西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

今日の議会 議会運営委員会、全員協議会

2020-07-29 20:19:28 | 日記

隣地高鍋町で起こったコロナウイルスのクラスターの余波が西都市にも来ています

レベル2の体制で対応している最中ではありますが、本日議会を行いました

内容は先日総務常任委員会において市から議会に対するある報告が、端を発しています

概略で紹介すると、宮崎県教育委員会から西都商跡地について西都市は「買い受ける」意思があるかどうか確認されたことについてでした

西都市としては二つの理由  ①財政上の問題 ②使う用途がない において買受しないと県に回答する、それも今月末までにという報告でした

突然のことにびっくりした私は次のような理由を申して、即時回答に反対しました

①西都商の跡地の問題は議会において何度も一般質問で話題にしている、そんな大事なことを議会への報告と議論もなくて決めることには間違っている

②西都商ができるとき、地元の方は「教育の場ができるのだから」という理由で安価で県に売却したと聞いているし、廃校を心から悲しんでいる。その地元の方に説明をするべきじゃないか(これは説明していないという答えを聞いたので)、その後市として判断すべき

またその時課長が(担当課のみからの説明でした)、ある方が(その時名前は聞いたのですが、ここでは明記しませんH氏とします)跡地を買い、長期宿泊施設を造りたいと聞いている

といいました

私はここで「もし課長が言われるとおりになったとした、宿泊施設が少ない本市にとってはありがたいことだが、そこに至る過程が無茶苦茶である。病院の件もそうだが過程をちゃんと説明していない、不透明である。したがってこの重要な案件は全議員に報告して議論をしてほしい、したがって全員協議会をお願いしたい」と申しました(言った言葉とは違うかもしれないけど、このような内容です)

それで本日となったのです、全員協議会を開くのですから議会運営委員会を開き承認を得なければいけません

本日9時45分に議運を開きました

全員協議会を開き報告を受ける件は委員会全員賛成でした

その時全協でのレジュメを見たのですが、そこにコロナ対策関連の報告が入っていませんでした

私はせっかく全議員集まるのですから、コロナ対策及び現状を議題として追加してほしいと申し出て、受理されました

10時から議場で全員協議会が開かれました

市長が西都商跡地の件で報告をしました

跡地を市としては買うつもりがないといったあとで、驚きの話をし始めました

H氏から、この場所を買いたいという話をきいた、H氏によると年間通して高校大学のスポーツ合宿用の宿泊施設にしたい、体育館も武道場もある。また200人以上の規模の宴会場も作りたい、コロナ対策にも利用できる施設にしたい・・・・など聞き西都市を思う気持ちに感動した

このような内容を話しました

次に課長は6/28に県教育委員会から買い受けについての照会があり、7/15庁議で買受しないと結論した

地域コミュ二ティーに使ってはという意見もあったが現在生きがい交流広場があり、コミセンがあるので十分満足している

買った場合、他市に似たような状況を参考にすると年間2000万ほどの経費が掛かる

避難地としてはレベル2(例の1000年に一度起こるかどうかの災害の事)のばあい3mほど浸水する(注、この時は西都市街中のほとんどが水没します)

コロナ予防を考えてソーシャルディスタンスを確保した場合一人当たり4m2必要となるが、過去の事例で市では3067名が最大避難人数と考えられるが、現在市で確保している(しようとしている)避難所で十分間に合う(ほんとかな?)

市が買わない場合、一般競争入札となるがその時は西都市の希望要望を県に伝えたい

など説明されました

この報告に対し多くの議員から反論が出ました(反対じゃなく賛成ぽい意見を言ったのは17番議員のみ)

どのような意見だったか概略で書きます(正確なところは本人に確認してください)

15番議員 絶対買うべきだと思う、西都商で学んだ卒業生のためにも買うべきで、市として検討してほしい

14番議員 買うことは先行投資である、市が買うべきだ。このようなことは統合が決まった時からわかることである、その考えがなかったのが不満である、ビジョンがない。市が買って賃貸で利用することもできる、回答を延ばしてほしい。話し合いも何もない頭ごなしである、民意を考えてほしい

11番議員 県への返答を9月議会、12月議会で議会が議論する場をもって結論を出してほしい

8番議員 一般質問であれほど回答を求めていたにもかかわらず、このような回答をすることは市民軽視であり、議会軽視である。市長はこのような案件になると虚偽を言う、首長としていかがなものかと考える

勿論各議員(10番議員も反対意見を述べてました)もっと言いましたが、省略して書きました、気になる方は議員本人に聞いてください

最後に私も意見を申しました

・議会では何人もの議員が一般質問で取り上げていたにも関わらずこのような有無を言わせないような報告は遺憾に思う

・市民、とくに地元の方と話し合ってほしい、そういった過程を飛ばすから医療センターでも起こったように問題が出てくる

・市長はこの土地の価値がわかっていない(たぶんですが、住宅地としては坪8.5万から9万ほどすると思います、もちろん最終売買価格ですが、それにしても買受希望価格は坪1万円台なら、市がまずは買うべきである)

私の考えを最後に書きたいと思います

・財政的に問題と言っているが、ボ-リング場の鑑定評価さえ教えてもらっていない議会にどう判断しろというのだろう

・財政的に問題なのは、ボーリング場のほうで、市の財政を考えるなら西都商跡地のほうがはるかに財政にやさしい(ちなみに新病院建設は医療体制が整い、二次救急・災害拠点体制が整うまで棚上げしたほうが財政的に望ましいと、私は思う)

・市民の声を聴いて言っているが、まったく聞いていない。それどころか耳に入れないまま事を済ませようとしている

・市長が言うH氏の未来図は私もすごく望ましいと思う、だからこそ市民に話をしてほしい

・そもそも一般入札になったら、H氏が落札できるかどうかもわからないし、違う考えを持つ方が買ってしまうかもしれない

・市(地域住民にとって)として望ましくない方向になる恐れもある

・市が買い取って、官と民が共同で将来プランを練ったほうが間違いない

まだまだ言いたいことはありますが・・・・

西都商の卒業生、地元の市民の皆さんに心を寄せて、未来を語ってほしいと強く思っています

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クラスター発生

2020-07-27 11:17:22 | 日記

恐れていたことが起こりました

西都市の隣高鍋町でクラスターが発生しました

そこから西都市民も2名の感染が確認され、県から西都児湯一帯をレベル2として緊急警報を発令しました

そのため不要不急の圏外外出が自粛要請されました

私の教え子は春からずっと中止になっていた大会がやっと行われると、喜んで稽古に励んでいたのですが、出場を自粛することのなり

皆涙にくれました

私から見ていても、ほんとに一所懸命稽古に励んでいただけに、可哀そうで仕方がありません

コロナが収束したら、何らかの形で大会を開いていただくように、県連に申し出するつもりです

私も、市外へはしばらく自粛しようと、ほとんどの業務は電話やメール等で行おうと考えています

勿論不要不急じゃないもの、つまり必要でかつ急を要するものもありますから、その際は三密を防ぐのは勿論、消毒剤(車に常備しています)を適切に活用しながら、短時間、必要最小限度で行おうと考えています

この緊急事態に際し。コロナ感染がこれ以上広がらないように、心がけていきたいです

ところで膝の治療にとリハビリを続けていましたが、リハビリ期間が終了しました

少し良くなりましたが、まだまだです、先生にもこれ以上悪くなったら人工関節を考えてくださいと言われました

という事でリハビリで学んだことを自宅でも行い、筋力低下しないよう努めます

日曜日は西都原まで自転車で行き、柔らかい土の上を早足ウォーキングしました

西都原の施設はほぼ休止となっています(トイレは利用できます)

日常生活はインソール(関節内側に負荷のかからないようにした物)を入れた靴を履き

トレーニングはスクワット、ゴムチューブによる大殿筋強化、腰上げそして空手の形稽古を続けてみます

・・膝よ!これ以上悪くならないでくれ~

(体重を落とすのが先決だよ・・という声が聞こえます・・・)

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エンジョイフォト倶楽部 ラスト写真展

2020-07-07 20:34:14 | 日記

約5年にわたって行ってきた写真教室のラスト写真展を今週行っています

ばしょは西都市の文化の拠点「夢たまご」です

写真展の紹介とともに、写友は県外に多いので私の写真をブログに載せます

県内の写友の皆さんはぜひ見に来てください

まずあいさつ文です

写真を楽しむ

写真を楽しもうと始めた、写真教室エンジョイフォトクラブも第4回写真展をもって、一区切りを迎えることになりました。
普通の教室のように撮り方を教えるのでなく、毎回古今東西の写真集を見ることからはじまる変わった教室でした。
生徒さんは戸惑っておられたかもしれませんが、とにかく写真を好きになってもらいたい、その一心でした。
心から感動するには、作品の背景や歴史、作者のひととなりを学ぶことは必須要件とまではいわないまでも、知っておれば間違いなく感動は倍増します。
絵画を見て目を奪われ立ちすくみ、音楽を聴いて陶酔し、映画を観て背骨に電気が走り席から立てなくなるのと同じように。
一枚の写真を見て「感じ入り」「記憶を想起する」そんな芸術作品に感動できる豊かな感受性は人生を楽しく豊かにしてくれます。
教室での学びは終わりますが、生徒さんがそれぞれの生活の中で写真を楽しんでいただければ、講師冥利に尽きます。
そしてクラブ最後の写真展です、どうぞ楽しんでください。
                  橋口 登志郎 

今回の写真展は6人の生徒さんの気合のこもった写真が見どころですが、私のブログなので私の展示した写真を紹介します

私の写真群の前の挨拶です

橋口登志郎のコーナー

1996年 ローライ・コードの世界
        -¬不便を楽しむー
ある時、写真関係の本を買った
日沖宗弘という方が書いた「写真術」という単行本である
あの頃は写真機が好きで、写真機に関する本を買いあさっていた
その本では独断で写真機やレンズのことを評論していた
日沖氏が「・・金に糸目をつけなかったら、コンタックスかライカに止めを刺す。レンズがよいからである・・・」というところはニッコールレンズが合わずツアイスを愛していた私にとって、至極うなずけるものだった
また彼の好みの自動車の考え方(古いルノーのドーフィンとかルノー5のエンジンを褒めていた)や、機械は人の心に感応するとあるのは「うんうん」とうなずいた(つまり信じちゃったわけ)
その本に「・・・ドイツのローライはプラナー・クセノター・テッサー・クセナーなど名玉がついており、レンズ性能では他の追随を許さない、その中でもクセナー付きのローライコードは安価で軽量かつ丈夫なので最もお勧めする」
でっ・・1995年に
買っちゃった、クセナー付きローラーコードⅣ(1950年代製)を・・
東京の中古カメラ屋さんに電話して、値段は三万ちょっとぐらいだった
現物が届いてびっくり、中版カメラとは思えないほどちいさくて(中版フイルムは普通のフイルムの3.5倍の面積を持つ)軽く、構造はすこぶる単純で、そして操作はプリンシプルそのものなのだ
便利な機構は何ひとつなく、フイルムを入れるのさえ難儀した、露出もマニュアルなので、フイルムのISO感度を覚えておく
上蓋をぱかっと開けて、上からファインダーをのぞくととても暗い、特に周辺部は何が映っているか容易に判明つかない、挙句左右が逆像なので写したいものにレンズを向けるのさえ苦労する
露出計をだし、ISO感度を合わせて光量を測り、絞り値とシャッタースピードをカメラにセットする
その暗いファインダーでピントを合わせ、シャッターをチャージして、シャッターレバーを左に動かすと
「チャッ」という極めて小さな音とともにフイルムに光が届く
速写・連写とか願うべくもないし、またしようとも思わない
そのうえフイルムは12枚撮りでレンズは75mm(標準レンズ)がついていてレンズ交換なんかもちろんできない
なんでも撮ってやろう、たくさん撮ろうなどという欲は無くなる
デジタルカメラやスマホで簡単に写真が撮れる今の人たちにとっては「うあっ~超ムズ、面倒くさい」でしかなく、そこまでして写真撮りたくはないだろう
私も最初はそうだった、今までの撮り方と全く違うから戸惑った
でも、しばらくするとローライでの撮影所作と出来上がる描写にはまってしまった
それから数年ローライのみで写真を撮った
被写体とじっくり対峙し、一枚一枚を丁寧に、まっすぐ撮った
面倒くささ、不便さが、写真を撮ることの楽しさを教えてくれた
そして私の写真は大きく変わっていった
不便さが写真の大切なところを私に気づかさせてくれたのだ

 第4回エンジョイフォトクラブラスト写真展には、私の写真がかわった1996年の写真を展示するのがふさわしいと思った

 

日向市の海岸
彼女と彼女の友人と私、3人で美々津、馬ケ背で撮影した
彼女の細かく分離した髪の描写にレンズの良さを認識した

 

宮崎市若草通り
歩いていると、休憩しているブテイック店員さんがいた
声をかけ撮った、通りにはアート系の落書きがあった

 

西都市自宅の階段
いつもの日常、手編みをしている妻
なんてことのない、普通の日々を撮るのは好きだ

 

宮崎市一ッ葉海岸
有料道路にあるレストランには砂浜があった
子供たちとよく遊んだ場所だった

 

宮崎市中央通り
あの頃、ストリップ劇場があった
最近街が妙にきれいになりすぎた気がする

 

 


西都市妻町
1995年に末っ子が生まれ
1996年 妻は彼にかかりっきりだった

 

宮崎市日豊線
今でもこういった被写体にカメラを向ける
逃げないから良い

 

西都市自宅
年賀状として撮った家族写真
迷い犬を飼い犬にした

 

 


高鍋町蚊口浜
子どもが小さいときはよく海に行った
潮風の中、妻を撮った

 

西都市自宅居間
ローライを買った、何か撮りたかった
中学生だった娘を撮る

 


宮崎市末広町
犬がじっと私を見ていた
吠えられた記憶は無い

 

宮崎市宮交シティー
木村伊兵衛さんの最後の写真は病院の時計だった
写真は時間と密接な関係にある

 

 


宮崎市若草通り
煙草の女の子に写真を渡したら
その子の友人が私も撮ってと頼んできた

 

佐土原町石崎浜
よく飲みに行っていたお店のママさん
お願いしたら、撮らせてくれた

 

 


西都市公民館
市民劇団の練習、写真の女子高生の子供は
この頃の彼女と同じ年になっている

 

西都市自宅
私の父とすぐ服を脱ぐ息子
ずっと記憶に残る写真かもしれない

 

是非会場で見てください

 

コメント (1)
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