Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

両足院(2015年1月12日参拝)

2015年02月18日 | 仏閣
泉涌寺七福神巡りで人混みと歩き疲れ、
そして物欲にまみれてしまったので落ち着く為に建仁寺へ。

この時期の建仁寺は観光客も少なくゆっくりと拝観出来るんですよね。

その前に特別拝観している塔頭の両足院へ。

庭がメインの塔頭なので今まで華麗にスルーしてましたので、
今回初めての参拝となります。



所在地:京都府京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町591
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:龍山徳見禅師


【縁起】
開山当時「知足院」と号していました。
知足院は龍山徳見禅師の遺骨が知足院に葬られてからは徳見禅師の法脈を継ぐ、
当院3世文林寿郁の両足院・一庵一麟の霊泉院などの黄龍派寺院の本院でした。
 
創建された当時の両足院は知足院の別院、または徒弟院として、
建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、
「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。

安土・桃山から江戸時代の8世利峰東鋭の代までは主に、
饅頭の祖である林浄因の子孫によって、
霊泉院は龍山和尚の生家・千葉氏出身の禅僧たちによって護持されま す。

なお、霊泉院は現在は霊源院と改められて今も存続します。
 
また江戸初期までは知足院と霊泉院が輪番で
建仁寺開山堂・護国院を守塔していたこともあり、
建仁寺開山明庵栄西禅師の直系黄龍派の中心寺院であったことがわかります。

知足院創建時より明治初期にかけて、歴代住持から数多くの建仁寺住持を輩出し、
明治時代の新制度による建仁寺派の初代管長を、当院15世荊叟和尚が務めているなど、
建仁寺にとって重要な僧侶を擁する寺院という性格も持ち合わせました。


【山門】



【毘沙門堂】


ここまで無料ゾーンとなります。
売店で拝観料を支払い中へ入っていきます。


【坪庭】


砂紋の美しさと素朴な石の組み合わせにより、
無限の世界観を感じることが出来ます。


【閼伽井庭】


こちらの庭も石、木、井戸の絶妙な配置がいい。
砂紋の模様も意味があるんでしょうね。


【方丈前庭】










ここはかなり落ち着くお庭です。
しかし寒過ぎてゆっくり見てられない。(^^;






方丈東庭は石を上手く配置したお庭です。


【中門】



【手水鉢】



【書院】


書院で絵画とか何かを見た気がするのだが、
全く記憶にない。

興味の無いものは記憶に残りませんね。(^^;
撮影禁止でした。


【半夏生の庭】










まぁ、良い庭だと思いますが、
特に感動するような庭ではありませんでした。

写真を見る限り半夏生の頃はかなり良さそうでしたけど。


【水月亭】



【前庭】





【御朱印】


書置きをいただきましたが、
最初から紙がよれていて御朱印帳に貼り難かったです。(^^;

時期により「半夏生」「饅頭始祖」等の御朱印もいただけるようです。


【感想】
庭オンリーで仏像関係は全く楽しめません。

正直、もういいかなと思いましたが、
初夏の頃に庭を歩き、臨池亭で抹茶をいただければ風流なんでしょう。