麻生首相は、7月25日、身内の青年会議所の会合でのあいさつで「どう考えても日本は高齢者、65歳以上の人たちが元気だ。介護を必要としない人は8割を超えている」「その元気な高齢者をいかに使うか。この人たちはみなさんと違って、働くことしか才能がないと思ってください」「80すぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら『青年会議所の間』くらい。60すぎて80すぎて手習いなんて遅い」「働ける才能をもっと使って、その人たちが働けるようになれば納税者になる」などと発言した。
高齢者になっても、その人が必要とされる社会、希望すれば働く機会と場所が保障されるのはすばらしいことだ。だが麻生首相の発言は、ゆがんでいる。侮蔑的だ。自民党の大物といわれる政治家によくある。権勢を示すことが身にしみついていて、知性や人間性が感じられない。
すぐに鳩山民主党代表が、自分の母親のことを紹介して、85歳でも学べると批判した。年をとっても学ぶことがどれほどすばらしいことか。
だが、鳩山さんは同じ演説で、今の政治を「官僚のための政治」だからいけないという。いつも変に思うのはこの「脱官僚」論だ。いまの自公政治が悪いのは、財界の利益のための政治をしているからなのに、それを言わずに官僚が悪の根源だという。優秀な高級官僚たちは財界に奉仕しアメリカに追随する政治に力をふるっているのは事実だ。だが財界奉仕・アメリカ追随は、長年の自民党政治の本質であって、それを効率よくすすめる役割を果たしているのが官僚だ。官僚から権限をうばって政治家が直接指示するスタイルを確立したいというのが民主党だ。でも財界奉仕政治批判はしないのだから、手法をかえるだけだ。
アメリカ追随については、政権につく前からもう手直しをしている。今日の『しんぶん赤旗の』の1段の記事に目が行った。次期駐日大使になる予定のジョン・ルース氏が米上院外交委員会で、民主党は対等な日米関係を掲げていたが、この数日間、民主党はそうした発言内容を和らげてきている、思いやり予算(削減)などの主張でも徐々に転換すると確信していると発言したという記事だ。外務官僚は日米核密約でも日米支配層の利益のために、国民をだまし続けてきた。実に有能だ。ここで官僚批判をしないのか。でも外務次官などというのは、政府要員そのものだ。政府方針にしたがって外務官僚は仕事をしている。
非核3原則は実態は2原則でしかなかったのだから、2原則でいいじゃないかという流れが政府自民党そして民主党でも大きくなるだろうが、それは絶対許されない。総選挙の争点にしなければならない。
高齢者になっても、その人が必要とされる社会、希望すれば働く機会と場所が保障されるのはすばらしいことだ。だが麻生首相の発言は、ゆがんでいる。侮蔑的だ。自民党の大物といわれる政治家によくある。権勢を示すことが身にしみついていて、知性や人間性が感じられない。
すぐに鳩山民主党代表が、自分の母親のことを紹介して、85歳でも学べると批判した。年をとっても学ぶことがどれほどすばらしいことか。
だが、鳩山さんは同じ演説で、今の政治を「官僚のための政治」だからいけないという。いつも変に思うのはこの「脱官僚」論だ。いまの自公政治が悪いのは、財界の利益のための政治をしているからなのに、それを言わずに官僚が悪の根源だという。優秀な高級官僚たちは財界に奉仕しアメリカに追随する政治に力をふるっているのは事実だ。だが財界奉仕・アメリカ追随は、長年の自民党政治の本質であって、それを効率よくすすめる役割を果たしているのが官僚だ。官僚から権限をうばって政治家が直接指示するスタイルを確立したいというのが民主党だ。でも財界奉仕政治批判はしないのだから、手法をかえるだけだ。
アメリカ追随については、政権につく前からもう手直しをしている。今日の『しんぶん赤旗の』の1段の記事に目が行った。次期駐日大使になる予定のジョン・ルース氏が米上院外交委員会で、民主党は対等な日米関係を掲げていたが、この数日間、民主党はそうした発言内容を和らげてきている、思いやり予算(削減)などの主張でも徐々に転換すると確信していると発言したという記事だ。外務官僚は日米核密約でも日米支配層の利益のために、国民をだまし続けてきた。実に有能だ。ここで官僚批判をしないのか。でも外務次官などというのは、政府要員そのものだ。政府方針にしたがって外務官僚は仕事をしている。
非核3原則は実態は2原則でしかなかったのだから、2原則でいいじゃないかという流れが政府自民党そして民主党でも大きくなるだろうが、それは絶対許されない。総選挙の争点にしなければならない。
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