山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

東京でゴッホ展を観て都市の品格を考えた

2010年12月07日 08時48分59秒 | Weblog
 5日の日曜日、東京六本木の国立新美術館で「ゴッホ展」を観た。このために東京にいったのではなく、「森田俊男先生を偲ぶ会」に出席するために行ったついでに観た。
 美術館がいっぱいある上野ではなく、六本木にあるのにびっくり。国立の新しい美術館ができていたのにもびっくり。たくさんの人にもびっくり。地下鉄乃木坂駅から直結している。東京ミッドタウンがすぐそこにある。
 あらためて東京には美術館、博物館、図書館が多いことにおどろいた。これこそが都市の品格を決める。京都しかりだ。ここで思い出されるのが大阪だ。橋下知事になって、文化的にどんどん貧しくなっている。橋下知事は、国際児童文学館、文化情報センター、特許史料の博物館の廃止あるいは廃止予定、さらに図書館に攻撃の矛先を向けている。先日も、大阪府と大阪市の二重行政が悪い、その例として図書館をあげ、府立と市立の中央図書館が二重にあることが財政の無駄で大阪が沈滞した原因だといった。彼の発言は威勢がいいだけで、中身には疑問符がつくことが多い。これもそうで、府立中央図書館は、かつては中之島にあったが、今は東大阪市にある。全くの事実誤認だ。中之島図書館はビジネス資料中心の図書館に特化している。もしかして、中之島図書館を廃止して市場に投げ出そうと考えているのかもしれない。さらに昨日、橋下さんは、「大阪ほど、しょぼい街はない」と声を張り上げたようだ。だが文化的貧弱こそ、しょぼさの極みだ。橋下さんは、学生時代、そして弁護士になってからも、金にばかり執着していた。産経新聞のかつての連載にあるし、樺島弁護士もその点を批判している。彼は、文化には理解がない。大阪はわいざつな街、ギャンブルやキャバクラなどどんどん受け入れる、カジノの上がりで教育、福祉を、といった。大阪の品格はもっと下るだろう。
 東京の文化施設の豊富さにはびっくりする。それというのも国立の施設があることが分厚さをつくっている。橋下流にいけば、無駄だ、国立があるなら都立の美術館や図書館は廃止せよということになる。でもそんなことをする都市には魅力はない。橋下さんは、美術館は二重だからなくせとはいわない。なぜか。市立天王寺美術館はあるが府立美術館はない。じつは美術館的機能ももっていた文化情報センターはもう廃止した。府立弥生歴史博物館はつぶされる寸前までいったが今は何とか止まっている。でも廃止をねらっている。
 
 本題のゴッホ展にもどろう。展示作品はとても多かった。われわれが知っている明るい色調のゴッホの絵は、短い生涯の末期のものだ。わたしが注目したのは、農民の労働と生活を描いた一連の素描作品だ。彼は、ミレーの「種を蒔く人」に強い影響をうけたらしく、種まく人の素描が何枚もあった。土を掘る人の絵も多くあった。よくみると農夫は木靴をはいている。貧しい農夫一家のじゃがいもだけの夕食風景を描いたものもあった。ひきつけられた。
 有名な「自画像」が二枚あった。彼が住んだ「アルルの寝室」とその絵を元に寝室が会場に再現されているのにも目を引かれた。黄色い背景に青いアイリスを描いた「アイリス」もいい。額にはいった「アイリス」の複製画がほしいなと思ったが、6万数千円もするので当然やめた。
 肝心のフィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)のことをあまり書かないまま終わることにする。前段だけで時間かかり疲れてしまった。
コメント (2)
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