西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

仲人

2012-03-19 21:59:03 | 日記
飛び石連休の中日です、あさってはいよいよ西都市議会定例会の閉会日なので、市役所に行って、委員長報告、新しい議案など確認致しました。

新しい議案についてはあさって議決したら報告したいと思います。

また、防災関係の資料を確認しました。
日向灘沖大地震が懸念される中、西都市内で予想される災害、および海岸周囲の市町村からの避難民の受け入れ状態を調べたかったからです。

勿論今日一日では難しいので、次の定例会までにコツコツと調査したいと思います。

さて、あっという間に2年間でした、4月になったら常任委員会を変えます。
西都市は3つの委員会なので、総務か文教かどちらかです(ゴメンナサイ、心の中では決まっています、ただ委員会定員があるので、希望が叶わないことがあります・・・)

新しい委員会になっても、しっかり勉強してスムーズな委員会と的確な提言をしていきたいと思っています。
産業建設常任委員会の仲間の皆さん、2年間ホントに楽しく学べました、有り難うございました(まだ終わってないけど)。

私が結婚を決めたのは、大学を卒業して直ぐでした。
両方の親に挨拶をすませました、ちょっと早いけど善は急げ(ホントに善だったの~・・という嫁の声が)で、準備に入りました。
今と違ってあの頃は仲人をたてるのが普通でした、でも大学の友人同士だし、社会人になって1年ちょとだったし、仲人の候補なんて思いつきません。

で、私の父に丸投げです(このあたりのいい加減さは、今も同じですね)、父が「故郷に素晴らしい人がいるけど、お願いして良いか?」と聞くので「よろしくお願い致します(結婚できればいいや・・てなかんじでほとんど考えていなかった)」

多分結納の時に・・いやその前に挨拶に行ったかな・・?
兎に角、父が進めてくれた仲人さんに会いました。
ご主人の名前が足利晃市郎さん奥さんがユキさんといわれるご夫婦でした。
父の実家下水流のかたで、西都農協そして経済連にご勤務されていました。
初めてあったときから足利さんの人物の大きさと、それを支えている奥様の優しさ、包容力に惹かれました。

足利さんに仲人を頼んで良かったと、私も妻も心から思ったし、名古屋の実家の父母も思っていました。

名古屋に住んでいたときは帰省するたび、寄らせてもらいました。
西都に帰ってきても、正月や年末(お正月はいつも御年始の方がいっぱい訪れられて、申し訳なくていつからか年末にご挨拶していました)に寄らせてもらいました。

晃市郎さんが亡くなってからも、奥様の顔を見に行っていました、いつも変わらず優しい笑顔を私たち夫婦に注いでくれて、いつも「名古屋のご両親はお元気ですか(父が亡くなった後はお母様はに)」と聞いてくれました。

今日夕方、法元公民館の館長の家に行ったら、館長は喪服を来ています。「お通夜ですか?」と聞いたら、「足利さんの奥さんが亡くなられたのよ・・」と言います。

年末にお会いしたとき、ちょっと具合が悪そうだったので、妻と心配していたのですが・・。

夜、お別れに行ってきました、奥さんの美しい遺影を見ると妻と結婚したときのことから思い出されました。
奥さん安らかにお休みください、今まで色々と有り難うございました。

コメント (1)
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