西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

西都原古墳群を見ずして、古墳時代を語るなかれ。

2012-03-17 16:55:13 | 日記
西都市内の地域づくりをやっている団体が、毎月一回集まって情報交換をやってるネットワーク会議があります。
毎年一回交流イベントを行っているのですが、今日西都原古墳群の周りの清掃活動を行いました。


明日は「このはなマラソン」があります、せっかく西都に来て頂いた方に気持ちよく走ってもらおうと思ったわけです。

2グループに分かれ各コース上の清掃を行いました、終了後「西都旗立て会」の皆さんが焼きそばの振る舞いをしてくれて、


早めの昼食をいただきながら各グループの近況や事業予告をし、交流をしました。

昼からは「古事記編纂1300年 西都原古墳群発掘100年」記念講演会が、西都原考古博物館(ここは絶対のおすすめです、西都に来たら絶対来館してください)で行われました。
前から楽しみにしていたので、妻と一緒に聞きに行ったわけです。

古墳まつりでいつも幽幻な音を奏でてくれる、オカリナキッズの皆さんのオープニングから講演は始まりました

「西都」「無垢」「西都ファイト」の3曲でした(伴奏に原田さんがオルガンを、児玉君が打楽器(?)を奏でてくれました)


後口君の「地域の宝を磨く」といった言葉を添えた、開会の辞


市長(観光協会長)の「今年は3つの記念すべき年、古事記編纂1300年、西都原発掘100年、伊東マンショ没後400年を西都市は市民の皆さんと祝いたい」というあいさつ


西都原、考古学博物館大好きな牧元副知事が知事のメッセージを読み上げました

さてメインは宮崎県埋蔵文化財センター副所長の北郷泰道先生の「日向神話と西都原古墳群」という講演でした。
それではいつものように、要点ダイジェスト筆記を・・・。

・日本における発掘調査は西都原から始まった
・ただ当時の学問水準では詳しく調べられなかった
・宮崎の時代は5世紀の初頭以上古くはないんだという、間違った考えさえできた
・ただ日向神話を証明する資料が平成7年以降の西都原発掘調査によって出てきた

・100年前は発掘レベルが低く、歴史を考古学でなく文献で考えようとなった
・日本の正史(六国史)日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三大実録で古事記は入っていない
・古事記は音訓混合の日本文であり、他は漢文で書いてあるつまり公式と認められた
・ただ古事記の方が人間性に深い読み物
・日本書記には出雲神話は入っていない
・3.11東日本大震災の時1000年に一度と言っていたが、それは「日本三大実録」に貞観の地震が載っているため
・30年が1世代と考えて、30年に一回ずつ日本書記講義が行われていた
・古事記が脚光を浴びたのは江戸時代の本居宣長「古事記伝」によって
・3つに時代を分ける①神世の時代 高天原~出雲神話~日向神話 ②神武天皇から欠史8代・・事実内容がなく弥生時代の記憶を留めたもの ③10代祟神天皇以降が古墳時代と見る、記録されたもの
・日本神話(古事記)に歴史的事実があるのじゃないかとの考え
・平成7年以降の発掘調査によって、それを裏付けるものが出てきた
・日向の地は宮崎の地であることに間違いない(北九州という説があるが)
・神宮というのは伊勢神宮のこと(他は2文字では言わない)
・出雲と日向の違い、それは青銅器ができているかどうか(出雲ができている)
・諸県の君の存在を抜きにして、日向神話は語れない
・諸県の君と天皇が婚姻関係を結ぶ事によりこの地(西都)は盛力をもった
・祭殿の宮はこの博物館の駐車場にあった
・公式な建物がこの駐車場にあった
・北部九州の稲作、南九州の稲作のちがい
・祟神天皇以降は日本書記の天皇の死んだ年より、古事記に書いてある方を古代史としては採用する
・祟神天皇と卑弥呼は同世代
・つまりこの時代に畿内(天皇)と九州(邪馬台国)の2つの国があったと考える
・従って邪馬台国は本州ではあり得ない(北九州)

・12代の景行天皇は日向から2人の后をもらっている
・髪長姫(諸県君の娘、仁徳天皇の妻)のことは古事記で1ページにわたり語られている
・つまりとても重要な人物(親子共々)、日向(西都原)が力のある盛期だった
・日向の国は天皇家と婚姻関係を結んでいた
・何故天皇家が日向(諸県君)と手を結びたかったのか、それは諸県君が持っていた海上貿易の力を欲しかった
・ところがその数代後で策略があり、日向系の皇子が天皇家から消えてしまった
・出雲系と日向系の権力争いがあった
・その為、日向(西都原)は勢いをなくす
・男狭穂塚は諸県君のお墓、女狭穂塚は髪長姫のお墓である

まとめ
・神代の時代の話は人の世の話、神武天皇から9代までは弥生時代の歴史を記憶するものであって、古墳時代の記憶をとどめるものは10代以降雄略天皇までの間日向との婚姻が密接にあって、日本神話の中に日向神話がというのが確かな存在としてあると言うこと。
それが古事記の読み方だ。
神話の故郷と言うだけでなく、そこには確かな歴史があり目の前に残された古墳こそがそれをあらわす事を認識することが大切だ。

最後に先生はキャッチフレーズを言われました、一つは今日のブログの題で、もう一つは
古代日向国を見ずして日本建国、神話を語るなかれ
というものです、面白い講演でした。

さて明日は宮崎県空手道生涯武道演武大会があります、私も演武します。
頑張ってきます。それでは・・・。

西都モノクロームphotoーソウルー

コメント
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