山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

財界主導の復興をねらう宮城県知事

2011年05月29日 23時51分09秒 | Weblog
 今日(2011・5・29)の『赤旗』に、宮城県の震災復興計画に財界のシンクタンク・野村総研が全面関与していることが報じられた。宮城の村井知事は、すでに、漁業復興にからんで水産特区構想をもちだし、大企業に漁業権を開放することを打ち出している。これには漁民がはげしく反発している。
 今日の報道では、宮城県の復興計画の原案作成には県の担当者と野村総研とが共同で作業をしているというのだ。さらに宮城県の「復興会議」の委員12人のうち、県内在住者はわずか2人だ。岩手県の「津波復興委員会」は19人全員が県内在住者だという。宮城の「復興会議」の第2回会議は、なんと東京でやったそうだ。委員の大半が首都圏在住のため、村井知事らが上京して開いたという。村井知事は、「あえて地元の方はほとんど入っていただかないことにした」「地球規模で物事を考えているような方に入っていただいて、大所高所から見ていただきたいと考えた」といっている。
 これは、恐ろしい事態だ。最も大事にしなければいけない被災者・地元の声をないがしろにして、財界の思惑で「復興」の計画をつくろうというのだ。すでに、日本経団連の米倉会長は、道州制をふくむ巨大な構造改革の実験場にしようと狙って、さまざまな発言をしている。人の不幸を利用した火事場泥棒のようなものだ。菅首相も「創造的復興」という言い方で財界主導の復興=地域改造を容認している。
 こんなやりかたを認めれば、地元住民・被災者は打ち捨てられることは火を見るよりも明らかだ。
 復興計画の性格を左右する重要な情報を暴いてくれた『赤旗』に感謝。
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三代徳田八十吉展

2011年05月29日 22時37分21秒 | Weblog
 昨日(2011・5・28)、兵庫陶芸美術館へ「三代徳田八十吉展」を見に行った。没後初の大規模回顧展だ。徳田八十吉は、九谷の現代陶芸家であり、人間国宝であった。
 三代徳田八十吉は紺・紫・緑・黄を基調に、200に及ぶ釉薬の調合を成し遂げ、これを駆使してみごとな色のグラデーションを生み出した。伝統九谷にあって、花鳥風月や具象を突破して、抽象九谷をつくりだした。
 展示されているのは各コンクールで入選した大作ばかりで、皿なら90センチはある大きさだ。綿密なデザイン構成と下書きをもとに、2度から3度、作品によっては4度も彩釉と焼成を繰り返すという。顔を近づけ、目をこらしてみると、貫入に変化が大きく、色の変化と貫入の変化をあわせて読み取っていくと、面白みがぐんと増すように思った。貫入とは、釉面に現れたヒビのことで、焼成・冷却の際の膨張・収縮の度合いの違いから、ガラス質の内面にヒビが入るのだ。気づいたのは、黄色の釉薬の部分が貫入が少なく広く安定しているのだ。色によって貫入の度合いが違うことから、まさに作品を手に取るようにして眺めていると、味わいが一気に増してきて、作品と対話しているような気分になる。
 兵庫陶芸美術館は陶芸の里・今田町にある。今は篠山市に合併しているが、以前は独立した今田町(こんだちょう)だった。じつは、30数年前社会科研究部の生徒とともにこの立杭焼(たちくいやき)の調査活動をしたことがあった。新右衛門窯さんにお世話になって詳しくお話をきき、登り窯の調査もしたことを思い出す。
 陶芸美術館から立杭焼の里を見下ろし、向かいには700メートル近い虚空蔵山がどっしりとひかえている。調査活動以後二度ほど訪れたが、でも20数年ぶりのことだ。雨が降っていたこともあるが、2~30年前に比べて、緑が深くなっているように思った。
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