Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

鏑射寺(2014年12月30日参拝)

2015年02月02日 | 仏塔古寺十八尊
続きましては三田方面に移動し、武庫ノ台ゴルフコースへ。
決してゴルフをする訳ではなく、ゴルフコースの手前に鏑射寺があるのです。

このお寺もまた長閑な場所にあり山道を軽く登っていくと到着。

大型の無料駐車場がありました。



所在地:兵庫県神戸市北区道場町生野1078-1
宗派:真言宗
御本尊:大日如来
開基:聖徳太子
創建:敏達天皇10年(581)
札所:近畿三十六不動尊、仏塔古寺十八尊、西国愛染十七霊場、
神戸十三仏、摂津国三十三箇所



【縁起】
当山は四方を山と川に囲まれた神体山として数千年の歴史を有し、
神秀倉・甘楽山・五智の峰などと呼ばれて人々に尊崇されておりました。

聖徳太子はご生母の里にある此の山が大層お気に召し、
伽藍を建て佛教弘通の道場として鏑矢を奉納、鏑射寺と命名されました。

その頃の様子を虚空蔵寺の記録には鏑射寺は摂津の国第一の壮観たりと記されています。

南北朝時代には、南朝に味方して伽藍の大半を失いました。
永正の頃(1514)義慶上人に依って復興が進められ、
太閤秀吉も三度にわたり参拝するなど、寺運は隆盛を極めました。

江戸時代に入って山火事のもらい火があり、
文久2年(1862)の勇阿上人による再建を待ちました。

山内に見られる西国三十三ヶ所・四国八十八ヶ所の石仏は当時造営されたものです。

明治6年、三田九鬼藩の天誅組と称する不逞藩士が神社仏閣を襲い、
当寺も火を放たれ焼け残った太子堂及び本尊什器は寺廻りに移されて、
その後廃寺となりました。

時を経ること約百年、復興を呼びかける人々に応えられ、
昭和30年秋に久邇宮朝融王殿下が、道なき所を攀じ登り、
生い茂る草をかき分けてご参拝になり、
鏑射寺の再建と国家国民の安寧をお祈りになられました。

昭和34年9月、現山主中村公隆師が入山、祈願に入りました。
同41年に護摩堂が、48年には三重塔、続いて53年函館の地に別院が建立。
逐次旧寺領の買戻しも進み、平成4年に大日如来を奉迎して本堂の落慶入佛法要、
同6年には弁天堂の落慶法要が厳修されました。


【参道】


奥に三重塔が見えます。


【樽】


恐らく小さな仏像が祀られていると思われるが、
御丁寧にも鍵がかかっていて、中は見れませんでした。


【弁天堂】







【護摩堂】




昭和40年に建立されたもので、
不動明王、弘法大師、聖観音菩薩が祀られているそうです。

残念ながら堂内は見れませんでした。


【石塔】





【閼伽井】


さすがに飲む気にはなれず。(^^;


【宝篋印塔】



【三重塔】




こちらの三重塔はまだ若いだけあって綺麗でした。


【閼伽井】


これは飲めってこと?(^^;


【本堂】




こちらも堂内は見ることすら出来ませんでした。

こういうのはとても残念です。


【新西国三十三ヶ所】







【清涼殿】


絶賛工事中。


【鐘楼堂】



【御朱印】







【感想】
とにかく客殿と庫裏が豪華で立派な建物でした。

仏様も見れないし、また来たいとは思えないお寺でした。