信頼する先輩教員の安場先生から、政府エネルギー・環境会議が募集している「エネルギー・環境に関する選択肢」に関するパブリックコメントに応募したということで、提出文が私にも送付されてきた。公表された文章であり、簡潔ながら学ぶべき内容なので私のブログでも紹介したい。
いま国会をとりまく国民世論は「再稼働やめよ」であり、2030年に0%ということではない。まして15%でも25%でもない。ところが日本経団連は、パブリックコメントで、0%、15%を全面否定し、25%について「評価できるものの問題が多い」という姿勢だ。理由に雇用の空洞化が起きるなどというに至っては、なにおかいわんや。政府を操って労働法制を改悪し、正規を非正規におきかえ、雇用の空洞化と労働者の貧困化をすすめている張本人がいうことか。
原発に関するパブリックコメント募集に応募した提出文です。
2012・7・30 安場 敏
(主文100字以内)
原発は、可能な限り早く、全廃する以外に正しい判断はありません。正しい判断とは、科学的判断であり、政治的(政策的)判断とは違います。どんな理由をあげようと、人類と日本国の存続を優先するならば、原発肯定はありえません。
(説明文 字数自由)
なぜなら、第1に、使用済み核燃料はじめ放射性廃棄物が、中間であれ最終であれ、処分方法未確立のまま溜まりつづけ、すでに貯蔵施設が満杯に近く、それだけでも人類の生存にかかわるほどの重大事態だということです。第2に、放射性廃棄物は半永久的に放射線を出し続け、安全に処置する方法が未確立(というより存在しない)ことです。すでに溜まっているものは仕方ないにしても、この魔物をこれ以上増やさないことが絶対に必要な判断です。第3に、後世の人々に、何のブラスもない最悪の尻拭いをさせる罪悪に、謝っても謝りきれません。この尻拭いは、廃炉作業を含めてこれから生まれてくる人々にさせるのです。今に生きる人間として、心から子孫に謝罪し、迷うことなく全廃にとりくむ決意と実践を伝える国民総意の手紙を書き残すべきです。
原発の危険は、こんど東海で、若狭湾で重大事故が起こったら日本おしまいというレベルの決定的危険です。特に地震国日本において、この危険回避は、相対論、確率論で語ることが許されない絶対的なものです。原発廃止は、たとえ事故が起こらなくても、科学技術の多様な発展、人間社会の健全な発展の道でもあります。
近い将来に原発の依存度を0%にするか15%がいいか20何%かとかいった選択の問題にするなどは論外であり、策略的だとさえ思えます。
いま国会をとりまく国民世論は「再稼働やめよ」であり、2030年に0%ということではない。まして15%でも25%でもない。ところが日本経団連は、パブリックコメントで、0%、15%を全面否定し、25%について「評価できるものの問題が多い」という姿勢だ。理由に雇用の空洞化が起きるなどというに至っては、なにおかいわんや。政府を操って労働法制を改悪し、正規を非正規におきかえ、雇用の空洞化と労働者の貧困化をすすめている張本人がいうことか。
原発に関するパブリックコメント募集に応募した提出文です。
2012・7・30 安場 敏
(主文100字以内)
原発は、可能な限り早く、全廃する以外に正しい判断はありません。正しい判断とは、科学的判断であり、政治的(政策的)判断とは違います。どんな理由をあげようと、人類と日本国の存続を優先するならば、原発肯定はありえません。
(説明文 字数自由)
なぜなら、第1に、使用済み核燃料はじめ放射性廃棄物が、中間であれ最終であれ、処分方法未確立のまま溜まりつづけ、すでに貯蔵施設が満杯に近く、それだけでも人類の生存にかかわるほどの重大事態だということです。第2に、放射性廃棄物は半永久的に放射線を出し続け、安全に処置する方法が未確立(というより存在しない)ことです。すでに溜まっているものは仕方ないにしても、この魔物をこれ以上増やさないことが絶対に必要な判断です。第3に、後世の人々に、何のブラスもない最悪の尻拭いをさせる罪悪に、謝っても謝りきれません。この尻拭いは、廃炉作業を含めてこれから生まれてくる人々にさせるのです。今に生きる人間として、心から子孫に謝罪し、迷うことなく全廃にとりくむ決意と実践を伝える国民総意の手紙を書き残すべきです。
原発の危険は、こんど東海で、若狭湾で重大事故が起こったら日本おしまいというレベルの決定的危険です。特に地震国日本において、この危険回避は、相対論、確率論で語ることが許されない絶対的なものです。原発廃止は、たとえ事故が起こらなくても、科学技術の多様な発展、人間社会の健全な発展の道でもあります。
近い将来に原発の依存度を0%にするか15%がいいか20何%かとかいった選択の問題にするなどは論外であり、策略的だとさえ思えます。