山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

政治家が身を削るといって民主主義を破壊するすり替え

2010年07月09日 07時05分31秒 | Weblog
 民主党は「まず、政治家自らが身を削ることで、国民の信頼を取り戻します」といっている。具体的には、参院定数の40削減と、衆院比例定数80削減だ。すぐにでも法案を作って通すという。こういった考えは、大政党、マスメディアにあふれている。
 だが、この言説にはすり替えがある。政治家の身を削ることすなわち国会議員定数の削減だとし、国会議員定数を財産、持ち物と考えているのだ。とんでもない考え違いだ。国会議員の定数問題そして比例を何議席にするかという問題は、議会制の民主主義の制度の根本だ。身を削るといって、比例定数を削減して大政党に有利な制度に引きずり込もうという悪意がみえみえだ。議会制民主主義は、民意がどれだけ正しく議会に反映されるかが基本だ。日本の国会議員の数は、ヨーロッパに比べて人口比でみれば少ない。民意を反映するという点で見れば減らす理由はない。
 ところが公務員攻撃とセットで国会議員が自らの身を削るといえば人気が取れるとふんでのすり替え議論なのだ。すり替えと悪意(民主主義破壊)が重なっているからたちが悪い。新聞くらいは立ち止まって冷静に批判してくれることを望むが、さっぱりだ。
 身を削るというのは税金が投入されているからだ。民主主義の制度に税金を投入して機能させるのは当たり前だ。民主主義制度ではなく、身に付ける金、ポケットに入れる金については厳しく議論する必要がある。政党助成金320億円はつかみ金だ。共産党は受け取らないから、共産党議席分を各党があとでまた山分けする。実にいじきたない。少なくとも、受け取らないという分は国庫に返すべきだ。
 改革といえば民営化のこの御時節。国の仕事がどんどん民営に変えられている。民営は効率的だというふれこみだ。ところが政党はその逆を行っている。事業仕分け人で名をはせたレンホウさんはこの金で300万もする車を買っている。なぜ彼女は自らの身を削らないのか。事業仕分けの対象にしないのか。あまりにずるい。議員定数の制度は、自分の身でも財産でもない。身を削るといって民主主義の制度を破壊するのは許されない。自分の身に付いた金を返すべきだ。政党は民営化すべきだ。本来の姿に戻すべきだ。国会議員が多くて税金の無駄遣いだという人たちは、その金額の政党助成金を削るべきだ。40プラス80の議席分を削っても、それでも助成金の大半は残る。議員定数で身を削るという議論に対して政党助成金を削れというのは、共産党だけだ。だが、テレビなどは、これを議題にとりあげようとしない。言いっぱなしにさせて、論点化しない。こんな無駄遣いはないのに。
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