Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

恵利寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月19日 | 美濃西国三十三観音霊場
続きましておニャン子の新田恵利とは全く関係ありませんが、
名前が気になったので参拝することになった恵利寺です。

無料駐車場がありました。



所在地:岐阜県関市武芸川町跡部705
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼
創建:天平17年(749)
開山:行基菩薩
札所:美濃西国三十三観音霊場



【縁起】
当寺は人皇第45代聖武天皇の勅命により天平17年(749)行基菩薩により開創された。

人皇第25代武烈天皇の御子大跡部王子は父帝王の悪政を厭い、
都を出でて丹後千振の浜・伊勢国出輪の山中へと移り給いたが御心に敵さず、
ついに当地に御移りになり、十余年後の継体天皇20年(526)薨去され、王塚に埋葬された。

聖武天皇の世、諸国を勧進中の行基菩薩は帝王脳病に罹られ危篤なることを知らされ、
その平癒を祈願するた為、天皇家因縁勝地跡部に梵刹を建立することを思いたち、
法華経一千部を石に書し三方の山に埋め、6尺5寸に及ぶ十一面観音の尊像を彫まれた。
よって帝王の脳病はたちまち快復されたという。

天皇はこのことをことのほかお喜びになり、勅宣を以って広大な伽藍を造営され、
自らの宸筆をもって「観自在王院」の勅額を下賜された。
 
その規模は山門・総門を始め、金堂・五重塔等所謂天平の寺院建築様式による伽藍が完備、
四辺の山辺には鎮護の明神・大権現を配し、平等院・流元寺・雲岩寺・覚性坊・清水寺・
依正坊・水本坊等末寺2カ寺が林立し、法相・真言の兼学道場として天下にその名声を伝えた。
 
時代は下って崇徳院の御宇紀州根来寺開山覚鑁上人がこの地に来たって、
その因縁に感じ不動明王の尊像を彫刻し、当山に安置せられた。

以後、近衛院・高倉院等の勅命もあり繁栄を極めたが、保元・平治の乱の兵火にあって以来、
たびたび罹災し、永禄7年(1564)には、織田・斉藤両家の争乱に巻き込まれ灰燼と化した。
 
寛文2年(1662)岐阜市長良崇福寺第8世物堂和尚による中興以降は、
臨済宗妙心寺派に属し法灯を守っている。

現在の景観は第14代住職宗達和尚が生涯を賭けて整備したものである。
 
往古は朝廷より絶大なる支持があり、菊紋も許された程高位別格の処遇を受け、
幕政時代に至っては土地の旗本の支援、
明治以降は只管区内住民の篤き護法心により強く支援されて現在に至っている。


【山門】


妙心寺派だけあって品のある雰囲気を感じました。


【本堂】


夜からカラオケ大会があるということで、
御近所の方々が用意されていた。

その方々が写らないように苦心して撮影しました。(笑)


【境内】


【内陣】


御朱印を奥様にお願いすると同時に、
本堂内陣参拝をお願いすると快くOKをいただきました。(^^




釈迦三尊像が祀られていました。


【護諸童子】



【物堂和尚】



【位牌堂】



【紫雲石】



【庭園】


本堂裏手に見事な庭園があった。

京都のお寺に匹敵するほどでしたね。


【鐘楼堂】


この辺りでも電飾を飾られている方々がいましたね。


【観音堂】


本堂から徒歩2分の所に観音堂がありました。

いかにも観音堂といった風情です。






御本尊の十一面観音菩薩は厨子に安置されているようです。


【鎮守社】



【御朱印】



たまたま寄ったお寺でしたが、
御近所や檀家の方々に慕われているお寺だということが、
よく分かって何だか嬉しくなりました。


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