山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

益川さんは英語の論文を書いていた

2009年04月28日 23時16分40秒 | Weblog
 日本科学者会議の『日本の科学者』09年5月号に「2008年度ノーベル物理学賞受賞者益川敏英さんを囲んで」という20ページにわたる座談会の記録が載せられている。子ども時代から現在までを語るということで、家庭のことから名古屋大学・大学院、京都大学でのこと、教職員組合のこと、学術政策・教育政策から科学者の社会的責任まで語りつくしている。もちろん物理学、素粒子論の話も座談会の相手が九後太一、鈴木恒雄さんという素粒子物理学者なのでたっぷり語り合っている。
 全体がすごく興味深い内容なのだが、ここでは、三つだけ紹介したい。
 ひとつは、益川さんは英語をしゃべらない、苦手だということだが、漢文を読むごとく英文をよみこなすということ。そして、益川さんの博士論文は英文だったということだ。唯一の英文の論文だそうだ。しかも、その論文のタイプ打ちをしてくれたのが後に結婚することになる女性だった。
 二つ目は、名古屋大学の物理学教室、とくに坂田昌一研究室の自由で民主的な空気についてだ。坂田教授だけは先生で、あとはだれであれ「さん」「君」で呼び合っていた。運営も話し合い。自由闊達な議論を尊重するところから、独創的な研究がうまれてきた。
 三つ目は、座談会に同席した編集長の生井兵治さんが、座談会の最後に益川さんに質問し、益川さんが答えた部分だ。引用しよう。
「生井 ありがとうございます。お聞きしたい一つ目は、唯物弁証法(自然弁証法)によれば、あることが見つかれば、必ず、その前が見つかるということになります。それなら、ビッグバンから宇宙がはじまったことになっていますが、その前のことをどう考えればよいのか、ということです。
益川 虚数時間を入れたりして、無から有ができると言っているんですけど、種(たね)があるんです。なぜそこでそういう取り扱いをしているのか、そういう取り扱いをすることが許されるのはなぜか、という質的な問題まで含めれば、そういう意味で種はあるんです。距離という概念がありますね。なぜ距離があるかという問題設定があるけど、距離という概念からスタートしたのでは距離の概念は出てこない。そう考えると、距離という概念はあるミクロの段階までいくとぼやけ出す。そういう場面では距離を越えた新しい概念が必要となる。ということです。そういう意味のことを、坂田先生も話されていました。だから、時間の創世ということは成り立つという議論の立て方になるでしょうね。」
生井 ありがとうございます。これで長い間の疑問が解けました。」
 ビッグバンが宇宙の始まりだが、始まりのまえは何なのだという問いへの答えだ。虚数時間というものがでてくるとわれわれは困ってしまうが、ビッグバン以前では、距離という概念も意味をなくすようなレベルで、われわれが知る時間が生まれる以前ということなのだろうか。距離や時間というものでは測れない世界、距離や時間がない世界だったのか。
 難しい問題もふくめて、面白い記事だった。
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2 コメント

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益川さんは謙遜です。 (ぽにょ)
2009-05-01 16:20:39
私は、「種がある」「時間の創世」に注目します。
種とは神秘なのだと思います。
人間の解明できるのは、微々たるものなのでしょう。
塵のような人間の存在を、自覚することによってのみ謙遜に研究を続けて行けるのではないでしょうか?


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興味そそられます (yamagami)
2009-05-02 08:02:52
 ビッグバン以前の解明に興味がそそられます。物質の階層が異なれば、異なる法則が存在する、これがビッグバン以前の超圧縮物理世界では、まったく常識をこえた法則の世界であろうことは予測できます。益川さんの話では、距離や時間もわれわれの世界とは違うということで、時間が生まれる以前の世界を予言しています。
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