曽木の滝の次は鹿児島観光定番の城山展望台へ。
オプションを申し込んでる人達は仙巌園へ行っているのですが、
私の家族が仙巌園は一度行ってるから行かないということで、
城山展望台と天文館に行くことに。
駐車場に着く頃には無情の雨。
桜島も期待は出来んな。
【城山展望台】
やはり残念な結果に。(泣)
というか、天気が良くてもそんなに良い景色かなぁ。
港から見た方が近くて良いと思うんだけど。
【鹿児島市街】
真ん中に見えるのが鹿児島別院です。
天文館から近いので行くしかあるまい。(^^
【皇太子殿下御手植公孫樹】
大正9年3月26日と刻まれているので、
この皇太子殿下は昭和天皇のことですね。
【皇太子殿下御手植御手植樟】
明治四十年十月二十八日ということなので、
大正天皇が皇太子時代に来られたということです。
さて、お腹が空いたので天文館で食事でもしますか。
【むじゃき膳】
適当に入った「天文館むじゃき」という店で昼食。
黒豚しゃぶ(50g)、ハマチ刺身、鰹たたき、鶏飯、
ふくれ菓子という内容。
これが完全なるチョイスミス。
肉が薄いのなんの。
よくぞこれほど薄くスライス出来ると逆に感心するわ。(^^;
出汁は美味しかったんだけどね~。
鶏飯というのはは奄美地方の郷土料理で、
普通の鶏のササミが入ったそぼろ丼みたいなのを想像してたけど、
パパイヤ漬けと沢庵が入った出汁茶漬けといった感じ。
苦手な個性の強い漬物が二種類も入って、
トドメに大嫌いな刻んだ紫蘇が入っているからつらい。(^^;
紫蘇なんて食いモンじゃないよ。(苦笑)
そういう訳でこれは全く口に合いませんでしたね。
紫蘇と漬物が入って無かったら普通に美味しいと思いますが。
刺身は美味しかったです。
はぁ、普通に黒豚のトンカツにすればと後悔したよ。(^^;
さて、気を取り直して西本願寺の鹿児島別院へ。
地元のガイドさんによると鹿児島は真宗王国らしい。
鹿児島って伊勢地方に並ぶほど、
廃仏毀釈の時に寺院が徹底的に破壊された歴史がありますね。
所在地:鹿児島県鹿児島市東千石町21-38
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明治11年(1878)
【縁起】
室町時代末期から始まった薩摩藩による念仏禁制と弾圧、
幕末から全国的に起こった廃仏稀釈では、
薩摩藩に存在した仏教寺院は全て破却。僧侶も全員が還俗させられる等、
薩摩の念仏者達は禁が説かれるまでの約300年間、
隠れて手を合わさざるを得なかった歴史があります。
明治9年(1876)9月5日、鹿児島県参事の田畑常秋氏より、
「各宗旨ノ儀自今人民各自ノ信仰二任セ候条此段布達候条」と書かれた
一片の布達が出され、禁制に終止符が打たれた。
その後、本山・本願寺より開教使に任命された6名が鹿児島へ到着し、
石灯籠通りの柳田喜助氏の自宅を御本尊の仮懸所として、
鹿児島の開教が開始。
明治11年に現在地を取得し、紀州にあった性応寺を買得して移築、
ここに別院が建立されることになりました。
第二次世界大戦に米軍の鹿児島大空襲により灰燼に帰したが、
昭和24年に本堂は再建。
しかしながら、鹿児島別院としては長らく再建されませんでしたが、
くのご門徒の方々の協力を得て、昭和57年に鹿児島別院は再建されました。
【山門】
別院に相応しい立派な山門です。
【本堂】
これまた立派な本堂です。
屋根は耐久性と軽さを兼ね備えたチタン瓦が葺かれているそうです。
浅草寺の屋根もチタン瓦だとか。
境内は真宗らしく有料駐車場となっていました。
【寺務所・納骨堂】
【鐘楼堂】
【境内】
【内陣】
まさに荘厳。
【御本尊】
なまんだぶ なまんだぶ。
これにて鹿児島別院参拝終了。
内陣の雰囲気はとても良かったです。(^^
御朱印はございません。
オプションを申し込んでる人達は仙巌園へ行っているのですが、
私の家族が仙巌園は一度行ってるから行かないということで、
城山展望台と天文館に行くことに。
駐車場に着く頃には無情の雨。
桜島も期待は出来んな。
【城山展望台】
やはり残念な結果に。(泣)
というか、天気が良くてもそんなに良い景色かなぁ。
港から見た方が近くて良いと思うんだけど。
【鹿児島市街】
真ん中に見えるのが鹿児島別院です。
天文館から近いので行くしかあるまい。(^^
【皇太子殿下御手植公孫樹】
大正9年3月26日と刻まれているので、
この皇太子殿下は昭和天皇のことですね。
【皇太子殿下御手植御手植樟】
明治四十年十月二十八日ということなので、
大正天皇が皇太子時代に来られたということです。
さて、お腹が空いたので天文館で食事でもしますか。
【むじゃき膳】
適当に入った「天文館むじゃき」という店で昼食。
黒豚しゃぶ(50g)、ハマチ刺身、鰹たたき、鶏飯、
ふくれ菓子という内容。
これが完全なるチョイスミス。
肉が薄いのなんの。
よくぞこれほど薄くスライス出来ると逆に感心するわ。(^^;
出汁は美味しかったんだけどね~。
鶏飯というのはは奄美地方の郷土料理で、
普通の鶏のササミが入ったそぼろ丼みたいなのを想像してたけど、
パパイヤ漬けと沢庵が入った出汁茶漬けといった感じ。
苦手な個性の強い漬物が二種類も入って、
トドメに大嫌いな刻んだ紫蘇が入っているからつらい。(^^;
紫蘇なんて食いモンじゃないよ。(苦笑)
そういう訳でこれは全く口に合いませんでしたね。
紫蘇と漬物が入って無かったら普通に美味しいと思いますが。
刺身は美味しかったです。
はぁ、普通に黒豚のトンカツにすればと後悔したよ。(^^;
さて、気を取り直して西本願寺の鹿児島別院へ。
地元のガイドさんによると鹿児島は真宗王国らしい。
鹿児島って伊勢地方に並ぶほど、
廃仏毀釈の時に寺院が徹底的に破壊された歴史がありますね。
所在地:鹿児島県鹿児島市東千石町21-38
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明治11年(1878)
【縁起】
室町時代末期から始まった薩摩藩による念仏禁制と弾圧、
幕末から全国的に起こった廃仏稀釈では、
薩摩藩に存在した仏教寺院は全て破却。僧侶も全員が還俗させられる等、
薩摩の念仏者達は禁が説かれるまでの約300年間、
隠れて手を合わさざるを得なかった歴史があります。
明治9年(1876)9月5日、鹿児島県参事の田畑常秋氏より、
「各宗旨ノ儀自今人民各自ノ信仰二任セ候条此段布達候条」と書かれた
一片の布達が出され、禁制に終止符が打たれた。
その後、本山・本願寺より開教使に任命された6名が鹿児島へ到着し、
石灯籠通りの柳田喜助氏の自宅を御本尊の仮懸所として、
鹿児島の開教が開始。
明治11年に現在地を取得し、紀州にあった性応寺を買得して移築、
ここに別院が建立されることになりました。
第二次世界大戦に米軍の鹿児島大空襲により灰燼に帰したが、
昭和24年に本堂は再建。
しかしながら、鹿児島別院としては長らく再建されませんでしたが、
くのご門徒の方々の協力を得て、昭和57年に鹿児島別院は再建されました。
【山門】
別院に相応しい立派な山門です。
【本堂】
これまた立派な本堂です。
屋根は耐久性と軽さを兼ね備えたチタン瓦が葺かれているそうです。
浅草寺の屋根もチタン瓦だとか。
境内は真宗らしく有料駐車場となっていました。
【寺務所・納骨堂】
【鐘楼堂】
【境内】
【内陣】
まさに荘厳。
【御本尊】
なまんだぶ なまんだぶ。
これにて鹿児島別院参拝終了。
内陣の雰囲気はとても良かったです。(^^
御朱印はございません。