山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

原発に関するパブリックコメント

2012年08月01日 21時30分29秒 | Weblog
 信頼する先輩教員の安場先生から、政府エネルギー・環境会議が募集している「エネルギー・環境に関する選択肢」に関するパブリックコメントに応募したということで、提出文が私にも送付されてきた。公表された文章であり、簡潔ながら学ぶべき内容なので私のブログでも紹介したい。
 いま国会をとりまく国民世論は「再稼働やめよ」であり、2030年に0%ということではない。まして15%でも25%でもない。ところが日本経団連は、パブリックコメントで、0%、15%を全面否定し、25%について「評価できるものの問題が多い」という姿勢だ。理由に雇用の空洞化が起きるなどというに至っては、なにおかいわんや。政府を操って労働法制を改悪し、正規を非正規におきかえ、雇用の空洞化と労働者の貧困化をすすめている張本人がいうことか。


原発に関するパブリックコメント募集に応募した提出文です。
                    2012・7・30 安場 敏
 (主文100字以内)
原発は、可能な限り早く、全廃する以外に正しい判断はありません。正しい判断とは、科学的判断であり、政治的(政策的)判断とは違います。どんな理由をあげようと、人類と日本国の存続を優先するならば、原発肯定はありえません。

(説明文 字数自由)
なぜなら、第1に、使用済み核燃料はじめ放射性廃棄物が、中間であれ最終であれ、処分方法未確立のまま溜まりつづけ、すでに貯蔵施設が満杯に近く、それだけでも人類の生存にかかわるほどの重大事態だということです。第2に、放射性廃棄物は半永久的に放射線を出し続け、安全に処置する方法が未確立(というより存在しない)ことです。すでに溜まっているものは仕方ないにしても、この魔物をこれ以上増やさないことが絶対に必要な判断です。第3に、後世の人々に、何のブラスもない最悪の尻拭いをさせる罪悪に、謝っても謝りきれません。この尻拭いは、廃炉作業を含めてこれから生まれてくる人々にさせるのです。今に生きる人間として、心から子孫に謝罪し、迷うことなく全廃にとりくむ決意と実践を伝える国民総意の手紙を書き残すべきです。
原発の危険は、こんど東海で、若狭湾で重大事故が起こったら日本おしまいというレベルの決定的危険です。特に地震国日本において、この危険回避は、相対論、確率論で語ることが許されない絶対的なものです。原発廃止は、たとえ事故が起こらなくても、科学技術の多様な発展、人間社会の健全な発展の道でもあります。
近い将来に原発の依存度を0%にするか15%がいいか20何%かとかいった選択の問題にするなどは論外であり、策略的だとさえ思えます。
コメント (1)
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全国民主主義教育研究会大会に参加しました

2012年08月01日 10時13分25秒 | Weblog
 7月29日から31日まで、東京・筑波大駒場高校でおこなわれた全国民主主義教育研究会(全民研)の43回大会に参加した。全民研は、「平和で民主的な社会の主権者を育てる民主主義教育」にとりくむ研究団体だ。研究成果をこれまで数多く出版し、会員の中には教科書執筆に加わっている人が何人もいる。
 全国どこでも、学校が忙しくゆとりがなくなり、長年の会員でも参加が難しくなっている。教育公務員特例法には勤務場所を離れての研修の自由が保障されているが、今、この権利は抑圧されている。私が最後に教諭(再任用)として勤めた3年間、夏に自主研修を申請し認めさせたのは私だけだった。申請用紙はやや古びていた。もちろん研修報告の提出を求められる。報告まで細かく言われるのはいやだと、いまではだれも勤務場所を離れた研修をしなくなった。大阪では研修で図書館へ行くのも禁止される。制限する側の知的退廃。研修は教育委員会の枠の中でしか認めないといわんばかりだ。養殖の網の中でしが泳がさない。大海に(民間研究団体の大会に)出てこそ、世界が広がる。だが、大阪の教員や職員をしばる条例にみるように、自由をうばい、競争させ、評価する、これが権力者の至福の境地。
 教育の現場がこれだから、若手の教員が民間教育団体に加入するのがぐんと減っている。権力に縛られない研究こそ真の研究だという意識はうまれようもない。全民研の大会参加者も高齢化し、大学関係者の比重が高まりつつある。でも、若い新会員も紹介された。
 自分の頭で考え行動する自律的人間を育てようというのに、教員から自主的に研究する自由を奪っているのは漫画だ。教育内容も管理的になるのは論理の必然だ。
 全民研は教科としては社会科、政治経済・現代社会・公民の教員が多い。大会での実践報告の水準は官制研究団体を完全に凌駕している。全民研の会員で管理職を定年退職した方が11年ぶりに大会に参加し、しみじみと語っていた。全民研とちがって、目的を明確にもたない授業があふれている、これではダメだと。私がこれまで参加した教育委員会主催の研究発表(ご推薦の)でも、なぞり方の工夫、授業方法の若干の工夫がはあるが、はっとするような教材の発掘・研究には出会わなかった。得意なテーマを発表しているはずなのに、教科書を如何になぞるかというのが研究姿勢になっていた。推薦の授業は大体そうだった。その点、公民分野では全民研、歴史分野では歴史教育者協議会の授業は、教材発掘、教材研究の質がちがう。
 若い教員もどんどん参加して、研究討論に加わってほしい。
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