重症の結核患者の朝日茂さんが起こした朝日訴訟は、人間裁判と呼ばれ、日本の社会保障裁判と運動の金字塔だ。現代社会の授業の生存権のテーマでは、必ず朝日訴訟を教材としてとりあげてきた。朝日訴訟を抜きにして日本の社会保障を語ることはできないと考えるからだ。
裁判に関する文献と特に数年前に復刊された『人間裁判』が朝日訴訟を勉強するのに役立った。これは朝日さんの手記を中心に、復刊に際して研究者の論文もつけくわえられ朝日裁判の歴史的意義もよく理解できるよう編集されている。
ところが最近、『しんぶん赤旗』に「朝日訴訟一審判決から50年」という連載記事が10月13日から掲載され、今もつづいている。
その記事に朝日訴訟東京地裁判決を起案した小中信幸氏(79)が登場した。浅沼裁判長の名判決とは知っていたが、小中氏が起案し、浅沼氏が丹念に書き込みをし、重要な点は3人の裁判官で議論して判決文を仕上げていったと書かれている。小中氏は裁判長が加筆した部分を何度も読み返したという。まったく知らなかったことだ。法廷を岡山療養所に移しての現地検証での記憶も小中氏から聞き取っている。若かった新井章弁護士が「人間裁判」と名づけたこともはじめて知った。
朝日茂さん死亡のあと、裁判を引き継ぐために養子となって献身した朝日健二・君子夫妻も登場し、運動を振り返っている。朝日健二・君子夫妻の現在の写真も掲載されている。朝日さんは亡くなる直前、養子縁組の書類をを握ったまま離さなかった。支援者が2人がかりでやっと朝日さんの指を1本1本ほどいたという。
朝日さんがなくなったあと、解剖がおこなわれたが、左肺は溶けてなくなり、膿の袋になり、右肺には大きな結核の病巣。腸には10ヶ所もの穴が開いていた。初めて知る解剖所見だった。
この連載は、朝日訴訟について、いままで知らなかったいろんな事実を教えてくれた。認識を深めさせてくれた。ありがたい。みなさんにも一読をすすめたい。
裁判に関する文献と特に数年前に復刊された『人間裁判』が朝日訴訟を勉強するのに役立った。これは朝日さんの手記を中心に、復刊に際して研究者の論文もつけくわえられ朝日裁判の歴史的意義もよく理解できるよう編集されている。
ところが最近、『しんぶん赤旗』に「朝日訴訟一審判決から50年」という連載記事が10月13日から掲載され、今もつづいている。
その記事に朝日訴訟東京地裁判決を起案した小中信幸氏(79)が登場した。浅沼裁判長の名判決とは知っていたが、小中氏が起案し、浅沼氏が丹念に書き込みをし、重要な点は3人の裁判官で議論して判決文を仕上げていったと書かれている。小中氏は裁判長が加筆した部分を何度も読み返したという。まったく知らなかったことだ。法廷を岡山療養所に移しての現地検証での記憶も小中氏から聞き取っている。若かった新井章弁護士が「人間裁判」と名づけたこともはじめて知った。
朝日茂さん死亡のあと、裁判を引き継ぐために養子となって献身した朝日健二・君子夫妻も登場し、運動を振り返っている。朝日健二・君子夫妻の現在の写真も掲載されている。朝日さんは亡くなる直前、養子縁組の書類をを握ったまま離さなかった。支援者が2人がかりでやっと朝日さんの指を1本1本ほどいたという。
朝日さんがなくなったあと、解剖がおこなわれたが、左肺は溶けてなくなり、膿の袋になり、右肺には大きな結核の病巣。腸には10ヶ所もの穴が開いていた。初めて知る解剖所見だった。
この連載は、朝日訴訟について、いままで知らなかったいろんな事実を教えてくれた。認識を深めさせてくれた。ありがたい。みなさんにも一読をすすめたい。