山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

全国民主主義教育研究会大会に参加しました

2012年08月01日 10時13分25秒 | Weblog
 7月29日から31日まで、東京・筑波大駒場高校でおこなわれた全国民主主義教育研究会(全民研)の43回大会に参加した。全民研は、「平和で民主的な社会の主権者を育てる民主主義教育」にとりくむ研究団体だ。研究成果をこれまで数多く出版し、会員の中には教科書執筆に加わっている人が何人もいる。
 全国どこでも、学校が忙しくゆとりがなくなり、長年の会員でも参加が難しくなっている。教育公務員特例法には勤務場所を離れての研修の自由が保障されているが、今、この権利は抑圧されている。私が最後に教諭(再任用)として勤めた3年間、夏に自主研修を申請し認めさせたのは私だけだった。申請用紙はやや古びていた。もちろん研修報告の提出を求められる。報告まで細かく言われるのはいやだと、いまではだれも勤務場所を離れた研修をしなくなった。大阪では研修で図書館へ行くのも禁止される。制限する側の知的退廃。研修は教育委員会の枠の中でしか認めないといわんばかりだ。養殖の網の中でしが泳がさない。大海に(民間研究団体の大会に)出てこそ、世界が広がる。だが、大阪の教員や職員をしばる条例にみるように、自由をうばい、競争させ、評価する、これが権力者の至福の境地。
 教育の現場がこれだから、若手の教員が民間教育団体に加入するのがぐんと減っている。権力に縛られない研究こそ真の研究だという意識はうまれようもない。全民研の大会参加者も高齢化し、大学関係者の比重が高まりつつある。でも、若い新会員も紹介された。
 自分の頭で考え行動する自律的人間を育てようというのに、教員から自主的に研究する自由を奪っているのは漫画だ。教育内容も管理的になるのは論理の必然だ。
 全民研は教科としては社会科、政治経済・現代社会・公民の教員が多い。大会での実践報告の水準は官制研究団体を完全に凌駕している。全民研の会員で管理職を定年退職した方が11年ぶりに大会に参加し、しみじみと語っていた。全民研とちがって、目的を明確にもたない授業があふれている、これではダメだと。私がこれまで参加した教育委員会主催の研究発表(ご推薦の)でも、なぞり方の工夫、授業方法の若干の工夫がはあるが、はっとするような教材の発掘・研究には出会わなかった。得意なテーマを発表しているはずなのに、教科書を如何になぞるかというのが研究姿勢になっていた。推薦の授業は大体そうだった。その点、公民分野では全民研、歴史分野では歴史教育者協議会の授業は、教材発掘、教材研究の質がちがう。
 若い教員もどんどん参加して、研究討論に加わってほしい。
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