本日最後の参拝はこれまたマイナーは長田神社。
わざわざこの神社に訪れたのは子安地蔵を見る為です。
大きな道路から細い道を進む。
一方通行じゃないから対向車が来たら嫌な道です。
無事到着しましたが、駐車場が無くて困ったが、
何とか鳥居前に停めることが出来ました。
所在地:大阪府東大阪市長田1421
御祭神:品陀別命、息長足姫命、多紀理毘売命
創建:不明
【由緒】
長田神社は通称意岐部神社という。
古来平安朝の初期醍醐天皇の御代延喜式制によって、
村の守護神として鎮座された由緒ある古社として記録を存せる宮であり、
この遺書は村人によって伝承せられたる信仰上の伝統であり、
旧村の歴史にとって誇り得るものであったが当時の宮の所在について、
旧長田村と御厨村の何れに鎮座せるものか、彼御社波是奈利 止慥々爾記有書奈久、
辨有人毛無と、当時枚岡神社の宮司水走忠によって宮争の解決を神霊に誓って決定せんとし、
長文の神詞を起草しこれを現在の楠根川橋上(長田村、御厨村の境にある橋)に於いて、
幣を中央に立てて、深更に至って濁を灯し御あかりの左右何かに倒れるか以って、
宮の所属を決定したということである。
しかしながら現在この由緒がある意岐部神社の所在は、
中世の頃天災の為焼失し今日全くその旧址判明せず、現
在の長田神社の北方(田圃の中)に意岐宮屋敷と言い、叉 弓場との下と称する。
小字地名のあることによって意岐部神社の宮跡であろうと言われている。
【鳥居】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9d/fbf07a6018afc003ae8a752b118cc184.jpg)
【拝殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d0/b3802e74f617696289dcd971e1276f2c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/22/2cb947d706b24fd17d0bb8f9d2238b06.jpg)
【狛犬】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f4/01e8b6293255a8129bc5cc0c914022aa.jpg)
【本殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/84/539a0e203e53cbbb7fff24e80125f884.jpg)
【境内社】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/e8/533eb9673aecbebe9d235fec5fbfc971.jpg)
左が塞神社、右が龍王明神社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/4f/9a508732bf489ad1644f32efba830865.jpg)
御祭神:八衢比古命、八衢比賣命
塞神社は何か石が置かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/83/eb24b373724b8a27d9422a484ad0329d.jpg)
龍王明神社。
御祭神は巳様で蛇が祀られていました。
【稲荷社】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/2f/f7794d70db5210c1cb0ff82d6fe8aa74.jpg)
【合祀殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/9c/b76cd983a30159cbb78859b44d0b465c.jpg)
愛宕社・琴毘羅社・水神社。
【おかげ灯籠】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d5/2a616eae0cd570c6319269f283d58e43.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/51/64b83a8266028d4effbbd3e3d9c33518.jpg)
当地の人々が慶応3年の「おかげ詣り」に参加したことを記念して建てたもので、
長田地区には他にも4基のおかげ灯籠が残り、
うち1基には天保2年(1831)の紀年銘があるそうです。
【摂取庵】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/a3/6933fcd985def7453763fd00cb84e524.jpg)
神社の境内にあり、浄土宗の寺のお堂だったようです。
【子安地蔵】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f3/43b63471abfb719e2a3257be11caaf7c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/a8/67897d2ffe96554498da2c3482333f7f.jpg)
鎌倉時代末期の木像地蔵菩薩立像(像高91cm)が安置されていました。
この地蔵像は地元に伝わる「子安地蔵縁起」によれば、
嘉禄年中(1225-1227)恵心僧都作と伝えられ、
江州(滋賀県堅田)で子安地蔵として祀られていたもの。
いつしか有縁の地である長田村へ移されたことが分かっているそうです。
恵心僧都作といわれているが、どこまで信憑性があるのか疑問ですが、
なかなか良いお地蔵さんでした。
【御朱印】
わざわざこの神社に訪れたのは子安地蔵を見る為です。
大きな道路から細い道を進む。
一方通行じゃないから対向車が来たら嫌な道です。
無事到着しましたが、駐車場が無くて困ったが、
何とか鳥居前に停めることが出来ました。
所在地:大阪府東大阪市長田1421
御祭神:品陀別命、息長足姫命、多紀理毘売命
創建:不明
【由緒】
長田神社は通称意岐部神社という。
古来平安朝の初期醍醐天皇の御代延喜式制によって、
村の守護神として鎮座された由緒ある古社として記録を存せる宮であり、
この遺書は村人によって伝承せられたる信仰上の伝統であり、
旧村の歴史にとって誇り得るものであったが当時の宮の所在について、
旧長田村と御厨村の何れに鎮座せるものか、彼御社波是奈利 止慥々爾記有書奈久、
辨有人毛無と、当時枚岡神社の宮司水走忠によって宮争の解決を神霊に誓って決定せんとし、
長文の神詞を起草しこれを現在の楠根川橋上(長田村、御厨村の境にある橋)に於いて、
幣を中央に立てて、深更に至って濁を灯し御あかりの左右何かに倒れるか以って、
宮の所属を決定したということである。
しかしながら現在この由緒がある意岐部神社の所在は、
中世の頃天災の為焼失し今日全くその旧址判明せず、現
在の長田神社の北方(田圃の中)に意岐宮屋敷と言い、叉 弓場との下と称する。
小字地名のあることによって意岐部神社の宮跡であろうと言われている。
【鳥居】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9d/fbf07a6018afc003ae8a752b118cc184.jpg)
【拝殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d0/b3802e74f617696289dcd971e1276f2c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/22/2cb947d706b24fd17d0bb8f9d2238b06.jpg)
【狛犬】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f4/01e8b6293255a8129bc5cc0c914022aa.jpg)
【本殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/84/539a0e203e53cbbb7fff24e80125f884.jpg)
【境内社】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/e8/533eb9673aecbebe9d235fec5fbfc971.jpg)
左が塞神社、右が龍王明神社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/4f/9a508732bf489ad1644f32efba830865.jpg)
御祭神:八衢比古命、八衢比賣命
塞神社は何か石が置かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/83/eb24b373724b8a27d9422a484ad0329d.jpg)
龍王明神社。
御祭神は巳様で蛇が祀られていました。
【稲荷社】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/2f/f7794d70db5210c1cb0ff82d6fe8aa74.jpg)
【合祀殿】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/9c/b76cd983a30159cbb78859b44d0b465c.jpg)
愛宕社・琴毘羅社・水神社。
【おかげ灯籠】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d5/2a616eae0cd570c6319269f283d58e43.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/51/64b83a8266028d4effbbd3e3d9c33518.jpg)
当地の人々が慶応3年の「おかげ詣り」に参加したことを記念して建てたもので、
長田地区には他にも4基のおかげ灯籠が残り、
うち1基には天保2年(1831)の紀年銘があるそうです。
【摂取庵】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/a3/6933fcd985def7453763fd00cb84e524.jpg)
神社の境内にあり、浄土宗の寺のお堂だったようです。
【子安地蔵】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f3/43b63471abfb719e2a3257be11caaf7c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/a8/67897d2ffe96554498da2c3482333f7f.jpg)
鎌倉時代末期の木像地蔵菩薩立像(像高91cm)が安置されていました。
この地蔵像は地元に伝わる「子安地蔵縁起」によれば、
嘉禄年中(1225-1227)恵心僧都作と伝えられ、
江州(滋賀県堅田)で子安地蔵として祀られていたもの。
いつしか有縁の地である長田村へ移されたことが分かっているそうです。
恵心僧都作といわれているが、どこまで信憑性があるのか疑問ですが、
なかなか良いお地蔵さんでした。
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/3a/1a4b71e915c1d1f87f2d59beaf5b990d.jpg)