山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

「南京大虐殺の記録」登録で日本政府はユネスコ分担金不払い?

2015年10月14日 23時54分32秒 | Weblog
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)が世界記憶遺産に中国の申請した「南京大虐殺の記録」を登録したことに対し、菅官房長官は13日(2015・10・13)、ユネスコ分担金支払い停止を検討すると発表した。
 南京大虐殺については虐殺の数について、中国は30万人、日本の学界は20万人と見解の違いがあるが、大虐殺の事実については対立はない。百田尚樹のようなレベルの人物、日本会議にあつまる政治家には南京大虐殺はねつ造だというのがいるが、これは動かぬ事実を前にしても信仰告白のごとき言辞をくりかえしているにすぎない。
 南京の事実を示す記録文書やフィルムは後世にきちんと引き継がれなければならない。日本皇軍の虐殺は中国大陸各地でおこなわれたが、その多くはきちんと調査研究されていない。南京は当時の首都で、外国人も多く居住し、ドイツ人ラーベを始めとする国際人士の努力があってその事実が記録された。事実が記録されたのは日中戦争ではむしろまれなことだった。この事実から日本は学び、反省して戦後の歩みを始めたのではなかったか。
 ところが安倍や百田という人物はじめネット右翼の連中もふくめ、歴史をくつがえす動きをする勢力が跋扈するようになった。南京をねつ造だというのは、ナチスのアウシュビッツ・毒ガス室がねつ造だというのと同じだ。戦争中とはいえ、民間人や捕虜の虐殺は戦時国際法に違反することは明らかだった。虐殺・放火・強姦・略奪などをひっくるめて南京大虐殺、あるいは南京事件という。学問的に事の性質に関し争いはない。虐殺数については究明しきることはむずかしいが努力が重ねられている。ただし、数の違いがことの本質ではない
 日本政府は何を取り乱したのか、ユネスコ分担金を払わないといいだした。アメリカの真似をするのか。アメリカは1980年代からしょっちゅう不払い、脱退をくりかえしてきた。最近では2011年10月にユネスコ総会が圧倒的多数でパレスチナの加盟を承認したのに対してアメリカ・イスラエルが拠出金拒否をし、決議権も失っている。アメリカは自分の思い通りにならないユネスコから事実上姿を消し、国連本体にさえも分担金を払わずに来たりしたが、ソ連崩壊後、国連が利用できると思ったら分担金を払って、湾岸戦争以後の新たな戦争政策に利用するようになった。
 この点、日本は一線を画し、ごろつきのようなアメリカとちがって紳士的な態度で一定の国際的な信頼を得てきた。ところが親分のアメリカに倣って同じような行動に出るとなると、長年の信用も台無しにすることになる。
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維新東大阪市議3人が居住実態なし疑惑

2015年10月14日 23時04分58秒 | Weblog
 9月27日に行われた東大阪市会議員選挙で当選した維新議員のうち3人が居住実態がないとして、市民から選挙管理委員会に当選無効を求める異議申し立てが行われていると、昨日(2015・10・14)MBSが報じた。3人とは、小畑治彦、森脇啓司、大坪和弥市議だ。選管の調査結果発表が待たれる。
 寝屋川市、城陽市でも維新議員の同様事件があったのに、なんの反省もないということだ。そのような人物の集合体だということだ。
 選管発表を待たずに維新本部がみずから調査し、責任を明らかにすべきだ。そんなことをいっても無理だという声が聞こえてきそうだが。
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翁長知事 辺野古承認取り消し

2015年10月14日 08時42分11秒 | Weblog
 2015年10月13日、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設の法的根拠が失われた。歴史的な日だ。翁長知事の決断だ。
 そもそも仲井真前知事が政府に屈して公約をひるがえして、埋め立て承認をしたのは、県民を裏切り、環境保護も無視した不法なものだった。それを正しい路線に戻したのが昨日の決定だ。ここにいたるまでに名護市長選挙、県知事選挙、衆院選挙での県民の判断があった。また第3者委員会の6カ月にわたる検討があった。
 第3者委員会の報告が、前知事の決定には法的瑕疵があったと結論付けた。これを受けた知事は、検討を経て、8月には取り消しの手はずだった。
 ところが安倍政府は、戦争法案の審議の真っただ中で、辺野古の埋め立て工事が止められ、反政府闘争が沖縄から全国を巻き込むのは、大きな打撃になるとかんがえ、1か月間沖縄県との「集中協議」をおこなった。はじめから沖縄の声に耳を傾けるような政府ではないのに、とにかく戦争法の山場が基地をめぐる大闘争と重ならないように、ただそれだけだった。「集中協議」が予定通り決裂し、時をおかずに戦争法を強行採決した。
 翁長知事はじつに粘り強く政府に対応してきた。当初の予定よりはずいぶん遅れ、地元の人々はいらいらしたこともあったと思う。でも知事をしっかり支えて、ここまでもってきた。あたらしいステージの幕開けだ。
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