「西の谷緑地公園」を美しく!

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藤田東湖生誕の地@水戸市梅香1-2-20

2021年06月14日 23時19分13秒 | 水戸の今と昔
藤田東湖生誕の地@水戸市梅香1-2-20



水戸藩第9代藩主・徳川斉昭(烈公)を助けて藩政改革に尽力し、また「弘道館記」の草案を書き「弘道館記述義」等を著して、藩校・弘道館の創設に大きな足跡を残した側用人藤田東湖(名は彪)は文化3年(1806)3月16日に、父幽谷の長男として、この地で生まれた。



同所を黒羽根町から見る(右側・白い柵の内側)

ここは、寛政8年(1796)に父幽谷が、藩から与えられた屋敷地。
享和2年(1802)幽谷は敷地内には私塾青藍舎を開設、そこから会沢正志斎、豊田天功などが輩出している。
東湖も父から学問を受けて成長し、江戸へ出て剣術や槍術の修行などもつんだ。



水戸城下絵図(天保時代・1830~1843年)
中央の上梅香の角地に藤田与介(幽谷)





この地は、昭和26年(1951)藤田家から水戸市に寄贈され、しばらく小公園だったが「水戸市中央公民館」後に「みと好文カレッジ」となった。
建物老朽化の為2008年3月末に「みと好文カレッジ」は閉鎖され、その後ビルは取り壊されて、現在は駐車場。

公民館が竣工した昭和32年(1957)地階の一隅に生誕地碑が建立された。
東湖の子孫である藤田武雄氏が寄贈したことなども記されてある。
因みに敷地は367坪(約1200㎡)で東湖産湯の井戸を模したものも作られた。

碑文の前の銅像は後に設置された。



藤田幽谷生誕地碑
東湖の父である藤田幽谷の誕生地は、ここから50㍍足らず、旧奈良屋町の坂道の途中だ。




旧黒羽根町から藤田邸方面、坂道を左折した通りに碑が建つ。
この通りの左右は、旧藩時代から町家が在って商業地だった。



この通りは協同病院の増築に備え、道路の拡張を含め区画整理などが進行中。
道路の右端辺りが幽谷の生誕地。



藤田幽谷像(1886年)草川重遠模写

藤田 幽谷 〔安永3年(1774)- 文政9年(1826)〕
藤田東湖の父親で後期水戸学の中心人物の一人。
著書に『正名論』のほか,『勧農或問』などの著がある。

水戸城西南の下谷で古着商を営む与衛門の次男として生まれる。
10歳ごろ彰考館総裁立原翠軒の門に学ぶ。
天明8(1788)年立原翠軒の推挙で彰考館に入り,翌寛政1(1789)年正式な館員となった。
彰考館編修となり『大日本史』の編纂に参画。
町人出身者が士籍に列したことは異例の抜擢であった。
郡奉行などの要職にもついて藩の改革を断行して、ひとかたならぬ苦労を重ねたが、門閥からことごとく反対された。
多方面に改革案が達成されないまま急病で53歳の生涯を終わった。
この時、東湖21歳であり、父の遺志を達成しようと働く。



藤田幽谷と藤田東湖の墓地
常磐共有墓地(水戸伊松本町)

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