悪くないというのだが、今は、軍国主義に代わって新自由主義が教育を支配しようと全国を徘徊している。教育の市場化、自己責任論と競争原理で教育を再編成しようというのだ。教育の平等は破壊される。曲がりなりにも公立学校で保障されてきた教育の平等が。府立高校で10校を特別扱いして、毎年2億円を投じる。その名前も、グローバル・リーダー育成高校のような名前にするらしい。これも橋下氏がいいだしたことだ。教育委員会も完全に振り回されている。府立高校の多くの家庭の子どもを明らかに差別している。
 人事権委譲の政治的な動きは、教育の必要から出たものではなく、すべての子どもに平等に教育をという理念を破壊するものだ。こんな道理のないことをやすやすと通してはいけない。
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