「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

ブラジル料理講座  @水戸市国際交流センター

2011年09月17日 23時07分31秒 | 水戸の今と昔
ブラジル料理講座  @水戸市国際交流センター





水戸市国際交流センターが東日本大震災で損害を受けて一時休館していたが7月には再開した。
我が家から近い上に多くの企画講座があるので、よく利用させて戴く。

「作ってみよう世界の料理」は人気講シリーズ。
インド編、イタリア編、韓国編などに出席した。

何れの時も、その国の歴史や地理などが紹介される。

その後、調理実習室に移り幾つかの料理を作る。
作るといっても、下ごしらえされた食材が用意され、講師とセンター職員のアシストによる作業。

僕は、洗い場専門。
完成後の、試食を楽しみに参加している。

本年度の第一弾はブラジル料理。

講師は綿引和美さん。
パワーポイントで、ブラジルの紹介。
面積:世界で5番目。人口:1億9400万人。

ブラジル料理は、インディオ(先住民)・ポルトガル人・奴隷として連れてこられた西アフリカ人・その他世界各地からの移民などの料理が混じり合っている。

主な食材は牛肉・豆(フェイジョン)ココナツ・パーム油・米(アホス)・キャッサバの粉・トマト・バナナ・レモン等。マンゴーはじめ多くの果物。

話を聞きながら、今から20年近く前(Jリーグが発足して鹿島アントラーズのアルシンドが人気だった頃、)ブラジル訪ねた、想い出が甦った。

食べものではフェイジョアーダ(豆と牛肉の煮込み)、ポン・ジ・ケイジョ(キャッサバの粉を使った、もちもちのチーズパン)シュラスコ(焼肉)。
飲み物はセルベッサ(生ビール)、カイピリーニャ(ピンがと呼ぶサトウキビの蒸留酒を使った甘めのカクテル、レモンを添える)
街頭でのココナツジュースの立ち飲み、等々。

今回は





ポン・ジ・ケイジョ



ブラジル風チキンカツ



ジャガイモのスープ



マンゴームース



作り終えたのが1時過ぎ、試食が待ち遠しかった。

美味しくいただいたが、フェイジョアーダ・シュラスコなどの牛料理などは時間や調理場の都合で出来なかったのは残念。

水戸にも以前はブラジル料理店が在り、楽しい時間を過ごした。
今は、鹿嶋や水海道などに在るらしい。

アントラーズの試合の時に行きたいと思った。
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東京日和 巻の参 ・長屋カフェ

2011年09月17日 16時43分44秒 | 散歩
東京日和 巻の参・長屋カフェ

民家やアパートを改装したカフェや雑貨屋が流行っている。
更に、コンサートやギャラリーなど多面的な催事もあるようだ。
古いものが好きだが、今様のモノにも興味がある。

長屋茶房 天真庵 @東京都墨田区文花1-6-5







コーヒー店でもお酒や蕎麦も。
アートギャラリーから落語会、煎茶教室と幅広い。
この日は定休日だった。

スパイスカフェ (SPICE cafe ) @文花町一丁目-6-10 





路地の奥がお店となっている。


アート&カフェ 「こぐま」 @東京都墨田区東向島1-23-14








向島・鳩の街通り商店街にある。
昭和2年に建築された古民家を改装したカフェ。
棚ギャラリー&ブックコーナーもある。

何れも店頭から覗いただけで、入店はしていない。
店頭に山野草の植え込みなども有って、自然を愛しゆったりとした生活を願っている様に思えた。

スカイツリーの建設現場に近いので、建設の波及効果で観光客が増えた。
絶好のポイントには、カメラ片手の観光客が沢山いる。

日々に変化する街と手作り感覚のお店は愉しい。
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どぜう飯田屋 @浅草

2011年09月16日 18時19分07秒 | レストラン
東京日和 巻の弐・どぜう飯田屋 @浅草

東博の「空海と密教美術」観て後は下町探索に。





博物館裏の寛永寺境内を抜け、寛永寺坂を下り、言問通りを浅草に向かう。



途中に「鮒金」と云う佃煮屋が在る。
ここの佃煮が好きで、浅草方面に来た時は立ち寄る。
今日は、シジミとアサリを購入。

先日、水戸の沼田で「どじょう鍋」を食したのを思い出し、久しぶりに飯田屋 に行くことにした。





飯田屋に到着したのは1時過ぎ、昼食時間を外したつもりだったが、満席でしばしの間待つことに。
次から次に客が来る。
野田総理の“どじょう発言”で泥鰌人気が急上昇、と成ったらしい。

どじょうを丸ごと食べる「まる鍋」と割いて骨を抜いた「ほねぬき鍋」の2種類ある。

イワシや鮎を丸ごと食べる人稀にいるが、ドジョウは大方の人が丸ごとを好む、
珍しい食べ物かもしれない。



泥鰌鍋は葱を食う、と言われる通り、泥鰌の旨味を十分に吸った葱が旨い。
勿論、泥鰌を煮た「たれ」が美味しいことにもよるのだろう。
幾らかどじょうを残し、程よく煮えた刻み葱をかけて食べるご飯は、とにかく旨い。
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東京日和 巻の壱「空海と密教美術」展

2011年09月16日 16時17分48秒 | 美術展
東京日和 巻の壱「空海と密教美術」展

東京国立博物館の「空海と密教美術」展を観るために東京へ。
もっぱら水戸~東京の高速バスを利用している。
本数が多くと、しかも安いのは有難い。
都内が混雑している時は八潮パーキングエリアで下車して、TXに乗り換える。
これまた、100円で終点の秋葉原まで行ける。

今回は、TXに乗り換え新御徒町駅で下車した。
駅近くの、台東区が運営している自転車置き場に行く。
東京の駐輪場で貸自転車を利用できるところがある。
料金は区ごとに異なるが、台東区は1日200円で3日間借りても300円と激安。



東京国立博物館

正門の前に9時20分に着いたが、既に多くの人達が並んでいた。
それでも、開館と同時に入場できたからよかった。

混雑をみこして、逆ルートだが第2室を先にする。
「第4章 法灯―受け継がれる空海の息吹」と題され、主に仏像が展示されている。

特に「仏像曼荼羅」は

 東寺講堂には大日如来を中心に21体の仏像が安置されています。
規則性をもって群像が配置される様子は、まさに「立体曼荼羅」とよぶにふさわしいものです。
空海が承和6年(839)の完成を見ることはできませんでしたが、尊像の選択と配置には空海の思想が反映されています。
諸像は、奈良時代に東大寺などで活躍したのと同系統の工房によって製作されました。乾漆を併用する技法にその伝統がうかがえる一方、しなやかで肉感的な身体表現は、空海が請来した曼荼羅の尊像にみられる新しい表現です。
本展では、その内の国宝8体による仏像曼荼羅が出現します。



左から順に 国宝 「増長天立像(四天王のうち)」、国宝 「帝釈天騎象像」、国宝 「大威徳明王騎牛像(五大明王のうち)」、国宝 「降三世明王立像(五大明王のうち)」 国宝 「金剛法菩薩坐像(五菩薩のうち)」、国宝 「金剛業菩薩坐像(五菩薩のうち)」、国宝 「梵天坐像」、国宝「持国天立像(四天王のうち)」
以上全て平安時代・承和6年(839) 京都・東寺(教王護国寺)蔵。

(以上、東博のHPから。)


これらの諸像は真言密教の教えを図像化し、さらに仏像として立体化されもので、飛鳥・奈良時代とはかなり異なった仏像が造られた。
明王立像や持国天立像は憤怒の表情が激しく、救って下さるより、悪いことをすると救われないぞ、という激しさを感じる。
堂宇に安置されていると、暗くて良く拝めないが、展覧会となれば明るい照明と脇からも後ろからも拝むことが出来る。

何れの仏像も体躯に厚みと動きがあり、平安時代仏像の典型的な姿を拝した。

今回は、空海筆の、国宝 聾瞽指帰(ろうこしいき) 平安時代・8~9世紀 和歌山・金剛峯寺蔵。



空海請来の国宝 密教法具(みっきょうほうぐ)唐時代・9世紀 京都・東寺(教王護国寺)蔵など展示品全てが、日頃、目にすることが出来ない品ばかり。

教王護国寺の蔵品ばかりでなく、神護寺・仁和寺・醍醐寺・金剛峯寺など真言宗各本山の協力があったからこその展覧会で、まさしく、空前絶後と云えるだろう。

宇宙の真理を仏のかたちにしたものと云われ、その意味するものは難解だが、真言密教美術の源流を観ることが出来たのは幸いだ。
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「空海と密教美術」展 @東京国立博物館 平成館

2011年09月14日 22時54分23秒 | 美術展
「空海と密教美術」展 @東京国立博物館 平成館



東京国立博物館で「空海と密教美術」展が開催されている。
会期が9月25日(日)まで。
行こうと思っている内に、残すところ10日間となってしまった。

展示作品の98.9%が国宝・重要文化財で構成されている。
東寺講堂の仏像群による「仏像曼荼羅」を体感できる。
会場全体が、密教宇宙を表す“大曼荼羅”となっている。

大賑わいで、入場に40分くらいかかるらしい。
興福寺の阿修羅の時のようだ。

さらに込み合いそうなので、明日は9時30分の開館前に並ぶつもり。
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ヴェルサイユ宮殿 (Château de Versailles)

2011年09月14日 20時36分07秒 | 
ヴェルサイユ宮殿 (Château de Versailles)





小田実の『何でも見てやろう』や北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』
少し時代が下がって、沢木耕太郎『深夜特急』のような旅がしたい。
と思いながら、実現しないままに過ぎた。

とは云え、何処かに出かければ、裏通りや路地をほっつき歩くのが好きだ。

時には、「はとバス」的な名所廻りも面白い。
ヴェルサイユ宮殿の見学も、とにかく半日で見て仕舞おう、は無理を承知だが、どんなものかを体感できそうに思った。

ガイドブックなどによれば、
パリの南西22キロに位置し、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。
宮殿の周辺はパリ近郊の高級住宅地。

”太陽王“と称されたルイ14世が類を見ない絢爛豪華な宮殿の建設を指示し築き上げた、ヨーロッパ最大のバロック宮殿と100万㎡に及ぶ広大な庭園。



遥か先まで続く広大な眺め。



警備の兵隊さんもいます。







丸天井の彩色画や絢爛豪華な部屋が延々と続きます。





ほんの一部を見ただけで、圧倒されます、文化の違いなのでしょう。
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ヴェルサイユ宮殿 (Château de Versailles)

2011年09月14日 20時35分20秒 | 文化遺産
ヴェルサイユ宮殿 (Château de Versailles)





小田実の『何でも見てやろう』や北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』
少し時代が下がって、沢木耕太郎『深夜特急』のような旅がしたい。
と思いながら、実現しないままに過ぎた。

とは云え、何処かに出かければ、裏通りや路地をほっつき歩くのが好きだ。

時には、「はとバス」的な名所廻りも面白い。
ヴェルサイユ宮殿の見学も、とにかく半日で見て仕舞おう、は無理を承知だが、どんなものかを体感できそうに思った。


ガイドブックなどによれば、
パリの南西22キロに位置し、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。
宮殿の周辺はパリ近郊の高級住宅地。


”太陽王“と称されたルイ14世が類を見ない絢爛豪華な宮殿の建設を指示し築き上げた、ヨーロッパ最大のバロック宮殿と100万㎡に及ぶ広大な庭園。



遥か先まで続く広大な眺め。




警備の兵隊さんもいます。







丸天井の彩色画や絢爛豪華な部屋が延々と続きます。






ほんの一部を見ただけで、圧倒されます、文化の違いなのでしょう。
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エスカルゴ(les escargots)

2011年09月13日 19時50分45秒 | 
エスカルゴ(les escargots)

フランスの旅の帰国前日が、ルーヴル美術館とヴェルサイユ宮殿の観光だった。
このツアー、朝食以外は食事がつくことは少なかったが、この日はオプショナルツアーで昼食付だった。

ルーヴル美術館を観て後、ヴェルサイユ宮殿に向かう前に昼食。



前菜のエスカルゴ

日本で「フランス料理」を代表する一皿が、何故かエスカルゴだった時代が有った。
ガーリックバターで風味をつけたエスカルゴはブルゴーニュの郷土料理。
古代ローマ時代から珍重された食材だったそうだ。

子供の頃「フランス人はカタツムリを食べるんだって」と云うような話を聞き、試したこともあった。
どんなカタツムリでも良いわけではなく、また食べられる状態にするには大変な手間をかける食材らしい。

社会人になって、大工町に在った「トレビ」と云う店のメニューがピザとエスカルゴだった。
イタリア料理とフランス料理が混在していたのだが、地方都市では良くある話。
とにかく、皆で集まってはワインとピザ、時にはエスカルゴと云うことが多かった。30年近く前のことで、エスカルゴ缶詰だったろうが。
しばらく行かないうちに、数年前に閉店した。
最近、場所と名前を変えて再開したという。
店名は「レトロ」としたらしいが、昔と同じで良いのではと思う。
是非行こうと思いつつ実現しないでいる。

昔のことを思い出したが、久し振り、しかも本場のエスカルゴは美味しかった。



メインは魚料理だった。



デザート

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秋明菊(シュウメイギク)と杜鵑草(ホトトギス)

2011年09月13日 18時09分36秒 | 山野草
秋明菊(シュウメイギク)と杜鵑草(ホトトギス)



幾らか秋めいたかと思いきや、暑さが戻りました。
暑さ寒さも彼岸まで。と言いますから、あと10日位は続くのでしょうか。

猫の額ほどの庭ですが、秋明菊(シュウメイギク)と杜鵑草(ホトトギス)が咲きそろっています。
シュウメイギクは、茨城山草会の会長を務めた長谷川貞夫さんのお庭でしりました。花の美しさはもちろんですが、貴船菊〈キブネギク)とも呼ばれ、名前が魅力的です。
30年前の頃、夏の京都に旅した時に貴船川の川床(ゆか)で涼んだ思い出がよみがえります。
15年前頃、中国の麦積山の石窟の仏像を訪ねました。
天水から麦積山に向かう田舎道の両側に、ピンクの秋明菊がたわわに咲いていました。これまた懐かしい思い出です。



杜鵑草はユリ科の多年草。花が鳥の杜鵑(ホトトギス)に似ているので名付けられたとのことです。

繁殖力が旺盛で、那珂市の蕎麦店「麦屋」から株分けしてしたものが、叢になりました。

「麦屋」さんには暫くご無沙汰してます。
近々には、伺いましょう。
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中秋の名月

2011年09月12日 22時50分19秒 | 生活
中秋の名月



このところ暑さが戻っているが、今日は、旧暦8月15日で「お月見」
小学生の頃は、仲間と近所のお供え物を失敬する遊びに興じた。
思いだせば懐かしいが、今時の子供たちはそのような遊びはしないだろう。
それに、お供えなどもしなくなった。
我が家もしばらくしていない。
とはいえ、“芒”は飾ろうと出かけたが、予定を変えて偕楽園に。



葛の花は大きく色鮮やかだが、甘い香りが素晴らしい。

「水戸の萩まつり」9月1日~20日





案内のチラシによれば、
9月10日は「合同野点会」
9月11日は「スズムシの放虫会」
昨年は、野点のお茶席を三席廻ったことを思い出した。





今日は常磐神社の能楽殿で2時から4時まで“仕舞”や“謡”が演じられた。
観世・金春・宝生の県内の流派の方々により演じられたが、古典芸能に親しんでいる方々が多いのは心強いことだった。

家に戻り、しばし休憩の後、外に出た。

涼しい風が吹き、いくらかの雲が有るが冴え渡った満月。





方向を変えて、レンガが崩壊した教会堂から。
撤去作業がほぼ終了。



使えそうな煉瓦は新築時に再利用されるという。

来年のお月見には、新しい建物が完成しているだろうか。

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どじょう鍋と鰻重  @水戸駅前 沼田

2011年09月11日 22時23分27秒 | 水戸今と昔
どじょう鍋と鰻重  @水戸駅前 沼田



3月11日から半年。
9月11日から10年。
何れも衝撃的な出来事であった。

生まれてこのかた、体験したことが無い。
今後、生きている間に2度と体験することはないだろう。

あまりに生々しい出来事は、何をどう書けばいいのか分からない。

今日「日めくり俳句句会」が有った。
会の終了後。Oさんと食事に出た。
「泥鰌などどうですか?」との問いに「行きましょう」と答えた。

子供の頃、魚屋の樽にドジョウが浮いたり沈んだりめまぐるしく動いていた。
これを買ってきて、お袋が鍋に投入すると、熱さでバタバタと跳ね回り、やがて静かになる。
そこに茄子を入れ卵でとじる。

母が亡くなってから、食べる機会が少なくなった。

東京のどじょう専門店で3回ほど食べたが、我が家とは違った。
江戸風なのだろう、小鍋に刻みネギが添えられていて、惣菜風ではない。
 
連れていかれた店は水戸駅前の「沼田」。
鰻屋の老舗。
今を去ること50年前頃来た店。
その頃、外食する機会はめったに無く、鰻はご馳走の最たるものだった。



どじょうもやっている、とは知らなかった。
出された鍋はまさしく小鍋仕立て。
水戸でもこの様な食べ方も有ったんだ。

とにかく、泥鰌を肴に冷酒を酌んだ。



「鰻もどうでしょう」の誘いで鰻重も。
少しばかり贅沢だったが、人生は常ならず。
だれしも、何時どうなるか、神でさえ分からないのでは。
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ルーヴル美術館

2011年09月10日 00時46分24秒 | 
ルーヴル美術館









日々の散歩や自転車でのチョイ走り、日帰り、或いは泊りがけ。
外に出るのが大好きだから、リタイヤ後「することが無くて困った」などと云うことはない。
新発見や新たな体験こそ、生まれたことの幸せ、だと思っている。













ということで、7月のフランスの旅の記録が未完で、8月中にまとめる心積りだったが9月にもつれ込んだ、
『9月になれば』と云う言い回しが有るが、台風騒ぎですっきりしない日が続いている。
とにかく、ルーヴル美術館・ヴェルサイユ宮殿の写真だけでも掲載し、完了とする。フランスについては徐々に勉強しようと思っている。
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地元の良さを、知らないことが多い。

2011年09月08日 20時55分04秒 | 水戸今と昔
地元の良さを、知らないことが多い。

水戸生まれの水戸育ち、人生のほとんどを水戸で過ごしてきた。
千波湖を中心とした偕楽園・桜山・西の谷・逆川緑地などの水と緑。
水戸城跡・弘道館公園を含む歴史的文化遺産。
水戸芸術館、県立美術館、歴史館などの美術・音楽・演劇など芸術にふれる機会に恵まれている。
大洗からの海の幸、名産の水戸納豆を始め、美味しく新鮮な食文化。
気候も安定して、台風などの自然災害に遭うことが、比較的少ない。
等など、自慢でき誇らしい街と思っている。

とはいえ、水戸のことを良く知っているのか?と自問自答すると、いささか心もとない。
これからも、さらに知ろうと思っている。

今回、哲ちゃんの故郷・長野県東御市(とうみし)を案内して戴いた。



千曲川の魚。



地元出身の力士・雷電為衛門の石碑。
勝負に強いとの言い伝えで、削り取られ読めない。

水戸とは異なる地理・風土・歴史だから僕にとっては新鮮な驚きだったが、彼も知らなかった、或いは、気づかなかった良さが沢山あったようだ。

玉村豊男の「ヴィラデストガーデンファーム アンド ワイナリー」の影響で、都市部から移住した若者たちが、ブドウ栽培とワイン醸造に進出し、ワイン特区を作ろうとしている。
勿論、昔からのブドウ園や観光農場も多い。

梅野記念絵画館を中心とした芸術公園には、宿泊設備を備えたアートビレッジなどで、芸術的雰囲気でアウトドアの生活が楽しめる。
絵画館は、青木繁をはじめ近代日本洋画を中心とした美術コレクション。
二代に渡る収集品が寄贈されたものが、基となっている。

浅間連峰を望む高原は自然に恵まれた静かな環境で、周辺には金工・木工・ガラス工芸などの作家のアトリエも多い。

日程の都合で、訪れることが出来なかったが、温泉も沢山ある。
田中駅の前の市営の温泉施設「ゆうふる」には行った。
3階にはプールも在ったが、水着を持参してなかったのでお風呂だけ。

水戸よりずっと小さな街だが、美味しそうな店がいっぱいあった。





今回も訪ねた「とんちゃん家」も鮨と割烹の店。
食こそ、その町の文化を顕している。
水戸にも美味しい店は有るが、市街が拡大し過ぎ、まとまりが無くなった。
もう一度、収斂する必要が有るように思う。

旅に出ると地元を振り返る、良い機会になることは、間違いない。
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信州手打ちそば「蔵の坊」  @東御市田中

2011年09月07日 13時55分29秒 | 
信州手打ちそば「蔵の坊」  @東御市田中



最近、「常陸秋そば」がブランドとして定着してきたが、昔から「蕎麦と云えば信州」が名高い。
9月上旬は蕎麦の花が盛りだった。
ソバは蒔いてから75日で収穫されるとか。
標高も高く寒冷の為か、茨城よりおくらか、遅いようだ。

信州はブドウの産地としても有名だが『巨峰』を含め収穫はもう少し先らしい。
常陸太田の『巨峰は』すでに収穫期となっている。
先日、Uさんから戴いて食べたが、とても美味しかった。

話は蕎麦に戻るが、哲ちゃんの実家の隣にある蕎麦屋に案内された。



明治時代に建てられた土蔵を生まれ変わらせた、俗にいうレトロモダン。
昔懐かしい雰囲気に新しさが入り混じった雰囲気の店。
店名の「蔵の坊」と云うのも気に入った。



お通しの「豆腐に野沢菜」
硬めの豆腐にミソが乗せられている。
野沢菜は信州名産で多くの店で良く出された。

石臼挽きの生粉打ち蕎麦。



大きな塗の椀に盛られて供される。
凝ってはいるが、少々食べづらかったが。

元気なおかみさんと、職人肌のご主人との二人三脚も好ましい。
蕎麦屋は食べるのみならず、安らぎの空間であることも必要だ。
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海野宿(うんのじゅく)@ 長野県東御市

2011年09月06日 20時36分04秒 | 
海野宿(うんのじゅく)@ 長野県東御市







哲ちゃんの同級生Kちゃんのご自宅のある海野宿に案内され驚いた。
江戸時代の旅籠屋造りと、明治時代の蚕室造りの堅牢な建物が今なお残っていた。
まるで時代劇のセットに紛れ込んだ感じ。
京都の町屋のように間口が狭く、奥行きが長い建物が多いが、間口が広く梲(うだつ)を上げた大きな家もある。
絹が輸出の大勢を占めた時代が偲ばれる。





旧北国街道の海野宿の650m町並みは、昭和62年「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された、との説明版が有った。

ここに至るまでに、
電柱や電線は地下に埋設した。
道路の片側の溝の水路を復元。
車庫は道路の裏側に設置、表の通りからは見えないようにする。

文化財保護のための予算が使われたにしても、古き良き時代の雰囲気を残すため、不便を忍ぶことになる住民の協力が必要になる。



観光客用の店が幾らか有るにしても、大方は普通の住宅だ。
その辺は、福島県の大内宿と異なり好感が持てた。
文化財を維持しようとする、住民の熱意と誇りを感じられる。
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